「もしも科学素人のブロガーが、ネットモヒカン族から科学的な間違いを散々に批判されて疲弊した際に、『ワニのパラドックス』と『北斗の拳のクラブさんの台詞』をごっちゃにして思い出したら」と考えました

 クラブさん:「もし、これから見せる俺の行動を当てることができたならば、お前の科学的に間違っている記事をdisらずにスルーしてあげると言っているんだぜ?」

 村人:「ええと、これからあなた様は私の科学的に間違っている記事をdisるでしょう」
 村人:(やった、私はパラドックスを完成させたぞ!)

 クラブさん:「貴様~、ムラビト的ブロガーの分際で俺の行動を当てやがったなあ~? お前の科学的に間違っている記事を、disってやる!」

 村人:「そ、そんな、仮にもネットモヒカン族を名乗っているあなた様が、パラドックスのお約束をあっけなく破って!?」

「もしもニセ科学を軽い気持ちで信じて好意的な記事を書いた後に識者たちから総ツッコミをもらって驚いたブロガーが、漫画の『北斗の拳』のダイヤさんと村人の会話を間違って思い出したら」と考えました

 村人:「この私は、悪気のない科学の素人です。何気なく科学的に間違った記事を書いて、普通にブログ上で公開しただけなのです」

 村人:「それにもかかわらず、事細かく間違いをチクチク指摘するとは、あんまりな仕打ちです」

 村人:「おかげで、私の清らかで静寂なブログが大炎上を呈することになってしまいました」

 村人:「なぜに、そこまでして冷徹なツッコミを寄越すのですか? そんなことしないで、もっと科学素人である私の心情に優しく寄り添うべきでしょう?」

 ダイヤさん:「なぜ?」「……」
 ダイヤさん:「貴様らのムラビト的なブログが炎上することに、理由などいらん! すべて俺たちネットモヒカン族の気分次第よ!」

 ダイヤさん:「というわけで、貴様が科学的に間違った記事をブログ上に公開したことを真に反省するまでは、俺たちによる説教コメントの投稿が続くのであった。めでたし、めでたし」

 村人:「そ、そんな理不尽な落ちで私の疑問を終わらせようと!?」 

「もしも『Ζガンダム』のクワトロさんとカミーユさんが、『他人の主張の誤りを事細かく取り上げて批判する態度』について語ったら」と考えました

 クワトロさん:「聴衆に向かって、『ネット上の議論においては、他人の主張の誤りを事細かくチクチクと批判するような態度を見せてはいけません。寛容を心掛け、優しく遠回しに指摘してあげるような態度を見せるべきです』と説教した後、他人の主張の間違いをめっちゃチクチクと批判してドヤ顔で締めくくるという論者が、一人くらいは実在するはずだ。その論者をネット上で探せ、行くぞ!」

 カミーユさん:「居るわけないだろ、そんな自分の説教を自分で台無しにする論者なんて!」

「もしも『Ζガンダム』のクワトロさんとカミーユさんが、ありえないボケを見せるブロガーの実在性について語っていたら」と考えました

 クワトロさん:「愛読者たちに向かって、『個人的な体験談を直ちに一般論に結びつけることは危うい行為だから慎みましょう』と説教した後、自らの個人的な体験談を直ちに一般論に繋げてドヤ顔を決めるブロガーが、一人くらいは実在するはずだ。そのブロガーをネット上で探せ、行くぞ!」

 カミーユさん:「居るわけないだろ、そんなボケを見せるブロガーなんて!」

創作小話『夜通し私怨的なニセ科学批判批判を述べる者と隠者』

 あるニセ科学批判批判者のAさんが、ネットの果てにある岩山の麓で夜通し呟いていました。
 それを聞きつけた隠者が、訳を訊ねました。
 「なぜに、私怨的なニセ科学批判批判を夜通し呟いているのかね」

 Aさんは答えました。
 「今日の昼間、私は医者を自称するニセ科学批判者のブログに異論を述べました」
 「すると、そのブログ主と常連の読者たちは、私の主張に総ツッコミを入れて修正しました」

