創作小話『三びきのやぎのがらがらどん的なニセ科学批判者たち』

 三人のニセ科学批判者が、昼寝をするために草原の丘を目指して家を出発しました。

 途中の橋がかかっている場所に、迂遠な話を得意とするトロ-ルが居ました。
 「こんにちは。私は、いついかなる議論の場においても、絶対的な傍観者という立ち位置を堅持してコメントする者です」
 「というわけで、今からあいまいで抽象的な前フリを長々と述べたあと、結論に一般論を提示して締めくくります」
 「その結果、あなたは消耗感におそわれます」

 それを聞いた一人目のニセ科学批判者は、言いました。
 「この私は、相手の心情に寄り添うことを大事にする穏健タイプのニセ科学批判者ですから、消耗どころか同情の気持ちが起きます」
 「あとから来る人に、聞かせてあげたらどうですか」
 「手応えがあるかもしれませんよ」

 二人目のニセ科学批判者も、同じようなことを言いました。
 「私は普通のニセ科学批判者ですから、普通に聞くことしかできません」
 「あとから来る人ならば、手応えがあるでしょう」

 三人目は苛烈なニセ科学批判者だったので、トロ-ルの言説を徹底的に修正して退けました。

 こうして三人は、草原の丘でたっぷりと昼寝をすることができました。
 (この小話は、次の記事を読んだあとで作りました)
 三びきのやぎのがらがらどん - Wikipedia

創作小話『苛烈な罵倒芸の論者と新人のニセ科学批判ブロガー』

 その苛烈な罵倒芸の論者は、新人のニセ科学批判ブロガーを見つけたので、語りかけました。
 「おい、お前! ダメなニセ科学批判を公開しているじゃないか!? お前のブログを、disってやる!」

 新人のニセ科学批判者は言いました。
 「でも僕は、近いうちにニセ科学批判を開始しますという記事を書いただけで、具体的なニセ科学批判は一つも行っていませんよ」

 苛烈な罵倒芸の論者は、「しまった、確かにそうだ」と思いましたが、気にしないふりをして語りかけました。
 「ダメなニセ科学批判のことは、どうでも良いのだ!」
 「それよりも、お前は昨年、俺の間違った主張に対して、ブログ上で的確に批判する記事を書いただろ!」
 「おかげで俺は、恥ずかしい気持ちになったのだ!」
 「ゆえに、お前のブログをdisってやる!」

 新人のニセ科学批判者は言いました。
 「でも僕は、昨年はブログを開設していませんでしたよ」

 またもしくじった苛烈な罵倒芸の論者は、動揺を隠して語りかけました。
 「そ、そんな客観的な事実はどうでもよい、とにかく俺さまは、お前のブログをdisってやる!」

 【教訓】この話は、disりを固く決意している罵倒芸の論者に向かって正論を述べたところでdisをもらう結果に変わりはないという現実を明らかにしています。

創作小話『教科書を二度読みますと言った者』

 ニセ科学を強固に擁護してブログが炎上したAさんは、ネット上で偶然に見つけた穏健なニセ科学批判者に願いました。
 「炎上をとめてください」
 「科学の素人である私の心情に寄り添って、擁護してください」
 「そうすれば、考えを変えて、科学に関する教科書を読みます」

 穏健なニセ科学批判者は、願いを聞き入れてAさんを擁護しました。
 炎上は、とまりました。
 その後、Aさんは科学に関する教科書を一冊も読みませんでした。読まない自分を、誇りさえしました。

 しばらく時が経ったころ、またもAさんはニセ科学を強固に擁護しました。ブログが、炎上しました。
 Aさんは、ネット上で偶然に見つけた苛烈なニセ科学批判者に願いました。
 「炎上をとめてください」
 「そうすれば、考えを変えて、科学に関する教科書を読みます」

 苛烈なニセ科学批判者は言いました。
 「あなたが、最初に擁護してくれた穏健なニセ科学批判者と交わした約束を破っているのを、私は知っています」
 「どうして、今回の願いを信用できましょうか」

