この言葉は、論語の「君子徳を懐(おも)えば、小人は土(ど)を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵(けい)を懐う」の罵倒芸版である。
【意訳】
ネット上で数々のdisり合いを経験したベテランの罵倒芸論者は、「いかに短縮したdisのコメントを作るか」という部分に神経を集中します。
デビューしたばかりで経験が浅い罵倒芸の論者は、「いかに多くの悪罵で画面を占めるか」という部分にこだわります。
ベテランの罵倒芸論者は、邪念の抑制された厳かなdisり合いの雰囲気を作ることに気を配ります。
新人の罵倒芸論者は、自分の実力不足をごまかそうとして、荒れに荒れて混沌としたdisり合いの雰囲気を作ることに一生懸命となります。
【意訳、終わり】
論者の芸風は人それぞれであるが、
「脳内に浮かんだ数多の罵詈雑言を次々と文章化してネット上に投稿する」
という芸風は、尋常でない疲れが溜まって体によくない。
脳の働きも鈍り、それまでの雑言がマシだったと思うほどの酷い論理の文を作ってしまう。
酷い論理の例:「反論者たちは疲れて議論を中止して退場したよ? よって僕の主張に誤りは一つも含まれていなかったという理屈になるよ? 僕の一人勝ちだね!」
この体たらく、いままで支持してくれていた読者たちも流石にあきれて離れてしまう。
その後は閑古鳥の鳴き声がログに響く。「カッコー、カッコー」
キジバトの鳴き声が聞こえてくるほどの過疎ログになる。「ホーホ、ホッホホー。ホーホ、ホッホホー」
アオバトの姿もはっきり見えるほどにスカスカなログの空間となる。「ホー、ホワオー、ホワオー、ホワー」
その事態を避けるためにも、「簡素なdisで早めに議論を終わらせて、あまった時間で他の作業に従事する」という芸風を選択するのが賢明といえる。