創作小話『礼儀を重視するブロガーと罵倒芸の読者』

 その礼儀を重視する論者のAさんは、自分のブログでネットマナーがいかに大切であるかを説教していました。
 しかし、説教を聞く人は居らず、閑古鳥が鳴くばかりでした。
 己の無力をAさんが嘆いていると、罵倒芸の論者が現れて言いました。
 「静寂なブログで清楚な礼儀を説けているのだから、あなたに何ら不足はないだろう」

『教訓』これは、どんなに妥当な主張であっても、文句をつけてあげようと思えばいくらでもつけられるというお話です。

創作小話『空飛ぶスパゲッティ・モンスターと、「よい議論の進め方のコメント」が入った樽』

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは樽を用意すると、「よい議論の進め方のコメント」をこれでもかと詰めてふたを閉じた後、一人の論者に預けてどこかに行ってしまいました。

 その論者は、樽の中身が気になり、ちょっとだけふたを開けました。
 たちまち、「よい議論の進め方のコメント」の数々が飛んで逃げ出しました。
 樽の底に残っていたのは、「後釣り宣言のコメント」だけでした。

 『教訓』そのために、現在のネット上で活動する論者たちは、「いざとなったら後釣り宣言で不利な議論をイーブンに持ち込めるんだよね!」と希望を持って言論に励んでいるのです。

ネタのお言葉『disの積むこと厚からざれば、即ち大罵倒芸を負うに力なし』

 この言葉は、荘子の「水の積むこと厚からざれば、即ち大舟を負うに力なし」の罵倒芸版である。
 【意訳
 思考に蓄えたdisの語彙が少ない論者の場合、浅い罵倒芸のみを披露します。
 思考に蓄えたdisの語彙が多い論者ならば、深い罵倒芸も実行可能となります。

 「いいや、少ない語彙のdisで十分だ、私は一本槍のdis押しで数多のdisり合いに勝ってきた」
 という御方もいらっしゃるかもしれませんが、やはり聴衆のほとんどは深みのある罵倒芸に心を惹かれるのも事実です。

 深呼吸をし、ゆったりとネットの画面に向かい、他の罵倒芸論者たちが公開しているdisのコメントを熟読し、ひとつも残さず思考にインプットする。
 その作業を日々繰り返すことにより、いままで知らなかったdisの世界がみるみると広がっていきます。

 そうして過ごしているうちに、「いままでの私の罵倒芸は、なんと小さかったことか」という心理状態となり、その日からは読者から送られる批判の言葉も悠然として受け入れる自分となっています。

 過去に成功したdisの論法に固執せず、海のようなdis、空のようなdis、宇宙のようなdis、パラレルワールドのようなdis、どこまでも広いdisを探求する心。
 そのような心を持った罵倒芸の論者は、誰よりも器の大きなdisコメントが作成可能となるでしょう。
 【意訳、終わり
 そのように荘子は言っていた。

ネタのお言葉『ツイッターのタイムラインに微妙な風の吹くあり、これ正しい風ならず』

 この言葉は、あの楊万里(ようばんり)の漢詩「夏夜」(かや・夏夜追涼)のニセ科学批判版である。
 【意訳
 そのニセ科学批判批判者が深夜に公開した逆張りのツイッターは、昼間と同じ調子どころか、ますますヒートアップしていた。

 問題にならずとブラウザを閉じた私は、別のニセ科学批判批判者のツイッターに目を移す。

 今度のニセ科学批判批判者は、いかにニセ科学がダメすぎであるかを明瞭に説明したのち、次のように締めくくった。
 「世のニセ科学批判者たちは、地球上にある全ての怪しい説を、片っ端から取り上げて批判せよ。それができないであれば、ネット上から消えよ」

 これを聞いた私は、「さきほど見せていた深く緻密な論調は、この雑なニセ科学批判批判の前フリであったか。見事なボケっぷりだ」と感心した。

 そのとき、ふと私のツイッターのタイムライン上で微妙に気になる噂話が流れていったが、これこそは100パーセントのガセであった。
 【意訳、おわり
 そのような夏の夜があったと楊万里は回想している。

