創作小話『科学的に正確な記事を書くのは面倒だと言ったブロガー』

 その主人公であるAさんは、ぶつぶつ言いながらブログの記事を書いていました。
 「ネット上は公の場であり、不特定多数の人が見ているのだから、科学的に正確な記事を書かないといけないんだよね」
 「とはいうものの、これがけっこう神経を使う作業なんだよね」
 「ああ面倒だ、誰が手伝ってくれないかな」
 「おーい、モヒカン的な論者、ぼくのブログ記事を校正してくださーい」
 「ぼくのブログ記事を、科学的にしてくださーい」

 すると、モヒカン的な論者がAさんのブログに現れました。
 驚いたAさんは、「いえいえ、自分一人で記事を仕上げます、どうぞお引取りください」と言って助力を断りました。

 【教訓】このように、記事の推敲は面倒で気の進まない作業ですが、モヒカン的な論者に修正されて疲弊する事態に比べればマシといえるのです。

ネタのお言葉『disの効力を知りてdisれども、ルール無用のデスマッチまで生ずるは、また行うべからざるなり』

 この言葉は、あの論語の「和を知りて和すれども、礼を以って之を節せざれば、また行うべからざるなり」の罵倒芸版である。
 【意訳
 disり合いは抑制の態度が尊いのであり、ネットの黎明期に活躍した罵倒芸の論者たちも、
 静かな雰囲気のdisり合いを美しいとみなして実践していました。

 しかしながら、最近の罵倒芸の論者たちの一部では、
 「とにかくdisる! とにかくdisで、自分を押し通す!」という前のめりの姿勢が支配的であり、嘆かわしいことです。

 disの効力を最大限に引き出すことは良いのですが、disることそのものが目的と化したdisり合いは、また美しさも無くなってしまうのです。

 無の境地の罵倒芸を実行せよとまでは言いませんが、とりあえずは、
 「余計なことを言わず、相手の主張の内容に的を定めて、disを突きつける」
 「逆に、自分の主張の穴にdisを突きつけられたときは、素直に認めて主張の穴を埋める」
 という態度を維持することにより、皆さんにも美しいdisり合いが達成できることでしょう。
 【意訳、おわり
 そのように有子は説教している。

創作小話『詐欺師と科学素人の村』

 その流れの詐欺師は、科学素人ばかりが住んでいる村を訪れて、ニセ科学的な製品を売り始めました。
 村人たちは、喜んで購入しました。
 「これはすごい、飛ぶように売れる」と詐欺師も喜びました。

 しかし、村人たちのニセ科学に対する無邪気な信じようを眺めていると、詐欺師は今までにない不思議な感覚におそわれました。
 「なんなんだ、この村の者たちは? 誰一人疑いもせず、ニコニコ笑顔で買うなんて」

 完売して商品が無くなると、村人たちは詐欺師に迫りました。
 「もっと欲しい……もっと、欲しい!」「私たちは、科学的な品に飢えているんです!」

 それを聞いた詐欺師は、我慢できずに言いました。
 「お前たちの科学リテラシーは、どこへ行ったのだ?」
 「明らかに科学的に間違っている売り文句を聞かされているのに、何かがおかしいとは思わないのか?」
 「そんなのん気な態度を見せているから、この国にニセ科学が蔓延してしまうんだぞ!?」

 【教訓】これは、他人から怪しい話を聞かされたときは、すぐに飛びつかないで裏を取る癖をつけましょうというお話です。

創作小話『食に関する炎上芸を悔やんだブロガー』

 その泡沫ブロガーであるAさんは、有名ブロガーになる方法を考えました。
 「食に関する変な記事を書けば、ニセ科学批判者たちから総ツッコミが来るにちがいない」
 「そうなれば、アクセス数が大幅に増えて、泡沫ブロガーから脱却できる」

 さっそくAさんは、変な記事を書いて公開しました。
 『あのモンサントの語源は、ポケモンのサンドパンである』『理由:語呂が似ている』
 「よしよし、飛躍した論理の主張に仕上がったぞ、これを無視できるニセ科学批判者は居ないだろう」

 その後、アクセス数はほとんど増えませんでした。
 というのも、ニセ科学批判者たちは「手袋でおにぎり握るのは愚の骨頂」という話題にツッコミを入れることで忙しく、
 Aさんの記事は二の次と判断したのでした。

 それを知ったAさんは、失望しました。
 「空振りになると予め分かっていたならば、変な炎上芸など実行しなかったのに」

 言い終えたAさんは、ブログを閉じてネット上から消えました。
 以上、「食に関する炎上芸を悔やんだブロガー」というお話でした。

 (この記事は、以下の「はてなブックマーク」を参考にして作りました)
 はてなブックマーク - 日本のマザー・テレサ「手袋でおにぎり握るのは愚の骨頂」│NEWSポストセブン

ネタのお言葉『disの過ちは、すばやく改める態度がよかれ』

 この言葉は、論語の「過(あやま)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」の罵倒芸版である。
 【意訳
 真の罵倒芸を追求している論者は、言葉を軽く使ってはいけません。
 威厳が感じられず、論敵から軽く扱われてしまいます。

 罵倒芸も学問の一つとして捉え、頭を柔らかくしてdisの勉強に励みましょう。
 不器用でも骨のあるdisを述べる論者と親交を深め、
 見かけが立派で中身が空っぽなdisを述べる論者とは距離を置きましょう。

 ネット上で公開したdisに間違いがあったときは、
 「素直に誤りを認めると負けたことになるから嫌なのだ」という気持ちを抑え、
 すみやかに主張を撤回し、訂正の言葉を述べ、disり合いの流れをなめらかにしてあげましょう。
 この態度に徹することにより、
 「なんだか今日は、いつもより早く終わりましたね?」と皆が満足して解散できるのです。
 【意訳、おわり
 このように孔子はアドバイスしている。

