創作小話『小物を名乗るブロガーと、苛烈なニセ科学批判者』

 苛烈なニセ科学批判者であるAさんが、Bさんのブログにニセ科学擁護の記事を見つけたので、批判しようとしました。

 Bさんは、「これしきのことで炎上させられてはかなわん」と思い、急いで釈明を始めました。
 「私が書いた記事には、批判する価値などありません」
 「なにしろ私は、ネットの片隅で細々と記事を公開している、ただの泡沫過疎ブロガーなのですから
 「しかも悪意はなく、無知ゆえにニセ科学を擁護したにすぎません」
 「ところで、この地球上には、銭もうけのためにニセ科学を声高に擁護して、大いに世間を騒がしている人たちが居ます」
 「ゆえに、私のような小物は無視して放置して、その大物たちの科学的な間違いを批判するべきという結論になります」
 「どのように思われますか、この釈明の仕方は」

 Aさんは答えました。
 「科学的な間違いを批判するときに、小物も大物もありません」
 「自分の観測範囲に入った科学的な間違いを、正しいものに直す。それだけのことです
 「なお、その大物とやらの科学的な間違いも、とっくに私は批判しています。あなたが知らないだけです」

 【教訓】これは、苛烈なニセ科学批判者の場合、対象の科学的な間違いの大小にこだわらず、
 とにかく発見したら直ちに批判を実行するという現実を教えています。

ネタのお言葉『ネット上の万里、批判的思考が絶ゆ』

 この言葉は、あの『磧中作』(せきちゅうのさく)のニセ科学批判版である。
 【意訳】
 ニセ科学に対抗する言論の束を積み上げていると、空飛ぶスパゲッティ・モンスターが居る天まで届きそうになる。

 ニセ科学擁護者と対話したログは、60日を消費する。

 今夜も相互理解に達することができず、いつもの感情的な非難をもらうにとどまった。
 いったい、どのタイミングでやり取りを終焉とすべきだったのだろうか。

 ネット上を見渡してみれば、科学的に駄目なデマがパノラマ状に埋め尽くしている。

 絶望に至る思いを抑え、批判的思考の大切さを説くコメントを投じると、もれなく人々から煙たがられて、
 「主観を根拠にした説を大事にしないコメントは、あっちにいけ」と吹き飛ばされてしまった。 
 【意訳、おわり】
 そのように岑参(しんじん)は砂漠を走りながら記している。