ネタのお言葉『吾のdis、我のdisで覆われり』

 この言葉は、あの荘子の「吾、我を喪えり」(われ、われをうしなえり)の罵倒芸版である。
 【意訳
 「吾のdis」とは、思考の中で生まれたままの自然で素直なdisのことです。
 「我のdis」とは、思考の中で生まれた自然なdisを加工したdisのことです。

 罵倒芸の論者たちは、ネット上にデビューしたばかりの頃は、凝ったdisを作って公開することなど考えません。
 頭に浮かんだdisの文章を、そのまま具現化します。
 その後、各々がネット上で様々なdisり合いを経験し、少しずつ勝利を重ねるうちに、独自のdisり方を確立します。

 それは良いのですが、次のような考え方が頭を支配する可能性も高くなります。
 「自分のdisり方こそ絶対に正しいdisり方であり、他の罵倒芸論者たちのdisり方はダメダメである」
 ネット上のdisり合いで成功した方法にこだわるあまり、「別角度の視点からもdisる方法があるのでは?」という考えが次第に消えてしまうのです。

 いや、心の中で「自分のdisり方が絶対なのだ!」と思っているだけならば、まだ救いがあるといえるでしょう。

 問題は、他の罵倒芸論者たちのdisり方を表立ってダメ出しすることです。
 例:「たったいまから諸君は、私のようなdisり方を実行したまえ」
 「諸君のこれまでのdisり方は、封印とする」
 このように言われると、他の罵倒芸の論者たちは反発し、「disり方の違いを巡るdisり合い」が発生し、結論が出ずに終わり、消耗感だけが残ります。

 そうなった場合、罵倒芸論者たちの全員が、
 「議論の勝利を達成するために、数多あるdisり方から現時点で効果が高いと思われるdisり方を選択する」
 という考えを捨て去る事態となり、皆が「disり方の違いのためのdis」に没頭し、そのまま余生が尽きてしまいます。

 というわけで、「最近、読者の反応が悪いような? 少し前までは、」
 『シュッとしたdisですね! イバラを感じるdisですね! よくもまあ、そこまでのdisをお書きになられますこと!』
 「という感じで、私の罵倒芸を褒めてくれていたのに」と思った際は、
 「自分のdisり方が絶対なのだ!」という言葉が思考の真ん中に留まっていないかどうか、チェックしましょう。
 【意訳、終わり
 そのように荘子はアドバイスしている。