この言葉は、論語の「いずくんぞ佞(ねい)を用いん」のニセ科学批判版である。
【意訳】
ある人がツイートしました。
「ネット上で活動しているニセ科学批判者たちの一部には、ニセ科学擁護者と対話する際に淡々とした態度を見せるばかりで、暖かい言葉の一つもない者が居ますが、これはいかがなものでしょうか?」
それを聞いた孔子は言いました。
「場合によっては、淡々とした態度も有りといえます」
「たとえば、ニセ科学擁護者の心情に寄り添うことに気を取られすぎていると、ニセ科学擁護者は次のような疑念を抱きはじめます」
『なんだか慇懃無礼なニセ科学批判者だな? もしかして、科学素人の私をバカにしているのかな?』
「それはやがて確信となり、」
『そんな慇懃無礼で心のこもっていない対話しかできないから、世のニセ科学批判者たちは役立たずと言われているんだよ!』
「と怒りと失望を表して、去ってしまいます」
「もちろんニセ科学擁護者の背景事情に思いを馳せつつ、優しくふわあっとしたダメ出しを呈し、遠まわしの自覚に導いてあげるニセ科学批判が理想ですが、」
「それが現時点で実行できないニセ科学批判者は、」
『聴衆の印象がどうのこうの、長期的な戦略がどうのこうの』
「などと考えず、目の前にある科学的な間違いに簡素な指摘を放って終わる態度が無難といえるでしょう」
【意訳、終わり】
このように孔子はネットモヒカン的な態度を比較的ましなものとして評価していた。