創作小話『ニセ医学的なエサを見つけたカラス』

 空腹のカラスが、ニセ医学的なエサを見つけました。
 さっそく食べようとしましたが、ニセ医学のエサに書かれている文章を見て気に入りました。
 「おもしろそうなことが書かれているな、もっと読んでみよう」

 やがて、ニセ医学にどっぷりと嵌ったカラスは、体調を悪くして倒れました。
 意識が遠くなりながら、カラスは言いました。
 「なんてことだ、自分の気に入ったものが仇になるとは」

 【教訓】これは、すぐにでも手に入れたいと思う物が、今の自分にとって本当に必要な物かどうか、
 深く考えないで行動してしまうタイプの人に聞かせてあげるお話です。

創作小話『空飛ぶスパゲッティ・モンスターから試されたニセ科学批判批判者』

 そのニセ科学批判批判者であるAさんは、一部の読者から高く評価されていました。
 それを知った空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、
 「なるほど賢そうな人間だ、あの様子ならば、ニセ科学批判も立派にやり遂げるであろう」
 と考えて、Aさんをニセ科学批判ブログの管理人にしてあげました。

 しかし、一抹の不安を覚えた空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、Aさんを試すことにしました。
 「科学的な議論を前にして、客観的な意見ばかりを述べたならば合格としよう」

 その後、空飛ぶスパゲッティ・モンスターと科学的な議論を始めたAさんは、
 最初は客観的な意見を述べていたものの、多大なストレスを感じたので、
 方針を転換し、主観を根拠にした意見で押し通しました。

 それを見た空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、
 「やはりニセ科学批判批判者は、どこまでもニセ科学批判批判者なのだ」
 と言って、Aさんをニセ科学批判ブログの管理人から外しました。

 【教訓】これは、表面上の態度はすぐに変えることが可能でも、思考回路までを簡単に変えることは難しいというお話です。

ネタのお言葉『参考にしていたログ、たちまちニセ科学で満ち』

 この言葉は、あの『夏日南亭懐辛大』(かじつなんていにて、しんだいをおもう)のニセ科学批判版である。
 【意訳
 今まで愛読していたブログが、最近になってニセ科学擁護の記事を量産し始めた。
 しばらく困惑した私だが、ようやく事態を飲み込んだ。
 いっちょ噛みのコメントを持参して私は説得を試みたが、ブログ主は嘲笑を常時で返してきた。

 コメント欄を開くと、ニセ科学擁護の記事を好意的に鑑賞する人たちが集まっていた。
 もはやブログの気風は、まともな科学をdisり、逐一の感情論で占められていた。

 明鏡止水の覚悟でニセ科学擁護論を退治しようとするも、
 「一読者のくせに思い上がるな」
 「ブログ主さまは個人の感想を公開したにすぎないのだから批判するな」
 「杓子定規なことしか言えないモヒカン的な論者は、石神井池(しゃくじいけ)にでも行け」
 と反発されてしまい、支持の無きを思い知った。

 これにて、完全に終わりだ。
 科学リテラシーを重んじる私の居場所は、無くなったのだ。
 あのブログは、中傷と妄想を弄す者たちの楽園に、変わり果ててしまったのだ。
 【意訳、おわり
 このようなことがあったと孟浩然は南亭で記している。

創作小話『悪しき相対主義者を迎え入れたニセ科学批判ブロガー』

 そのニセ科学批判ブロガーであるAさんは、器の大きな人物という評価を世間からもらいたいと思い、
 悪しき相対主義者を自ブログに迎え入れて厚遇しました。

 別のニセ科学批判者であるBさんは、Aさんの態度を見て驚きました。
 「いったい、なにをやっているのですか!?」
 「そうやって、悪しき相対主義者を甘やかしていたら、次第に調子に乗って、抽象的で曖昧な論をネット上で乱発して、」
 「Aさん一人どころか、多くの人々を消耗に追い込んでしまうんですよ!?」

 【教訓】これは、悪しき相対主義に魅力を感じて思考に組み込んだ論者は、
 「議論で一人勝ちできるのは良いけれど、なんだか虚しい勝ち方だな、もうやめようかな?」
 と思っても簡単にはやめられないというお話です。

創作小話『モヒカン的論者を迎え入れたムラビト的ブログ』

 ムラビト的な雰囲気を維持していたブログの管理人が、「自分は数十年にわたってマイナーな地位に甘んじている、手っ取り早くメジャーになる方法はないものか」と悩んでいました。
 あれこれ考えた末に、「枯れ木も山の賑わいだ」と言ってモヒカン的論者たちの招き入れを決めました。
 それを知った常連の読者たちは、喜びました。

 Aさん:「いいですわねえ。この泡沫ブログも大賑わいとなって、ネットで一番の表舞台になりますわねえ」
 Bさん:「そうですわねえ。まったりな会話がぽつぽつと行われていたこの弛緩ブログも、明日からは秒単位の即レスが朝に夕に飛び交いますわねえ」
 Cさん:「わしの感情論を聞いてくれる相手が増えるのじゃ、こんなにうれしいことはないのじゃ」
 Dさん:「モヒカン的論者たちの加算、ばんざーい!」

 お祝いムードの中、Eさんが疑問を述べました。
 「なぜにみんなは平気でいられるの!?」
 「いままでも稀にモヒカン的論者が訪ねてきた時ですら、僕たちは神経を消耗して倒れていたのに、」
 「これからは、24時間365日ずっと修正を受ける身になってしまうんだよ!?」

 【教訓】この話は、「リスキーシフト」が如何にして起こるのかを教えています。