この言葉は、荘子の「みそさざいは森林に巣くうも一枝にすぎず」の罵倒芸版である。
【解説】
ネット上の数多の議論に参加してdisってきたベテランの罵倒芸論者は、「もう十分だ、disの言葉を多発する行為は」という思いを抱きます。
その思いを大切にし、どこぞで新たな議論が発生しても、「私とは直接の関係がない論争だ、簡素に作ったdisコメントを一つ送るに留めよう」という態度に徹します。
しかし、そうでもない罵倒芸の論者は、「もう一つ貶しを、もう一つ毒吐きを」と重ねてdisコメントを放ちます。
およそ、実績不足を気にしている罵倒芸の論者は、思考に浮かんだdisの言葉を片っ端から具現化し、圧倒的な量で議論の勝ちを目指すものです。
あのアニメ『起動戦士ガンダム』に登場するドズル・ザビさんも、
「ネット上のdisり合いは数だよ、兄貴!」
と言っているように、この作戦も一理ありますが、disの数にこだわり過ぎると思考が大いに疲弊してコメント作成がストップします。
ストップしない場合でも思考は疲弊したままですから、推敲が今ひとつとなり、論理に穴があるdisばかりを放つことになり、それを見た論敵たちは、
「ヒャッハハ! 見ろ、あの必死の不毛な連続投稿をよ!」『ゲラゲラ』
という、漫画の『北斗の拳』に出ているモヒカンさんたちと同じリアクションを採用します。
このことを、ベテランの罵倒芸論者は自分の過去の経験から知っており、
「ここぞという時に、一文字のdisを公開する。それが、費用対効果の罵倒芸である」
と心得ているために、活発な議論の場に参加してもほぼ無口で通します。
というわけで、「今の私、なんとなく非効率な罵倒芸になっているような? 自分の貴重なリソースを、無駄に消費しているかも?」
と思った際は、「見境いある罵倒芸はネットの果てから放つも一本にすぎず」と呟いて簡素なdisを仕上げましょう。
【解説、終わり】
そのように荘子は言っていた。