創作小話『ネットモヒカン族が来たと嘘をつく少年』

 そのムラビト的なブログの常連の一読者であるA君は、退屈が過ぎたので何となく叫びました。
 「ネットモヒカン族が来たぞ!」

 すると、他の常連の読者たちは慌てふためきました。
 その様子を面白いと思ったA君は、再び叫びました。
 「ネットモヒカン族が来たぞ!」

 他の常連の読者たちは、大いに狼狽しました。
 A君は、その様子を見て笑い転げました。

 その後、ネットモヒカン族が現れてブログを読み始めました。
 A君は、慌てて叫びました。
 「来たぞ、来たぞ、ネットモヒカン族がっ」「ああっ、窓にっ、ログの窓に!」

 他の常連の読者たちは、信じませんでした。
 まもなく、ブログはネットモヒカン族によって閉鎖に追い込まれました。

 『教訓:この話は、ネットモヒカン族から送られてくる突然のツッコミに対しては、日ごろからどんなに警戒しても不足はないということを教えています』

ネタのお言葉『人が己のdisを知らざることを憂えず、人のdisを知らざることを憂う』

 この言葉は、あの論語に書かれている「人の己を知らざることを患えず、人を知らざることを患う」の、罵倒芸版である。
 【意訳】
 他の論者や読者たちが、自分の繰り出すdisコメントの趣旨をいまだに理解してくれないと気に病むのは、もうやめましょう。
 それよりも、自分が他の論者のdisコメントの趣旨を理解できていない現状に、気を配りましょう。
 そうすることにより、あなたの求めている真の罵倒芸の姿が見えてきます。
 【意訳、おわり】
 そのように孔子は言っている。

ネタのお言葉『われ、ネットに接続すること十五年目にしてdisを志す』

 この言葉は、あの「吾十有五にして学に志す」の罵倒芸版である。
 【意訳】
 たとえ罵倒芸に興味がない者であっても、ネット上で多数の論戦を経験するうちに、
 disばかりを放つ論者に成ってしまうものです。

 そのために、いまは礼儀を重視している新人の論者たちも、
 15年後に芸風を転換することを見越して、今からdisの鍛錬を行っておくべきです。
 【意訳、おわり】
 そのように孔子は言っている。

ネタのお言葉『dis雲之志(でぃすうんのこころざし)』

 「dis雲之志」とは、あの『滕王閣序(とうおうかくのじょ)』に書かれている「青雲之志」の、罵倒芸版である。
 【意訳】
 老いたベテランの罵倒芸論者であっても、守りに入ることなく、ますます盛んに罵倒芸を探求するべきである。

 ところが、世間の人々は、私の枯れた芸風の趣を真に知ってくれようとはしない。
 そのために、いまだに私は過疎ブロガーの状態である。

 それでも私は、罵倒芸の志を捨てたりなどしない。
 あのdisい雲が高い空に向かって遠く霞んでいくように、私の芸風も常に高みを望んでいるのだから。
 【意訳、おわり】
 そのように王勃は表明している。