創作小話『急に世間から持てはやされた逆張り芸のブロガー』

 その逆張り論者で過疎ブロガーでもあるAさんは、ニセ科学批判者たちが新たなツイートを公開するたびに正反対の主張を自ブログに書いていました。

 ある日、いつものように逆張りの記事を公開すると、たちまち大反響となりました。
 そのすべてが賞賛の声でした。Aさんは感心しました。
 「ついに一般市民たちは、ニセ科学批判者たちの主張に見切りをつけたようだ」
 「私の記事のほうが正しいことを、ようやく一般市民たちは理解したのだ」
 「これからは、私がニセ科学問題のイニシアチブを執る時代なのだ

 すると、一人の読者が現れて意見しました。
 「今回、Aさんの記事が多くの人から支持された理由を、お伝えします」
 「どうやらニセ科学批判者たちが、ひとつも推敲していないツイートを、そのままネット上に公開したようです」
 「いや、本当にダメすぎるツイートでした」
 「そのダメすぎるツイートを、Aさんは素直に逆張りしたために、科学的に全く正しい内容のブログ記事が仕上がったのです」
 「そのために、Aさんのブログ記事を読んだ人々は、」
 『やればできるブロガーではないですか!』
 『いままでダメなニセ科学批判批判を公開し続けていたのは、この前フリだったのですね!』
 「という感じで、盛り上がったのです」
 「以上で、報告を終えます」

 それを聞いたAさんは、嘆きました。
 「ああ、私は自分の実力で一般市民たちの支持を得たわけではなかったのだ」
 「いまの芸風を続けても、真の支持を得ることは永遠に叶わないのだ」
 「このうえは、引退するしかない」

 言い終えたAさんは、ただちにネット上から消えました。

 『教訓』これは、ニセ科学批判者たちが発表するコメントの内容をしっかりと把握したのちに逆張りするか否かを判断しましょうというお話です。

創作小話『悪しき相対主義を丸呑みしたブロガー』

 その主人公であるAさんは、ニセ科学批判批判者たちが集まって議論しているログを眺めていました。
 そのログの中で、一際目立つ主張を行うBさんが居ました。
 「たしかに、ニセ科学は間違っています」
 「しかしながら、主流の科学も100パーセント正しいと断言できる代物ではありません」
 「ゆえに、ニセ科学と主流の科学は同等に扱うべきという理屈になります」

 それを聞いたAさんは、「よく分からないけれど、高尚な話には違いない」と見込みました。
 さっそくAさんはBさんのサイトを訪れて、全ページを読んで思考に取り入れました。
 次の日、Aさんは自ブログで主張しました。
 「ニセ科学と主流の科学は、同等なんだ」
 「ゆえに、ニセ科学を批判している人達は、まともな科学を批判していることになるんだ」 

 すると、ネットモヒカン族が現れて修正を始めました。
 いままで経験したことのない量のダメ出しをもらったAさんは、気持ちが悪くなりました。

 耐えかねてブログの閉鎖を決めたAさんは、最後に反省の言葉を述べました。
 「僕は愚かだった」
 「Bさんのサイトを夢中で読んだ後、『悪しき相対主義・ダメな相対主義・評判』というワードでネット検索することを、どうして思いつかなかったのだろう」

 『教訓』これは、聞いていて大いに感心したニセ科学批判批判の話であればあるほど、より内容を慎重に吟味したうえで自説に採り入れるべきというお話です。

ネタのお言葉『俺ルールを書き留め、論点ずらし成りて、押され気味の議論に一矢報いる』

 この言葉は、あの「折楊柳」(せつようりゅう)のニセ科学批判批判版である。
 【意訳
 ニセ科学批判者たちが集まってすいすいと進めていた議論の場に、「きくまこ一派の意図を汲んだような主張など認めぬ、変更を要求する」と述べるニセ科学批判批判者が現れた。
 
 やり取りを続けるうちに自説の不利を悟ったニセ科学批判批判者は、自身にとって都合の良いルールを何度も繰り出して議論のかく乱を謀った。

 それは成功し、消耗感が多大に蓄積したニセ科学批判者たちは、「もう限界です、科学的な議論ができない人、それ以前に誠実な議論ができない人とはお話できません」と言って去った。

 ただ一人、「このまま議論を放棄することは惜しいと考えます、ゆえに相互理解を目指して残ります」という風変わりなニセ科学批判者が居た。

 ニセ科学批判批判者は、「私のなんじゃそらな態度に耐えたニセ科学批判者は初めてだ、かなり経験値を稼いでいる勇者とお見受けする」と感心し、そのニセ科学批判者に向かってさらに慇懃無礼な主張をブイブイと吹いてあげ、二人で盛り上がって議論は終わった。
 【意訳、おわり
 そのようなケースがあったと楊巨源(ようきょげん)は報告している。

