この言葉は、論語の「能(よ)く礼譲を以(もっ)て国を為(おさ)めずんば、礼を如何(いかに)せん」の罵倒芸版である。
【意訳】
孔子が言いました。
「頭にすっと入るようなdisコメントを皆が投稿すれば、ログの流れが素直になって、第三者にも読みやすくなります」
「独りよがりなdisコメントを皆が投稿すれば、ログの流れがぎこちないものとなって、第三者にも読みにくくなります」
「そのような無残なログを作り上げてしまっては、せっかくのdisコメント作りに要した時間と労力が無駄になってしまいます」
【意訳、終わり】
自慢のdisりも、読む人に理解してもらえなければ意味がない。
「どのようにすれば、万人に伝わるdisができるか?」
という自問を常に行い、そのうえでdis作りに励む。
そうして仕上げたdisならば、ほぼすべての読者に伝わるだろう。
もちろん、
「脳内に浮かんだdisをダイレクトに文章化すればよいのだ、そのほうが自分にとって楽な作業なのだ」
という考え方もあるが、その場合は困惑のリアクションを見せる読者ばかりとなるだろう。
例:『さっきから色々とdisの言葉を並べているけれど、結局あなたは何を主張したいの?』
主張の中身が理解できなければ、賛否を表すことができない。
いつまで経っても支持者が増えない。
ゆえに、「明瞭で頭にすっと入るdis」の効果は高いといえる。
このことを、孔子は数千年前に指摘していたのである。