創作小話『新人とベテランが競ったニセ科学批判批判』

 新人のニセ科学批判批判者であるAさんが、ベテランのニセ科学批判批判者であるBさんと公開討論を行いました。
 Aさんは、「僕は無知な論者だよ、しかも無知な聴衆の代弁者なんだよ」と名乗ったあとで、山ほど自己主張しました。
 自己主張しすぎて疲れ果てながらもAさんは、「Bさんは何ら反論できないようだ、僕の完全勝利だな」と確信しました。

 すると、公開討論の開始からずっと黙っていたBさんは、やっと反論の言葉を述べました。
 「ニセ科学とまともな科学は、相対的に同じなのじゃ。すべては相対なんじゃのう。うんうん」

 これを聞いたAさんは、「ずるいぞ、そんな無敵のニセ科学批判批判を実行するなんて!」と悔しがりましたが、自分のニセ科学批判批判に関する知識はすべて出し尽くしていたので再反論ができず、諦めて退場しました。

 『教訓』この話は、そこまで強調するかというほど無知を誇示する論者は自分に絶対の自信を持っているということを教えています。
 (この話は、以下のサイトの記事にインスピレーションして作りました)
ゼウスとアポロン <福娘童話集 きょうのイソップ童話>
http://hukumusume.com/douwa/pc/aesop/08/16.htm

ネタのお言葉『ログに響く、明瞭なカッコウの鳴き声、是非の気持ちを待たず』

 これは、あの王守仁(おうしゅじん)の漢詩『題灌山小隠』(かんざんのしょういんにだいす)の罵倒芸版である。
 【意訳
 このたびの私は、自ブログの赴きを「毒吐きの披露」から「礼儀の説教」に移した。
 かつて、近隣のブログに延焼するほど炎上していた私の拠点も、ネットマナーを説き始めてからは、ついに最後の愛読者も姿を消す。

 「まるで人里から離れた岩山の頂きで呪文を唱えているようだ」と言うなかれ。
 「いまどき窮屈な礼儀の勧めをネット上に供給しても受け取る人は皆無です」と言うなかれ。

 閑古鳥の声がよく響く自ブログの空間で、ひたすらに清流の記事の生産に励む。
 この現状を、良いとか悪いなどと自己判定する時間すらも、いまの私は惜しむのだ。
 【意訳、終わり
 そのように王守仁は灌山で記している。