創作小話『年老いた苛烈なニセ科学批判ブロガー』

 その苛烈なニセ科学批判ブロガーは、寄る年波に勝てず、自ら他所のブログに出向いてニセ科学を狩ることが億劫になりました。

 そこで、「優しくツッコミを入れてあげる温和なニセ科学批判ブロガー」を名乗り、ニセ科学に擁護的な者たちを自ブログに誘い込むことにしました。
 さっそく実行に移し、見事に狩りは成功しました。

 しかしながら、ニセ科学批判批判者のAさんだけは、遠くから挨拶するばかりでブログに近づこうとしませんでした。

 不思議に思ったブロガーが訳を訊ねると、Aさんは答えました。
 「だって、他の読者たちはブロガー様と対話する前は満面の笑顔だったのに、対話が終わると凍りついた表情で帰っていくんですもの。少しは私も考えてしまいますよ」

 【教訓】この話は、苛烈な芸風のブロガーが温和な芸風に変えることを急ぎすぎると、読者たちが不信に思って警戒する、という現実を明らかにしています。
 (この小話は、次の記事を読んだ後で作りました)
 年を取ったライオンとキツネ <福娘童話集 きょうのイソップ童話>

創作小話『強烈な言論を欲しがる蛙たち』

 ある池に住む蛙たちが、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願い出た。
 「私たちに、強烈な言論を授けてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、池に向かって「ニセ科学批判批判の言論」を放り込んだ。

 蛙たちは、初めのうちこそ不思議な言論だと思って訝しんだが、「安楽に勝利を稼げる言論だ」と気がつくと、乗りに乗ってニセ科学批判批判を論じた。

 しばらくして蛙たちは、「こんな言論で常勝することは物足りない」と言って、ふたたび空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願い出た。
 「私たちに、もっと強烈な言論を授けてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、池に向かって「ニセ科学の言論」を放り込んだ。
 「ニセ科学の言論」は池いっぱいに拡がり、蛙たちは対抗言論を掲げることもできず、池から追い出された。

 【教訓】このように、「ニセ科学問題をお題に議論している場に割って入り、自分の一人勝ちを達成したい」という気持ちが過ぎると、
 「主張の中身はどうでもよい、とにかく表面上の強い言葉使いで皆を圧倒してやる」と成り、強い言葉使いがエスカレートし、他の論者たちと聴衆は大いに不満を覚え、総すかんの雰囲気が形成されます。
 肝心の主張の中身も疎かなために、説得力がゼロです。一人勝ちするどころか一人負けです。
 表面上の強い言葉使いの乱用は控え、ここぞという時に一つ放って済ませましょう。

創作小話『苛烈なニセ科学批判者に文句を述べた科学素人』

 ある科学素人のブロガーが、苛烈なニセ科学批判者に文句を言った。
 「なぜに、私の記事にある科学的な間違いを苛烈に批判するのですか」
 「おかげで私は、疲弊しています」

 苛烈なニセ科学批判者は、答えた。
 「ならば、あなたが科学的に間違った発言をネット上で述べなければ良い」
 「そうすれば、私から苛烈な批判をもらわなくて済む」

 『教訓:このように、科学的な間違いを述べた者が文句を述べても苛烈なニセ科学批判は止むことがないのだ』

創作小話『温和なニセ科学批判者に憧れた者』

 そのニセ科学批判批判者であるAさんは、「温和なニセ科学批判者であるBさんがニセ科学擁護者であるCさんの説得に成功した場面」を目撃しました。

 Aさんは、感心して言いました。
 「見事な手際だ。僕も、温和なニセ科学批判者になりたいな」

 そこでAさんは、Bさんに弟子入りして修行し、いよいよニセ科学擁護者であるDさんとの対話に臨みました。

 しばらく遣り取りを行った後、もう少しでDさんを説得できるという段になったとき、「苛烈なニセ科学批判者」が横から現れました。
 苛烈なニセ科学批判者は、Dさんの科学的に間違った言論を徹底的に修正しました。