 「傍観していた聴衆は、私を駄目なニセ科学批判批判者と認識しました。私の論者としての信用が、一気に低下しました」
 「この意図しない結果に、私は大いに不満を覚えました」
 「それが悔しくて、私は夜通し愚痴っているのです」

 「言い訳するつもりはありませんが、私にとって科学的に正しいか否かということは、まったく重要ではなかったのです」
 「ただ単に、あのニセ科学批判者の態度が気に入らなかっただけなのです」

 それを聞いた隠者は、感想を述べた。「今ごろ本心を打ち明けても、手遅れだ。総ツッコミをもらう前に、言っておくべきだった」

 『教訓:この話は、私怨的なニセ科学批判批判を開始する前に、「ただ単にニセ科学批判者の態度が気に入らないだけ」と言っておけば、その後の信用低下の度合いが少なくなるという現実を明らかにしています』

創作小話『温和なニセ科学批判者と、詰問調のニセ科学批判者』

 あるニセ科学擁護者が、駄目すぎる説をブログ上で披露しました。
 それを見た温和なニセ科学批判者であるAさんは、
 「相手の心情に寄り添うこと。科学リテラシーが低い人の気持ちを、分かってあげること」
 と心の中で呟きつつ、優しい語り口調で説得を試みました。

 その途中で、別のニセ科学批判者であるBさんが現れました。
 Bさんは、詰問調のコメントをニセ科学擁護者に向かって述べ続けました。

 見かねたAさんは、Bさんに苦言を呈しました。
 「そのような詰問調は、ブロガーさまの反発を招くばかりです。傍観している読者たちも、快くは思わないでしょう」

 傍観していた読者たちは、口々に感想を述べました。

 Cさん:「Bさんの切れ味鋭い芸風、好きですねえ」

 Dさん:「それに比べて、Aさんの芸風は野暮ったいですねえ。見ていて、イライラしますねえ」

 Eさん:「そのとおりである。傍観者の我輩は、駄目すぎる説をネット上で公開してドヤ顔を決めるニセ科学擁護者と、詰問調のBさんによるdisり合いを見たいのである」

 Fさん:「温和な対話しか提示できないAさんは、今すぐに議論の場から退場して、樫の木の枝にぶら下がってルナコーンの名言でも暗唱していろ」

 それを聞いたAさんは、世の不明を嘆いて引退を表明し、ネットの果てにある竹林に身を隠しました。

 【教訓】この話は、当然と思っている自分の認識が世間の認識とズレてしまう場合がネット上の議論の場では多々起きるという現実を明らかにしています。

創作小話『ネットモヒカン族的な読者とムラビト的な読者』

 あるネット上に、ネットモヒカン族的な読者を常連とするブログがありました。
 そこのブログ主は、一人のムラビト的な読者であるAさんを、特別ゲストとして招き入れました。

 ブログ主は、読者たちに向かって言いました。
 「ニセ科学問題に関する議論をネット上で行っているとき、科学の素人による的外れな発言は、見過ごして良いか否か?」

 Aさんは言いました。
 「何度も的外れな主張を披露している場合はともかく、少しくらいの間違いならば許してあげても良いでしょう」
 「これは、ニセ科学問題以外の議論の場でも同じことです」
 「玄人が素人と対話するときは、相手の知識不足を一方的に批判せずに、寛容な対応を心掛けると良いでしょう」

 ネットモヒカン族的な読者たちは、違う意見を言いました。
 「許されない。たとえ科学の素人であっても、事実以外を述べてはいけない」

 その後も議論は続きました。
 Aさんが甘いことを述べるたびに、ネットモヒカン族的な読者たちは冷徹なツッコミを入れました。

 何度も集中的な修正を受けたAさんは、悲観しました。
 「ああ、ムラビト的な思考の私がネットモヒカン族と議論すると、このような吊るし上げの目に遭ってしまうのか」

 ネットモヒカン族的な読者たちは、Aさんを教え諭すことに成功したと判断して、今度は互いを批判し始めました。

 それを見たAさんは、心の落ち着きを取り戻しました。
 「ネットモヒカン族の態度に悩むことは、もうやめよう。ネットモヒカン族でさえ、身内でdisり合っているのだから」

