「もしも『Ζガンダム』のクワトロさんとカミーユさんが、ありえないボケを見せるブロガーの実在性について語っていたら」と考えました

 クワトロさん:「愛読者たちに向かって、『個人的な体験談を直ちに一般論に結びつけることは危うい行為だから慎みましょう』と説教した後、自らの個人的な体験談を直ちに一般論に繋げてドヤ顔を決めるブロガーが、一人くらいは実在するはずだ。そのブロガーをネット上で探せ、行くぞ!」

 カミーユさん:「居るわけないだろ、そんなボケを見せるブロガーなんて!」

創作小話『夜通し私怨的なニセ科学批判批判を述べる者と隠者』

 あるニセ科学批判批判者のAさんが、ネットの果てにある岩山の麓で夜通し呟いていました。
 それを聞きつけた隠者が、訳を訊ねました。
 「なぜに、私怨的なニセ科学批判批判を夜通し呟いているのかね」

 Aさんは答えました。
 「今日の昼間、私は医者を自称するニセ科学批判者のブログに異論を述べました」
 「すると、そのブログ主と常連の読者たちは、私の主張に総ツッコミを入れて修正しました」

 「傍観していた聴衆は、私を駄目なニセ科学批判批判者と認識しました。私の論者としての信用が、一気に低下しました」
 「この意図しない結果に、私は大いに不満を覚えました」
 「それが悔しくて、私は夜通し愚痴っているのです」

 「言い訳するつもりはありませんが、私にとって科学的に正しいか否かということは、まったく重要ではなかったのです」
 「ただ単に、あのニセ科学批判者の態度が気に入らなかっただけなのです」

 それを聞いた隠者は、感想を述べた。「今ごろ本心を打ち明けても、手遅れだ。総ツッコミをもらう前に、言っておくべきだった」

 『教訓:この話は、私怨的なニセ科学批判批判を開始する前に、「ただ単にニセ科学批判者の態度が気に入らないだけ」と言っておけば、その後の信用低下の度合いが少なくなるという現実を明らかにしています』

創作小話『温和なニセ科学批判者と、詰問調のニセ科学批判者』

 あるニセ科学擁護者が、駄目すぎる説をブログ上で披露しました。
 それを見た温和なニセ科学批判者であるAさんは、
 「相手の心情に寄り添うこと。科学リテラシーが低い人の気持ちを、分かってあげること」
 と心の中で呟きつつ、優しい語り口調で説得を試みました。

 その途中で、別のニセ科学批判者であるBさんが現れました。
 Bさんは、詰問調のコメントをニセ科学擁護者に向かって述べ続けました。

 見かねたAさんは、Bさんに苦言を呈しました。
 「そのような詰問調は、ブロガーさまの反発を招くばかりです。傍観している読者たちも、快くは思わないでしょう」

 傍観していた読者たちは、口々に感想を述べました。

 Cさん:「Bさんの切れ味鋭い芸風、好きですねえ」

 Dさん:「それに比べて、Aさんの芸風は野暮ったいですねえ。見ていて、イライラしますねえ」

 Eさん:「そのとおりである。傍観者の我輩は、駄目すぎる説をネット上で公開してドヤ顔を決めるニセ科学擁護者と、詰問調のBさんによるdisり合いを見たいのである」

 Fさん:「温和な対話しか提示できないAさんは、今すぐに議論の場から退場して、樫の木の枝にぶら下がってルナコーンの名言でも暗唱していろ」

 それを聞いたAさんは、世の不明を嘆いて引退を表明し、ネットの果てにある竹林に身を隠しました。

 【教訓】この話は、当然と思っている自分の認識が世間の認識とズレてしまう場合がネット上の議論の場では多々起きるという現実を明らかにしています。

創作小話『ネットモヒカン族的な読者とムラビト的な読者』

 あるネット上に、ネットモヒカン族的な読者を常連とするブログがありました。
 そこのブログ主は、一人のムラビト的な読者であるAさんを、特別ゲストとして招き入れました。

 ブログ主は、読者たちに向かって言いました。
 「ニセ科学問題に関する議論をネット上で行っているとき、科学の素人による的外れな発言は、見過ごして良いか否か?」

 Aさんは言いました。
 「何度も的外れな主張を披露している場合はともかく、少しくらいの間違いならば許してあげても良いでしょう」
 「これは、ニセ科学問題以外の議論の場でも同じことです」
 「玄人が素人と対話するときは、相手の知識不足を一方的に批判せずに、寛容な対応を心掛けると良いでしょう」

