ネタのお言葉『君子的な罵倒芸を目指す者は、ネット上で論争する画面なし』

 この言葉は、孔子の「君子は争う所なし」の罵倒芸版である。
 【意訳
 君子的な罵倒芸という、一風変わった芸を志す論者の場合、ネット上で派手にdisり合いすることを避けたがります。

 やむをえず他所のdisり合いに参加するときでも、「つまらないdisですが……」と謙遜の言葉を述べて、おそるおそる罵倒芸を実行します。
 おそるおそる実行し終えたら、「画面汚し、失礼いたしました……」と謙遜の言葉で締めます。

 たとえdisり合いが自分の圧倒的な勝利で終わったとしても、「今回の私は、結果的に勝てただけです、内容的には、皆さんの圧勝です」と述べて相手のdisを称えます。

 謙遜に始まり謙遜で終わるdisり合いは、君子的な罵倒芸と呼ぶに相応しい態度です。
 君子的な罵倒芸ならば、ネットの画面に長々と表示されても、読者は「まるで人里から離れた自然林の中を流れる小川のようだ」と感心してくれます。
 【意訳、終わり
 このような罵倒芸を目指すべきと孔子は言っている。

創作小話『ニセ科学批判者ならば事実誤認に基づく非難も笑顔で受けとめるべきと主張した者』

 ニセ科学批判者たちに向かってAさんが主張しました。
 「ニセ科学を軽い気持ちで信じている人のツイートを読んだときは、無言でそっと離れるべきである」
 「無言でそっと離れるのが嫌ならば、やさしくて温和でふわあっとしたダメ出しを送り、遠まわしの自覚に導いてあげるべきである」
 「相手がふわあっとしたダメ出しを受け付けず、それどころか、逆に事実誤認に基づく非難を述べ始めても、諸君は笑顔で受けとめるべきである」

 「どこまでも聖人君子の態度を貫いて、いつまでも事実誤認に基づく非難を笑顔で受けとめる」
 「すると、しだいに相手は、【なぜに笑顔でいられるのか?】と疑念を抱き始め、」
 【自分の非難は間違っているのではないか、自分の信じている説はニセ科学ではないか?】
 「と思い始め、ついには確信となり、」
 【ああ、私はなんとダメすぎな言説を支持していたことか!】
 「と悟り、感謝の言葉を述べて議論の場を去る」
 「この流れこそ、真のニセ科学批判である」
 「というわけで、さっそく諸君は実行したまえ」

 聞き終えたニセ科学批判者たちは、感想を述べました。
 「そう思うのならば、Aさん自身でおこなって成果を出してください、その際は参考にします」

 Aさんは、自分の立場を説明しました。
 「この私は、第三者で中立の傍観者であり、この立ち位置を末永く維持したいと考えている者である」
 「ゆえに、私自身でニセ科学批判を行う筋合いは、一つもないという理屈になる」
 「以上で、演説を終えるとする」

 ニセ科学批判者たちは、二度目の感想を述べました。「Aさんの言いたいことは分かりました」
 「そのうえで、私たちは理想のニセ科学批判の形を自分自身で見極めたいと改めて思いました」
 「つまり、Aさんの主張に沿ったニセ科学批判を採り入れる者は、私たちの中に一人も現れなかったという有りさまです」

 【教訓】この話は、「事実誤認に基づく非難でも笑顔で受けとめる」という態度を自分自身では実行する気がない人の場合、他人に向かってするように呼びかけても冷たい反応しかもらえないという現実を明らかにしています。
 (この記事は、次のツイートにインスピレーションして作りました)
https://twitter.com/NATROM/status/1005956763865059328
https://twitter.com/NATROM/status/1005956841656934401
https://twitter.com/NATROM/status/1005957044124303361

ネタのお言葉『ニセ科学の検分中、disの小雨に会う』

 この言葉は、陸游(りくゆう)の「剣門道中遇微雨」(けんもんどうちゅうびうにあう)のニセ科学批判版である。
 【意訳
 今朝もまた、ネット上を歩くと科学的に怪しい風説が耳をかすめ、詐欺師の仕掛けた罠があちらこちらに見えている。

 若き日にニセ科学問題を憂慮して批判活動を数十年ほど続けたが、支持の声は少なく、反発の声は多くもらい、ときには中立を名乗る傍観者が現れて、
 「科学的に変な主張を信じるのも、個人の自由である」
 「ニセ科学信奉者と対話しても、相互理解に達する可能性は、ほぼゼロである」
 「自分が固く信じているニセ科学を、急には捨てられないからである」
 「ゆえに、不毛なニセ科学批判活動などやめて放置に徹するべきという理屈になる」
 「これより貴公は永遠の沈黙を保っていたまえ」
 と言ってきて、私は気落ちのリアクションばかり。

 もはや、引退を考えるときなのだろうか。
 ネットの果てにある竹林に小さな庵をセルフビルドして移り住み、朝に夕に世の不明を嘆いて過ごす日々が楽だろうか。
 そんな想像をしていると、他所のブログで新たなニセ科学的記事が公開されていたのを発見したので、自ブログで吟味を開始する。
 さっそくdisのコメントがぽつぽつ届き始めたが、もはやBGMと割り切って聞き流した。
 【意訳、終わり
 そのような日々があったと陸游は剣門の前で述懐している。