 言い終えた苛烈なニセ科学批判者は、Aさんの科学的に間違った主張をこれでもかというほど修正しました。

 『教訓』このように、ニセ科学を擁護してブログが炎上して誰かを頼りたくなったときは、心情を量ってくれるニセ科学批判者を見極めたうえで頼みましょう。

創作小話『空飛ぶスパゲッティ・モンスターから後釣り宣言の能力を授かった者』

 ニセ科学批判者たちと議論して自分の主張が認められなかったAさんは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに願いました。
 「私の発する言葉が、すべて勝ってしまうようにしてください」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは願いを叶えてあげようとしましたが、少し虫の良い願いだと思い直し、「後釣り宣言の能力」を授けました。

 その後、Aさんは議論で勝ち続けると同時に信用を下げ続けてネット人生を終えました。

 【教訓】この話は、「自分の信用低下も厭わない、とにかく論敵をやりこめたらそれでよい」というタイプの論者に語ってあげると良いでしょう。

創作小話『科学素人と悪しき相対主義者と空飛ぶスパゲッティ・モンスター』

 科学素人のブログに、悪しき相対主義者が現れて言いました。
 「ニセ科学とまともな科学は、相対的に同じです」
 「ゆえに、」
 『ニセ科学を批判する行為=まともな科学を批判している行為』
 「という式が成り立ちます」
 「もちろんこれは、」
 『あまりに離れすぎた立ち位置からニセ科学問題を眺めた末の、ぼやあっとしたフォーカスの考察
 「という評が欲しくて言っているわけではありません」

 科学素人は、「なんのことか一つも分からないが、相手にするとややこしい議論に発展しそうだ」と判断して悪しき相対主義者を追い出しました。

 その後、なんとなく虚しい気持ちにおそわれた科学素人は、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに向かって祈りました。
 「悪しき相対主義者を相手にするときでさえ、あなたは私を助けようとしないのですね」
 「そんなことでは、苛烈なニセ科学批判者が私のブログに現れたときに、どうやって助けるつもりですか」

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターからの返事はありませんでした。
 科学素人は、がっかりしました。

 【教訓】このように、大したことをしていない状態で空飛ぶスパゲッティ・モンスターに祈っても成果は見込めず、時間の無駄に終わります。ブログ運営を尽くして天命を待ちましょう。

創作小話『ネットモヒカン族と論争するために鍛えられたムラビト的読者』

 そのムラビト的なブログの管理人は、愛読者たちに向かって言いました。
 「まもなく、ネットモヒカンたちがやってきます」
 「論争に負けないためにも、あなた方は客観的な事実を重視する思考を鍛えてください」

 それを聞いた愛読者たちは、一生懸命に思考を鍛えました。おかげでネットモヒカンたちとの論争は互角で終わりました。

 ムラビト的なブログの管理人は言いました。
 「皆さま、お疲れさまでした」
 「主観の論を重視する思考に、戻りましょう」
 「感情論を重視する思考に、戻りましょう」
 「客観的な事実を重視して語るのは思考に負担がかかります、とても長時間は継続できません」

 愛読者たちは言われたとおりにしました。

 しばらくすると、またもやネットモヒカンたちがやってきました。
 ムラビト的なブログの管理人と愛読者たちは、対抗言論を掲げることができず、徹底的な修正を受けました。

 ムラビト的なブログの管理人は、ふがいない愛読者たちを叱りました。
 「皆さんの体たらくは何ですか、ネットモヒカンたちに対抗するには客観的な思考が必要と私は言いつけていたでしょう」

 愛読者たちは反論しました。
 「たしかに私たちは、客観的に物事を語る思考を頑張って身に着けることに成功していましたが、あなたと主観的な会話を交わしていたせいで、すっかりムラビト的な思考に戻ってしまいました」

 「再びネットモヒカンたちが来たからといって、ムラビト的な思考をすぐにモヒカン的な思考へ切り変えることなどできません」

 【教訓】このように、客観的な思考を身に着けたから大丈夫と油断している時ほどしんどい状況が発生するのです。

創作小話『平和を冷静に喜ぶブログ主』

 そのブログは、ムラビト的な読者たちが集まって、のんびりと語りあう場所でした。
 ある日、ネットモヒカン族が現れて厳しい批判を展開しました。
 耐えかねたムラビトたちは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに祈りました。
 「スパモンさま、どうか、あのネットモヒカン族を追い払ってください。願いが叶った時は、ビールを捧げます」