 ネットモヒカン族的な読者たちは、違う意見を言いました。
 「許されない。たとえ科学の素人であっても、事実以外を述べてはいけない」

 その後も議論は続きました。
 Aさんが甘いことを述べるたびに、ネットモヒカン族的な読者たちは冷徹なツッコミを入れました。

 何度も集中的な修正を受けたAさんは、悲観しました。
 「ああ、ムラビト的な思考の私がネットモヒカン族と議論すると、このような吊るし上げの目に遭ってしまうのか」

 ネットモヒカン族的な読者たちは、Aさんを教え諭すことに成功したと判断して、今度は互いを批判し始めました。

 それを見たAさんは、心の落ち着きを取り戻しました。
 「ネットモヒカン族の態度に悩むことは、もうやめよう。ネットモヒカン族でさえ、身内でdisり合っているのだから」

 『教訓:この話は、賢いムラビトはネットモヒカン族から鋭いツッコミをもらっても、そのネットモヒカン族が相互批判している姿を見れば、感情に任せた発言を控えやすくなる、という現実を明らかにしています』

創作小話『ニセ科学問題について語ることを一度やめた者』

 そのニセ科学批判者であるブロガーのAさんは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願い出ました。
 「ニセ科学批判者であることに、私は飽きました」
 「ネット上でニセ科学に関する話題を目撃しても、まったく語らないブロガーに変えてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、願いを聞き入れました。
 Aさんは、ニセ科学問題についてまったく語らないブロガーになりました。

 しばらく時が経った頃、空飛ぶスパゲッティ・モンスターはAさんのブログに赴いて、「ニセ科学的な本」と「ひのきの棒」の二つを見せました。
 Aさんは、無言で「ひのきの棒」を手に持つと、「ニセ科学的な本」を散々に打ちました。

 それを見た空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、Aさんをニセ科学問題について語るブロガーに戻しました。

 【教訓】この話は、「飽きたので二度とニセ科学問題に言及しない」と宣言するブロガーの大半は、しばらくすると宣言など無かったかのように言及を続ける姿を読者に見せるという現実を明らかにしています。

 (この話は、ニセ科学の話題には言及しないと述べた後、しばらくしてニセ科学の話題に言及することを再開したublftbo氏の態度にインスピレーションして作りました)

創作小話『自分の間違いを認めたニセ科学批判ブロガー』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、科学素人のブログに乗り込んで批判しました。
 「あなたのブログ記事は、科学的に間違っているものばかりです」
 「それなのに、あなたは『自分は科学の素人だから』と言って、自己弁護に終始しています」
 「そのような言い訳は、科学の世界では通用しません」

 「ニセ科学を頑なに擁護するあなたには、もはやネット上で意見表明する資格などありません」
 「ブログを閉鎖してください、今すぐに閉鎖してください」
 「いつまでもニセ科学的な記事をネット上に残されるのは迷惑です」

 Aさんの支持者たちは、その舌鋒に感心しました。
 「今日もまた、Aさんはニセ科学的な言説を修正してくれた。頼れる存在だ」

 その数日後、Aさんは自ブログで「サニャック効果」を説明している際に、間違って「コニャック効果」と言いました。
 Aさんは、慌てて言い直そうとしました。
 またも間違って、「ニャントロ効果」と言いました。

 その後もAさんは、間違って「ニャンザピテクス効果」と言ったり、間違って「ニャニがニャンだーニャンダーかめん効果」と言いました。

 何度も間違えたAさんは、しばらく黙考することにしました。
 支持者たちは、Aさんの発言を注目して待ちました。
 プレッシャーを感じたAさんは、何とか名言をひねり出そうとしました。
 「……言い間違えても良いのではないか? ブロガーだって、人間だもの?」

 それを聞いた支持者たちは、一瞬リアクションがとまりました。
 Aさんは、「まずい、失敗したか?」と焦りました。

 やがて支持者たちは、感心して言いました。「さすがはAさんだ、相田みつおさんのお言葉を、ブロガー的にアレンジしたのだ」
 Aさんは、安堵しました。(完)

創作小話『簡潔な言葉と優しく暖かい言葉の二つで対話したニセ科学批判者』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、ニセ科学を擁護する人と対話を行っていました。
 途中で、ある傍観者から指摘されました。
 「その簡潔な話し方は、いかがなものでしょうか? なんとなく、冷たい印象を持ってしまいます」
 「もっと、優しく暖かい言葉を使うと良いでしょう。相手は、科学の素人なのですから」