 『教訓:この話は、賢いムラビトはネットモヒカン族から鋭いツッコミをもらっても、そのネットモヒカン族が相互批判している姿を見れば、感情に任せた発言を控えやすくなる、という現実を明らかにしています』

創作小話『ニセ科学問題について語ることを一度やめた者』

 そのニセ科学批判者であるブロガーのAさんは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願い出ました。
 「ニセ科学批判者であることに、私は飽きました」
 「ネット上でニセ科学に関する話題を目撃しても、まったく語らないブロガーに変えてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、願いを聞き入れました。
 Aさんは、ニセ科学問題についてまったく語らないブロガーになりました。

 しばらく時が経った頃、空飛ぶスパゲッティ・モンスターはAさんのブログに赴いて、「ニセ科学的な本」と「ひのきの棒」の二つを見せました。
 Aさんは、無言で「ひのきの棒」を手に持つと、「ニセ科学的な本」を散々に打ちました。

 それを見た空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、Aさんをニセ科学問題について語るブロガーに戻しました。

 【教訓】この話は、「飽きたので二度とニセ科学問題に言及しない」と宣言するブロガーの大半は、しばらくすると宣言など無かったかのように言及を続ける姿を読者に見せるという現実を明らかにしています。

 (この話は、ニセ科学の話題には言及しないと述べた後、しばらくしてニセ科学の話題に言及することを再開したublftbo氏の態度にインスピレーションして作りました)

創作小話『自分の間違いを認めたニセ科学批判ブロガー』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、科学素人のブログに乗り込んで批判しました。
 「あなたのブログ記事は、科学的に間違っているものばかりです」
 「それなのに、あなたは『自分は科学の素人だから』と言って、自己弁護に終始しています」
 「そのような言い訳は、科学の世界では通用しません」

 「ニセ科学を頑なに擁護するあなたには、もはやネット上で意見表明する資格などありません」
 「ブログを閉鎖してください、今すぐに閉鎖してください」
 「いつまでもニセ科学的な記事をネット上に残されるのは迷惑です」

 Aさんの支持者たちは、その舌鋒に感心しました。
 「今日もまた、Aさんはニセ科学的な言説を修正してくれた。頼れる存在だ」

 その数日後、Aさんは自ブログで「サニャック効果」を説明している際に、間違って「コニャック効果」と言いました。
 Aさんは、慌てて言い直そうとしました。
 またも間違って、「ニャントロ効果」と言いました。

 その後もAさんは、間違って「ニャンザピテクス効果」と言ったり、間違って「ニャニがニャンだーニャンダーかめん効果」と言いました。

 何度も間違えたAさんは、しばらく黙考することにしました。
 支持者たちは、Aさんの発言を注目して待ちました。
 プレッシャーを感じたAさんは、何とか名言をひねり出そうとしました。
 「……言い間違えても良いのではないか? ブロガーだって、人間だもの?」

 それを聞いた支持者たちは、一瞬リアクションがとまりました。
 Aさんは、「まずい、失敗したか?」と焦りました。

 やがて支持者たちは、感心して言いました。「さすがはAさんだ、相田みつおさんのお言葉を、ブロガー的にアレンジしたのだ」
 Aさんは、安堵しました。(完)

創作小話『簡潔な言葉と優しく暖かい言葉の二つで対話したニセ科学批判者』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、ニセ科学を擁護する人と対話を行っていました。
 途中で、ある傍観者から指摘されました。
 「その簡潔な話し方は、いかがなものでしょうか? なんとなく、冷たい印象を持ってしまいます」
 「もっと、優しく暖かい言葉を使うと良いでしょう。相手は、科学の素人なのですから」

