創作小話『disの使い方が特殊な論者とツバメ』

 その泡沫ブロガーで罵倒芸論者のAさんは、disの使い方が特殊すぎて、熱烈に支持していた最後の読者すらも離れてしまいました。
 「それでも私は、いまの芸風を続ける。普通のdisなど、私にはとうていできないのだから」

 すると、一羽のツバメがAさんのブログにやってきました。ツバメは、Aさんのブログの軒下に巣を作り始めました。それを見たAさんは、喜びました。
 「ほら、私の特殊なdisを鑑賞したい者が来たぞ、ではさっそく一句」
 「disに生まれ、disに消えゆく、我がネット上の身かな」
 「若き日の、罵倒芸論者としての信用は、それなりにあった私かな」
 「と思いきや、菊池誠教授のkikulogで、科学的に変な主張を一年ほどぶってしまい、退場勧告の憂き目にあってからは、御覧のありさまかな」

 それを聞いたツバメは、つぼにはまったので笑いました。笑いすぎて、倒れました。救急車で運ばれました。あとは、ツバメの作りかけた巣だけが、Aさんのブログに残った状態となりました。

 Aさんは、あきれて言いました。「やれやれ、また私のブログは閑古鳥が鳴く状態だ。それもこれも、あのツバメのせいだ」

 【教訓】これは、ネット上で気になるブログを見つけても、すぐには支持を表明せず、ブログの方向性をじっくりと調べたうえで支持するかどうかを決定しても、遅くはないというお話です。

ネタのお言葉『500歳が過ぎてdisの春とみなし、次の500歳が過ぎてdisの夏とみなす』

 この言葉は、あの荘子の「五百歳をもって春となし、五百歳をもって秋となす」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ネットの果てに、「dis冥霊」という木があります。
 この「dis冥霊」の姿は、いつもはうっすらとしか見えませんが、500年に一度だけはっきりと見えます。

 disを続けて500年が経ち、「dis冥霊」をしっかりと拝見できたならば、あなたの罵倒芸は春を迎えたといえます。
 その後もdisを続けて500年が過ぎ、再び「dis冥霊」の姿をくっきりと拝見できたならば、あなたの罵倒芸は夏を迎えたといえます。
 その次の500年はdisの秋、また次の500年でdisの冬、これでdisの四季がひとつ完了したことになります。

 「dis冥霊」をはっきりと見た数が100回に達したとき、あなたは20万年ものあいだ罵倒芸を続けていた計算になります。

 この話を聞いて、「なるほど、20万年か。いままでネット上のdisり合いで負けてばかりで気落ちする日々を送っていたけれど、なんだかちっぽけなことに思えてきましたよ」
 というリアクションができたならば、正しい読み解きといえます。
 【意訳、おわり
 このようなポジティブ思考法を荘子は提示している。