その科学素人であるAさんは、自ブログで科学に関する記事を書いて公開しましたが、心配になりました。
「一応は推敲したけれど、まだ間違いが残っているかもしれないし、いったん記事を非公開にしたほうがいいかしら」
その後、モヒカン的なブログを見つけたAさんは、悩みました。
「あのモヒカンさんに来てもらって、私の記事をチェックしてもらおうかしら」
「でも、苛烈に修正されて私は疲弊するかもしれないし、やはり来てもらわないほうがいいかしら」
「あのモヒカンさんのブログを熟読すれば、私自身で記事をチェックできるようになるかしら」
「でも、あのモヒカンさんのブログは科学の専門用語が多くて、読み進めるのが難しそうだし、」
「いったい私は、どうすればよいのかしら」
そうして悩んでいるうちに、別のモヒカン的論者が現れて散々に修正してきたので、Aさんは疲弊しました。
【教訓】この話は、自分よりも科学リテラシーの高い人から情報を得るチャンスがあるときは、すぐに行動しないと後で悔やむ羽目になることを教えています。
反証可能性についてのメモ
次の記事を読んだ。
“、反証可能性はすでに反証された仮説には存在しない。 (少なくとも形式的には)反証可能性とは、対象の命題が偽であることを経験的に確かめるテストが存在し得る、というのを意味するのでは。「可能性」なのだし。 - ublftbo のコメント - はてなブックマーク
なるほど、ublftboさんの言い分には説得力がある。
形式的には、「対象の命題が偽であることを経験的に確かめるテストが存在し得る」のだから、
現時点で「すでに反証された仮説」であっても、形式的には未来の時間のどこかで反証されてしまう可能性もゼロではないというわけだ。
これで納得して終わりたいところだが、もしかするとsanshiroさんの該当ツイートには、私の及び知らない深い考えが隠されているのかもしれない。
というわけで、ublftboさんのコメントについてsanshiroさんから詳細な反論が今後に展開されることを信じて待つしだいである。
もちろん、スルー芸を発動されてしまう可能性もあるわけだが、それもまたよしである。
“、反証可能性はすでに反証された仮説には存在しない。 (少なくとも形式的には)反証可能性とは、対象の命題が偽であることを経験的に確かめるテストが存在し得る、というのを意味するのでは。「可能性」なのだし。 - ublftbo のコメント - はてなブックマーク
なるほど、ublftboさんの言い分には説得力がある。
形式的には、「対象の命題が偽であることを経験的に確かめるテストが存在し得る」のだから、
現時点で「すでに反証された仮説」であっても、形式的には未来の時間のどこかで反証されてしまう可能性もゼロではないというわけだ。
これで納得して終わりたいところだが、もしかするとsanshiroさんの該当ツイートには、私の及び知らない深い考えが隠されているのかもしれない。
というわけで、ublftboさんのコメントについてsanshiroさんから詳細な反論が今後に展開されることを信じて待つしだいである。
もちろん、スルー芸を発動されてしまう可能性もあるわけだが、それもまたよしである。