 なるほどと思ったAさんは、優しく暖かい言葉で対話しました。
 すると、別の傍観者が現れて指摘しました。
 「なぜに、余分な気遣いを見せるのか?」
 「甘やかしていないで、さっさと科学的な間違いを指摘して対話を終わらせなさい」
 「ニセ科学を擁護する者は、他にも五万と居るのだから」

 それを聞いたAさんは、嘆きました。
 「簡潔に対話すると、批判される」
 「優しく暖かく対話すると、批判される」

 「結局、私のニセ科学批判活動は全否定されるのだ。このうえは、引退するしかない」

 言い終えたAさんは、人里から離れた岩山の頂上に小さな庵をセルフビルドして移り住み、
 朝に夕に己の無力を嘆いて余生を終えました。(完)

創作小話『進化論の専門家たちは駄目だと主張した科学素人のブロガー』

 その昔、「世界一の博学な科学素人」を自称するブロガーのAさんが、次のように主張していた。
 「実のところ、ほとんどの進化論の専門家たちは、進化論を完全には理解していない」

 「なにしろ、進化論は難しすぎる。ごく少数の天才にしか、理解できない代物なのだ」
 「この私は近いうちに、進化論の専門家たちの駄目な部分を詳細に解説した記事を、仕上げるつもりだ」

 「読者の諸君は、その記事の公開を楽しみに待っていてくれたまえ」

 それを聞いた読者のBさんは、ワクワクした。
 「進化論の専門家たちの駄目な部分って、どんな部分なんだろう? ああ、早く知りたいものだ」

 その後、Aさんは進化論にまったく触れない記事を披露し続けた。
 Bさんは、ワクワクして待っていた。
 「明日こそは、進化論の専門家たちの駄目な部分を詳細に解説してくれるはずだ、ああ楽しみだ」

 Bさんは、今もワクワクして待ち続けているという。

 『教訓:このように、進化論の専門家たちの駄目な部分を詳細に解説する記事を仕上げようとすると、思わぬ時間がかかってしまうのだ』

創作小話『呑気なニセ科学批判批判ブログと、強気なニセ科学批判批判ブログ』

 あるネット上に、呑気なニセ科学批判批判ブログと、強気なニセ科学批判批判ブログがありました。
 その二つのブログのコメント欄に、ネットモヒカン族が現れました。

 呑気なニセ科学批判批判ブログは、ネットモヒカン族からツッコミをもらっても、まともに反論しないでのらりくらりとかわしました。

 強気なニセ科学批判批判ブログは、たて突く態度を逐一見せたために、ネットモヒカン族から集中的に修正されて閉鎖に追い込まれました。

 『教訓:この話は、呑気なニセ科学批判批判ブログは比較的長期の運営を行うことができる、という現実を明らかにしています』

創作小話『よく知らないまま他所のブログ炎上を批判して勝った者』

 ある過疎ブログが、初めての炎上を経験した。
 過疎ブロガーのAさんは、なれない炎上の対処に明け暮れて疲労困憊し、失意のうちに自ブログを閉鎖した。

 それを見たBさんは、感想を述べた。
 「売り込むつもりだったのならば、炎上したあとで一方的に被害者のような態度を取られても、私は全く同情できません。Aさんの自業自得です」

 それを聞いたCさんは、疑問を呈した。
 「あのAさんが売り込むつもりだったなんて、本当ですか?」
 「Aさん本人は、そのようなことを一言も述べていませんでしたが?」
 「Bさんは、何の根拠があって、そのように仰るのですか?」
 「Aさんに確認したところ、『そのような事実はない』と言っていました。Bさんは、Aさんに対する批判が誤りだったことを認めますか?」

 しかし、Bさんは余裕だった。
 「何やらCさんがドヤ顔で言っていますが、いや実に可哀想な姿です」
 「お忘れかもしれませんが、私は『売り込むつもりだったならば』という言葉を述べています」
 「私は、仮定の話をしていたに過ぎません」
 「現実がどうであれ、私の主張には何の関係もありません」