 その後、ネットモヒカン族は去りました。ムラビトたちは、訪れた平和を喜びました。
 しかしながら、ブログ主だけは冷静でした。
 「またすぐにネットモヒカン族が来るかもしれないと考えながら、つかの間の平和を我々は喜びましょう」

 『教訓:この話は、ネットモヒカン族が去ったあとも気を抜いた言論を見せてはいけないということを教えています』

ネタのお言葉『過去ログ実ちて即ち勝ちを意識し、ネットマナー足りて即ちdisを意識する』

 この言葉は、あの「衣食足りて礼節を知る」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ネット上で多くのdisり合いを経験したブロガーは、最初は「自分の勝利で終えた」という満足感に浸ります。
 そのうち、「なぜに私は勝てたのか?」と考えるようになり、勝ちに至った経緯を分析し、「勝てたという結果よりも勝ち方の内容が重要だ」という思考に辿り着きます。

 一方で、「議論というものは、礼儀の態度がなっているか否かを一番に見るべきです」という考え方のブロガーは、ネット上で数々の議論を重ねているうちに、
「あまりに虚飾の礼を見せる論者が多い、そのせいで議論が間延びして、自分の貴重な時間を無駄に消費する結果となっている」と不満を覚えるようになり、
「この事態を解決するためには自分が直言士になるしかない、そうすれば、ちゃっちゃと議論が進んで早めに終わり、その分だけ時間の余裕が生まれる」という思考に辿り着きます。

 このようにして、モヒカン的な態度の論者が次々とインターネット上に誕生していくのです。
 【意訳、終わり
 そのように管仲は考察していた。

ネタのお言葉『エルバッキー有りて遠方より来る。また楽しからずや』

 この言葉は、論語の「朋(とも)あり遠方より来(きた)る」のエルバッキー版である。
 【意訳
 あのエルバッキーが、遠い星から私の庵を訪ねてきた。
 私は、ネット上における罵倒芸の是非をエルバッキーに質問した。
 エルバッキーは、深く頷いて、「にゃー、にゃー」と復誦した。
 宇宙動物であるエルバッキーと語り合った一時は、楽しかった。
 
 およそ、他人には理解できない話であろうが、私は気にしていないし、エルバッキーも気にする様子はない。
 ああ、そうだ。エルバッキーは、いついかなる時も君子然としているのだ。
意訳、おわり
 あのエルバッキーは、過去に孔子と出合っていたといわれている。これが、その証拠なのだという。

ネタのお言葉『罵倒芸ブロガーは良い論客さま』

 【解説】「罵倒芸ブロガーは良い論客さま」とは、あの「ウェンセスラスはよい王様」の罵倒芸版である。

 【あらすじ】その罵倒芸ブロガーは、「NATROMの日記」のコメント欄の議論で、形勢が不利になっている者を目撃する。
 罵倒芸ブロガーは副管理人に向かって、「あれは何者か」と問う。
 副管理人が答える。「あれは、ニセ科学批判批判者です」

 罵倒芸ブロガーは哀れに思い、副管理人を連れてニセ科学批判批判者に加勢する。
 「NATROMの日記」の力は凄まじく、副管理人が弱音を吐く。「これ以上、disれません」

 罵倒芸ブロガーは、副管理人を励ます。
 「私が先にdisを述べよう」
 「あなたは、私の後に続いて韻を踏むとdisりやすいであろう」

 その言葉に従うと、「NATROMの日記」の人たちと打ち解けて、暖かい雰囲気で議論が進むという奇跡が起きた。

 自分の大事なdisの芸風を、他人に惜しまず与える。
 その行為によって、与えた本人も幸せな罵倒芸の論者となれる。
 罵倒芸ブロガーの器の大きさを称えて、歌は終わる。(完)