これは、あの「五十歩百歩」の罵倒芸版である。
【なりたち】
孟子が魏の国の恵王に向かって例え話を始めました。
「ある公開討論の場で、AさんとBさんが自分達の主張の不利を悟り、完全論破に追い込まれる事態を嫌って逃げ出しました」
「Aさんは、五十歩まで逃げたところで、後釣り宣言を実行しました」
「Bさんは、百歩まで逃げたところで、後釣り宣言を実行しました」
「Aさんは、Bさんの臆病さを笑いました。Bさんは、言い返しました」
『私の方が、Aさんよりも遠い場所から公開討論の場に向かって後釣り宣言を叫んだのだから、私の方が優れている』
ここまで話した孟子は、恵王に問いました。「五十歩のところで後釣り宣言したAさんと、百歩のところで後釣り宣言したBさん、さてどちらが優れている論者でありましょうか」
恵王は答えました。「どちらもダメである。後釣り宣言して論者としての信用を落としたことに違いはない」
孟子は頷きました。「まさにそのとおり。そして、これは罵倒芸論者のブログ運営にもいえることです」
「他所のブログに赴いてdisり合いに明け暮れる日々よりも、自分のブログに悠然と腰をすえ、愛読者達の感心を呼ぶdis記事の作成に、全リソースを捧げる」
「これこそが、disブログを運営する者のあるべき姿です」
このようにして孟子は、本題であるdisブログの王道を説く前フリとして「五十歩のdis人、百歩のdis人を笑う」の例え話を用いたのでした。
【なりたち、終わり】
なお、一部の研究者は、長い時を経て「五十歩のdis人、百歩のdis人を笑う」から「五十歩百歩」に転訛したと考えている。