 「というわけで、Cさんの意見こそ的外れであり、ここに私の勝利が明らかとなりました。道化役のCさん、お疲れさまでした」

 『教訓:このように、事情をよく知らないまま他所のブログ炎上を批判する際に、「売り込むつもりだったならば」という言葉を予め述べておくと、その後に疑問を呈されても勝利宣言を余裕で行えるのだ』

創作小話『年老いた苛烈なニセ科学批判ブロガー』

 その苛烈なニセ科学批判ブロガーは、寄る年波に勝てず、自ら他所のブログに出向いてニセ科学を狩ることが億劫になりました。

 そこで、「優しくツッコミを入れてあげる温和なニセ科学批判ブロガー」を名乗り、ニセ科学に擁護的な者たちを自ブログに誘い込むことにしました。
 さっそく実行に移し、見事に狩りは成功しました。

 しかしながら、ニセ科学批判批判者のAさんだけは、遠くから挨拶するばかりでブログに近づこうとしませんでした。

 不思議に思ったブロガーが訳を訊ねると、Aさんは答えました。
 「だって、他の読者たちはブロガー様と対話する前は満面の笑顔だったのに、対話が終わると凍りついた表情で帰っていくんですもの。少しは私も考えてしまいますよ」

 【教訓】この話は、苛烈な芸風のブロガーが温和な芸風に変えることを急ぎすぎると、読者たちが不信に思って警戒する、という現実を明らかにしています。
 (この小話は、次の記事を読んだ後で作りました)
 年を取ったライオンとキツネ <福娘童話集 きょうのイソップ童話>

創作小話『強烈な言論を欲しがる蛙たち』

 ある池に住む蛙たちが、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願い出た。
 「私たちに、強烈な言論を授けてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、池に向かって「ニセ科学批判批判の言論」を放り込んだ。

 蛙たちは、初めのうちこそ不思議な言論だと思って訝しんだが、「安楽に勝利を稼げる言論だ」と気がつくと、乗りに乗ってニセ科学批判批判を論じた。

 しばらくして蛙たちは、「こんな言論で常勝することは物足りない」と言って、ふたたび空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願い出た。
 「私たちに、もっと強烈な言論を授けてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、池に向かって「ニセ科学の言論」を放り込んだ。
 「ニセ科学の言論」は池いっぱいに拡がり、蛙たちは対抗言論を掲げることもできず、池から追い出された。

 【教訓】このように、「ニセ科学問題をお題に議論している場に割って入り、自分の一人勝ちを達成したい」という気持ちが過ぎると、
 「主張の中身はどうでもよい、とにかく表面上の強い言葉使いで皆を圧倒してやる」と成り、強い言葉使いがエスカレートし、他の論者たちと聴衆は大いに不満を覚え、総すかんの雰囲気が形成されます。
 肝心の主張の中身も疎かなために、説得力がゼロです。一人勝ちするどころか一人負けです。
 表面上の強い言葉使いの乱用は控え、ここぞという時に一つ放って済ませましょう。

創作小話『苛烈なニセ科学批判者に文句を述べた科学素人』

 ある科学素人のブロガーが、苛烈なニセ科学批判者に文句を言った。
 「なぜに、私の記事にある科学的な間違いを苛烈に批判するのですか」
 「おかげで私は、疲弊しています」

 苛烈なニセ科学批判者は、答えた。
 「ならば、あなたが科学的に間違った発言をネット上で述べなければ良い」
 「そうすれば、私から苛烈な批判をもらわなくて済む」

 『教訓:このように、科学的な間違いを述べた者が文句を述べても苛烈なニセ科学批判は止むことがないのだ』

創作小話『温和なニセ科学批判者に憧れた者』

 そのニセ科学批判批判者であるAさんは、「温和なニセ科学批判者であるBさんがニセ科学擁護者であるCさんの説得に成功した場面」を目撃しました。

 Aさんは、感心して言いました。
 「見事な手際だ。僕も、温和なニセ科学批判者になりたいな」

 そこでAさんは、Bさんに弟子入りして修行し、いよいよニセ科学擁護者であるDさんとの対話に臨みました。

 しばらく遣り取りを行った後、もう少しでDさんを説得できるという段になったとき、「苛烈なニセ科学批判者」が横から現れました。
 苛烈なニセ科学批判者は、Dさんの科学的に間違った言論を徹底的に修正しました。