 なるほどと思ったAさんは、優しく暖かい言葉で対話しました。
 すると、別の傍観者が現れて指摘しました。
 「なぜに、余分な気遣いを見せるのか?」
 「甘やかしていないで、さっさと科学的な間違いを指摘して対話を終わらせなさい」
 「ニセ科学を擁護する者は、他にも五万と居るのだから」

 それを聞いたAさんは、嘆きました。
 「簡潔に対話すると、批判される」
 「優しく暖かく対話すると、批判される」

 「結局、私のニセ科学批判活動は全否定されるのだ。このうえは、引退するしかない」

 言い終えたAさんは、人里から離れた岩山の頂上に小さな庵をセルフビルドして移り住み、
 朝に夕に己の無力を嘆いて余生を終えました。(完)

創作小話『進化論の専門家たちは駄目だと主張した科学素人のブロガー』

 その昔、「世界一の博学な科学素人」を自称するブロガーのAさんが、次のように主張していた。
 「実のところ、ほとんどの進化論の専門家たちは、進化論を完全には理解していない」

 「なにしろ、進化論は難しすぎる。ごく少数の天才にしか、理解できない代物なのだ」
 「この私は近いうちに、進化論の専門家たちの駄目な部分を詳細に解説した記事を、仕上げるつもりだ」

 「読者の諸君は、その記事の公開を楽しみに待っていてくれたまえ」

 それを聞いた読者のBさんは、ワクワクした。
 「進化論の専門家たちの駄目な部分って、どんな部分なんだろう? ああ、早く知りたいものだ」

 その後、Aさんは進化論にまったく触れない記事を披露し続けた。
 Bさんは、ワクワクして待っていた。
 「明日こそは、進化論の専門家たちの駄目な部分を詳細に解説してくれるはずだ、ああ楽しみだ」

 Bさんは、今もワクワクして待ち続けているという。

 『教訓:このように、進化論の専門家たちの駄目な部分を詳細に解説する記事を仕上げようとすると、思わぬ時間がかかってしまうのだ』

創作小話『呑気なニセ科学批判批判ブログと、強気なニセ科学批判批判ブログ』

 あるネット上に、呑気なニセ科学批判批判ブログと、強気なニセ科学批判批判ブログがありました。
 その二つのブログのコメント欄に、ネットモヒカン族が現れました。

 呑気なニセ科学批判批判ブログは、ネットモヒカン族からツッコミをもらっても、まともに反論しないでのらりくらりとかわしました。

 強気なニセ科学批判批判ブログは、たて突く態度を逐一見せたために、ネットモヒカン族から集中的に修正されて閉鎖に追い込まれました。

 『教訓:この話は、呑気なニセ科学批判批判ブログは比較的長期の運営を行うことができる、という現実を明らかにしています』

創作小話『よく知らないまま他所のブログ炎上を批判して勝った者』

 ある過疎ブログが、初めての炎上を経験した。
 過疎ブロガーのAさんは、なれない炎上の対処に明け暮れて疲労困憊し、失意のうちに自ブログを閉鎖した。

 それを見たBさんは、感想を述べた。
 「売り込むつもりだったのならば、炎上したあとで一方的に被害者のような態度を取られても、私は全く同情できません。Aさんの自業自得です」

 それを聞いたCさんは、疑問を呈した。
 「あのAさんが売り込むつもりだったなんて、本当ですか?」
 「Aさん本人は、そのようなことを一言も述べていませんでしたが?」
 「Bさんは、何の根拠があって、そのように仰るのですか?」
 「Aさんに確認したところ、『そのような事実はない』と言っていました。Bさんは、Aさんに対する批判が誤りだったことを認めますか?」

 しかし、Bさんは余裕だった。
 「何やらCさんがドヤ顔で言っていますが、いや実に可哀想な姿です」
 「お忘れかもしれませんが、私は『売り込むつもりだったならば』という言葉を述べています」
 「私は、仮定の話をしていたに過ぎません」
 「現実がどうであれ、私の主張には何の関係もありません」

 「というわけで、Cさんの意見こそ的外れであり、ここに私の勝利が明らかとなりました。道化役のCさん、お疲れさまでした」

 『教訓:このように、事情をよく知らないまま他所のブログ炎上を批判する際に、「売り込むつもりだったならば」という言葉を予め述べておくと、その後に疑問を呈されても勝利宣言を余裕で行えるのだ』