ネタのお言葉『見境いある罵倒芸はネットの果てから放つも一本にすぎず』

 この言葉は、荘子の「みそさざいは森林に巣くうも一枝にすぎず」の罵倒芸版である。
 【解説
 ネット上の数多の議論に参加してdisってきたベテランの罵倒芸論者は、「もう十分だ、disの言葉を多発する行為は」という思いを抱きます。

 その思いを大切にし、どこぞで新たな議論が発生しても、「私とは直接の関係がない論争だ、簡素に作ったdisコメントを一つ送るに留めよう」という態度に徹します。

 しかし、そうでもない罵倒芸の論者は、「もう一つ貶しを、もう一つ毒吐きを」と重ねてdisコメントを放ちます。

 およそ、実績不足を気にしている罵倒芸の論者は、思考に浮かんだdisの言葉を片っ端から具現化し、圧倒的な量で議論の勝ちを目指すものです。
 あのアニメ『起動戦士ガンダム』に登場するドズル・ザビさんも、
 「ネット上のdisり合いは数だよ、兄貴!
 と言っているように、この作戦も一理ありますが、disの数にこだわり過ぎると思考が大いに疲弊してコメント作成がストップします。

 ストップしない場合でも思考は疲弊したままですから、推敲が今ひとつとなり、論理に穴があるdisばかりを放つことになり、それを見た論敵たちは、
 「ヒャッハハ! 見ろ、あの必死の不毛な連続投稿をよ!」『ゲラゲラ
 という、漫画の『北斗の拳』に出ているモヒカンさんたちと同じリアクションを採用します。

 このことを、ベテランの罵倒芸論者は自分の過去の経験から知っており、
 「ここぞという時に、一文字のdisを公開する。それが、費用対効果の罵倒芸である
 と心得ているために、活発な議論の場に参加してもほぼ無口で通します。

 というわけで、「今の私、なんとなく非効率な罵倒芸になっているような? 自分の貴重なリソースを、無駄に消費しているかも?」
 と思った際は、「見境いある罵倒芸はネットの果てから放つも一本にすぎず」と呟いて簡素なdisを仕上げましょう。
 【解説、終わり
 そのように荘子は言っていた。

「もしもニセ科学批判者が、アニメの『機動戦士ガンダムZZ』で使用されたセリフ、『大人達が勝手に始めた戦争に、なんで子供の俺達が戦って、尻拭いしなきゃならないんだよ』を間違って覚えていたら」と考えました

 「ニセ科学推進者たちが勝手に作って広めた科学的に怪しい言説を、なんで僕たちが手弁当で批判してまわって、ニセ科学信奉者たちの反発をくらって、悪しき相対主義的な傍観者からのダメ出しまで聞いて、後始末しなきゃならないんだよ!」

世のニセ科学批判者たちからポケモンのセリフ風に感心してもらえる方法

 次の記事を発見した。
 言ってもいないことを言ったとされてしまう問題について - NATROMのブログ

 読み終えた私は、次の主張を思いた。
 【思いついた主張】「当時のNATROMさんと林衛さんのやり取りは、事前の打ち合わせがあって行われた可能性もゼロではない」
 「というのも、当時のNATROMさんと林衛さんは、『医学的な考え方に馴染みがない人々にも興味を持って読んでもらえるツイッター上の対話とは、どのような形が一番か?』というお題を立てて話し合い、」
 『やはり漫才の形が一番だ』
 『林衛さんがボケ役を務め、NATROMさんがツッコミ役を務めてツイッター上で掛け合いする』
 『そうすると、普通に対話する場合に比べて三倍の数の読者が集まるのだ』
 「という考えに至り、実行に移された」

 「このような背景があるために、我々は次のような感想を述べてはいけない
 『当時の林衛さんは、科学的な議論の形成が困難な御方だった。それ以前に、普通の議論ができない御方だった』
 『一方のNATROMさんも、早い時期に『相互理解の達成は絶対に不可能な相手』と判断しておけば、『底に穴が開いたバケツに水を入れるような不毛感が増すばかりでがっかり』と嘆く日々は来なかった』

 「このような感想を述べてしまうと、『実は演出のやり取りでした』と明かされたときに、『返せ……。返せ! 真面目に分析して感想文にまとめた僕のリソースを、返せ!』と叫ぶ事態となる」

 このような主張をニセ科学批判者たちに向かって述べると、次のように感心してくれる。
 【ゲームのポケモンで使用されたセリフ、『かがくのちからって すげー!』風に感心するニセ科学批判者たち】
 「可能性もゼロではないという言葉のちからって、すげー!
 「この言葉をあらかじめ述べておけば、その後に根拠がない話を山ほどしても、読者たちは完全否定ができなくなってしまうんだ!

 以上、世のニセ科学批判者たちからポケモンのセリフ風に感心してもらえる方法であった。