ネタのお言葉『ときに我が押しで議論を訪ねる』

この言葉は、あの「金の草鞋で尋ねる」(かねのわらじでたずねる)の罵倒芸版である。
 【解説】ネット上の議論というものは、次のような進行が理想です。
 「皆が互いの意見に大なり小なりの違いがあることを認識し、相互理解を目指して話を進め、それを達成し、ちゃっちゃと解散し、家に一直線で戻り、当初の見積もりよりも時間の余裕ができたと喜びながら眠りにつく」

 しかし、罵倒芸の論者の場合、それが理想の議論とは限りません。ときには次のような考え方が必要な場合もあります。
「相互理解は大切だが、自分一人の勝ちを追求することは、もっと大切だ」

 議論の一人勝ちを目指す場合は、遠慮や深慮の態度を控え、ひたすら我を張るべきです。
 あの『孫子の兵法』の表紙にも、「自論を押し、他の論者の意見を却下に徹すれば、百のdisり合いも危からず」と書かれています。(表紙の隅っこに、そう書かれています)(読み取りに苦労するむっちゃ小さな文字で、そう書かれています)

 というわけで、「私はいつも自己主張が弱いんだ、私はいつも場の雰囲気に流されて望まない合意をしてしまうんだ」という論者さんは、「ときに我が押しで議論を訪ねる」という言葉をつぶやいた後で、ネットの画面を開きましょう。いつもと違う進行の議論が、あなたを待っています。
 【解説、終わり
 なお、一部の研究者は、「ときに我が押しで議論を訪ねる」が本来の文面だったと考えている。多くの先人が口伝するうちに、「金の草鞋で尋ねる」に変化したのだという。

「もしも『北斗の拳』に登場する監督の修羅さんが、『一頭の猿の行動を一年間リアルタイムで報道するテレビ番組』を村人たちに対して強制的に視聴させていたら」と考えました

 監督の修羅「おら~、村人ども~、猿の番組を見るのだあ~」
 監督の修羅「猿の番組を一秒でも見逃すと、お前たちの情報リテラシーがゼロになるぞ~」

 監督の修羅「そうなったら、お前たちは数多のニセ科学に騙されて、一斉に破産するぞ~」
 監督の修羅「そんな事態を懸念した俺様ゆえに、お前たちはこれから一年間、リアルタイムで猿の番組を視聴し続けるべきという理屈になるんだぞ~」

 監督の修羅「わかったのならば、急いでテレビの前に集まるのだあ~」
 監督の修羅「おお? はっはっは、見ろ、村人の奴ら、俺様の言うことを素直に受け入れて、かぶりつきで猿の番組を見始めたぞ~」
 監督の修羅「う~ん、感心、感心」

 ケンシロウ「そんなに感心するのなら、お前が猿の番組を見ていろ」

 監督の修羅「へ? はへ? いやいや、俺自身が猿の番組を一年間リアルタイムで見続けるのはお断りだって……てべぼ!」
 近くに居て巻き添えになった別の修羅「うわあ~、なんで俺様まで一年間、猿の番組を~!?」

「もしも『Ζガンダム』のクワトロさんとカミーユさんが、ありえない言動を見せる論者の実在性について語っていたら」と考えました

 クワトロ「聴衆に向かって、」
 『ネット上で議論を行う際は、【誰が発言しているかによって是非を判断する】という態度を見せてはいけません。【発言の内容に的を絞って是非を判断する】という態度が望ましいのです』
 「と説教した後、他所の議論の場に乗り込み、」
 『あなた方の職業は?』
 『あなた方の学歴は?』
 『あなた方の趣味は?』
 『あなた方は、きくまこさんやNATROMさんが行っているニセ科学批判に対して、いかがな感想をお持ちですか?』
 『肯定的な感想や中立的な感想を持った場合、あなた方は自動的に私の論敵と決まります』
 「と述べてドヤ顔で締めくくる論者が、一人くらいは実在するはずだ。その者をネット上で探せ、行くぞ!」

 カミーユ「居るわけないだろ、そんな言動を見せる論者なんて!」