創作小話『新人のムラビト的論者と、ベテランのムラビト的論者たち』

 新人のムラビト的論者であるAさんが、なにげなくニセ科学擁護の記事を書きました。

 モヒカン的論者に発見されてツッコミをもらったAさんは、初めてのプチ炎上に動揺し、わめきました。
 ファミコンゲームの『シャドウゲイト』に登場する「しんのゆうしゃ」風に、わめきました。
 「ぎゃあああ!? で、でたあ!? ネットモヒカン族だあ!?」
 「うげえ!? とてつもなく、冷徹なやつらだあ!?」
 「どうしたらいい!? どうしたら、ROMに帰ってくれるんだあ!?」

 それを見たベテランのムラビト的論者たちは、感想を述べました。
 「やれやれ、少しツッコミをもらっただけで、そんなにあわてふためくとはね」
 「何十年にもわたってモヒカン的論者から修正され続けている私たちの立場と同じになったら、いったいどうするつもりなんだい」

 【教訓】これは、ネット上の議論で他人から初めてツッコミをもらって、必要以上に気落ちしている新人の論者を励ますための、たとえ話です。

ネタのお言葉『人に授けるにdisをもってするは、disり方をもってするにしかず』

 この言葉は、あの『人に授けるに魚を以ってするは、漁を以ってするに如かず』の罵倒芸版である。
 【意訳
 罵倒芸のバリエーションが貧しい人にdisの文章を与えれば、その人は一日はdisの発表に困らない。

 しかし、disの文章の作り方を教えれば、その人は一生のあいだdisの発表に困らない。

 罵倒芸の論者がネット上で生き抜くために必要なものは、disそのものではなく、disの技である。
 【意訳、おわり
 そのように老子は言っている。