 それを見たAさんは、激怒しました。
 「そんな冷徹な態度は、やめるべきだ!」
 「もっと、ニセ科学擁護者の心情に寄り添って、暖かく対話するべきなんだ!」
 「これだから、世のすべてのニセ科学批判者たちは、駄目なんだ!」

 『教訓:この話は、ニセ科学批判批判に慣れ親しんだ人の場合、ニセ科学批判批判者であることを簡単にやめることができないという現実を明らかにしています』

創作小話『ニセ科学を擁護する科学素人と、普通の科学素人』

 「ふところが世界一広い科学素人」を自認するAさんは、次の信条を持っていました。
 「僕は、ニセ科学を許容する」
 「僕は、ニセ科学を好意的に紹介する人の行為も許容する」
 「それを認めずにdisっているニセ科学批判者たちは狭量だ、僕は絶対に許さない」

 その意気込みでブログを運営していたAさんでしたが、ある日にとつぜん閉鎖しました。

 不思議に思った他の科学素人たちが理由を問うと、Aさんは次のように答えました。
 「ブログを開設してからの僕は、ニセ科学批判者たちとの論争に明け暮れていた」
 「本当はニセ科学の擁護なんてする気はなかったのに、なぜか意固地になって、やってしまったんだ」

 「今日の朝、僕は目覚めてすぐに、ニセ科学批判者たちに対するネガティブキャンペーンの記事を、ブログに投稿した」
 「その直後、僕は思ったんだ」
 「こんな日々が、いつまで続くのかと」
 「こんな言論活動のありさまで、僕は一生を終えるのかと」
 「そんな老後を想像すると、虚しくなったんだ」
 「というわけで、僕は消えるね」

 それを聞いた他の科学素人たちは、安堵しました。
 「私たちは、ニセ科学の擁護にこだわらないタイプの科学素人だから、良かったね」
 「そうだね。少なくとも、毎日のようにニセ科学批判者たちからdisられる事態は、ないからね」

 【教訓】この話は、ニセ科学に擁護的なコメントの公開の数を増やしていけば後で生じる疲労感の数も増えるという現実を明らかにしています。

創作小話『二つの異なる説明を行ったニセ科学批判者』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、傍観者から次のように指摘されました。
 「あなたの説明は細かすぎる。分かりやすく、要点だけ述べなさい。科学に疎い読者も居るのだから」

 なるほどと思ってAさんが要点だけを述べていると、別の傍観者から次のように指摘されました。
 「なぜ手抜きの記事を書くのでしょうか? もっと、詳しく説明しなさい。読者たちの知的好奇心を満たしてあげるのです」

 それを聞いたAさんは、嘆きました。
 「細かく説明すると、批判される」
 「要点だけ述べると、批判される」
 「結局、私のニセ科学批判活動は全否定されるのだ。このうえは、引退するしかない」

 言い終えたAさんは、ネットの果てにある竹林に身を隠しました。(完)

創作小話『ニセ科学と対峙したニセ科学批判批判者』

 その「ニセ科学批判批判者」であるAさんは、「駄目すぎるニセ科学批判批判ばかり披露している論者」という評判を変えたいと思い、ニセ科学の論破に挑戦しました。

 しかし、ニセ科学の言論に親しみを覚えて取り込まれてしまい、持っている銭のすべてをつぎ込んで破産しました。

 それを見ていた「苛烈なニセ科学批判者」であるBさんは、感想を述べました。
 「あの結果は、まったくの不思議とは言えない」
 「ニセ科学批判批判ですらマトモにできない有り様なのに、もっと高度な知識と技術を必要とする、」
 『ニセ科学と直接対峙して矯正し、聴衆にも科学リテラシーの重要性を悟らせる』
 「を試みるなどとは」

 【教訓】この話は、身の丈にあわない批判活動は必ず失敗する、という現実を明らかにしています。