 それを見たAさんは、激怒しました。
 「そんな冷徹な態度は、やめるべきだ!」
 「もっと、ニセ科学擁護者の心情に寄り添って、暖かく対話するべきなんだ!」
 「これだから、世のすべてのニセ科学批判者たちは、駄目なんだ!」

 『教訓:この話は、ニセ科学批判批判に慣れ親しんだ人の場合、ニセ科学批判批判者であることを簡単にやめることができないという現実を明らかにしています』

創作小話『ニセ科学を擁護する科学素人と、普通の科学素人』

 「ふところが世界一広い科学素人」を自認するAさんは、次の信条を持っていました。
 「僕は、ニセ科学を許容する」
 「僕は、ニセ科学を好意的に紹介する人の行為も許容する」
 「それを認めずにdisっているニセ科学批判者たちは狭量だ、僕は絶対に許さない」

 その意気込みでブログを運営していたAさんでしたが、ある日にとつぜん閉鎖しました。

 不思議に思った他の科学素人たちが理由を問うと、Aさんは次のように答えました。
 「ブログを開設してからの僕は、ニセ科学批判者たちとの論争に明け暮れていた」
 「本当はニセ科学の擁護なんてする気はなかったのに、なぜか意固地になって、やってしまったんだ」

 「今日の朝、僕は目覚めてすぐに、ニセ科学批判者たちに対するネガティブキャンペーンの記事を、ブログに投稿した」
 「その直後、僕は思ったんだ」
 「こんな日々が、いつまで続くのかと」
 「こんな言論活動のありさまで、僕は一生を終えるのかと」
 「そんな老後を想像すると、虚しくなったんだ」
 「というわけで、僕は消えるね」

 それを聞いた他の科学素人たちは、安堵しました。
 「私たちは、ニセ科学の擁護にこだわらないタイプの科学素人だから、良かったね」
 「そうだね。少なくとも、毎日のようにニセ科学批判者たちからdisられる事態は、ないからね」

 【教訓】この話は、ニセ科学に擁護的なコメントの公開の数を増やしていけば後で生じる疲労感の数も増えるという現実を明らかにしています。

創作小話『二つの異なる説明を行ったニセ科学批判者』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、傍観者から次のように指摘されました。
 「あなたの説明は細かすぎる。分かりやすく、要点だけ述べなさい。科学に疎い読者も居るのだから」

 なるほどと思ってAさんが要点だけを述べていると、別の傍観者から次のように指摘されました。
 「なぜ手抜きの記事を書くのでしょうか? もっと、詳しく説明しなさい。読者たちの知的好奇心を満たしてあげるのです」

 それを聞いたAさんは、嘆きました。
 「細かく説明すると、批判される」
 「要点だけ述べると、批判される」
 「結局、私のニセ科学批判活動は全否定されるのだ。このうえは、引退するしかない」

 言い終えたAさんは、ネットの果てにある竹林に身を隠しました。(完)

創作小話『ニセ科学と対峙したニセ科学批判批判者』

 その「ニセ科学批判批判者」であるAさんは、「駄目すぎるニセ科学批判批判ばかり披露している論者」という評判を変えたいと思い、ニセ科学の論破に挑戦しました。

 しかし、ニセ科学の言論に親しみを覚えて取り込まれてしまい、持っている銭のすべてをつぎ込んで破産しました。

 それを見ていた「苛烈なニセ科学批判者」であるBさんは、感想を述べました。
 「あの結果は、まったくの不思議とは言えない」
 「ニセ科学批判批判ですらマトモにできない有り様なのに、もっと高度な知識と技術を必要とする、」
 『ニセ科学と直接対峙して矯正し、聴衆にも科学リテラシーの重要性を悟らせる』
 「を試みるなどとは」

 【教訓】この話は、身の丈にあわない批判活動は必ず失敗する、という現実を明らかにしています。