この言葉は、論語の「聞くままに斯れ行わんや 」の罵倒芸版である。
【意訳】
子路(しろ)が問いました。
「ネット上を歩いていたらニセ科学的なサイトを見つけました、私はコメントの体裁を気にせず、脳内に浮かんだdisを即座に文章化して公開してもよいでしょうか」
孔子は答えました。
「すでにネット上には苛烈でベテランのニセ科学批判者が多く活動しています、その者たちのdisり方をすべて観察したあとに、自分のdisり方を決めなさい」
次に冉有(ぜんゆう)が問いました。
「ネット上を歩いていたらニセ科学的なサイトを見つけました、私は少々雑な仕上がりでも気にせずに、思いついたdisのコメントをありのまま放ってよいでしょうか」
孔子は答えました。
「思いついたdisをありのまま放ってあげなさい」
傍観していた公西華(こうせいか)が疑問を述べました。
「子路と冉有は似たような問いを述べましたが、先生は違う答えを示しました、その意図はなんですか」
孔子は説明しました。
「子路は、科学的に間違っている主張を憎む気持ちが強すぎるあまり、かえって自身が論理に穴だらけのコメントを公開してしまう危険がありました、ゆえに十分に推敲できるだけの時間を与えてあげました」
「冉有は、遠まわしでふわあっとしたダメ出しばかりを述べて時間を必要以上に長く使う傾向がありました、ゆえに素早いダメ出しを実行させることで費用対効果の大切さを自覚させてあげました」
【意訳、終わり】
ニセ科学を推進する側の者たちは、それぞれで異なる理屈を述べており、それぞれ異なる数のカモを獲得している。
ニセ科学を批判者する側の者たちも、それぞれで異なる芸風を展開しており、それぞれ異なる信頼度を獲得している。
デビューして間もないニセ科学批判者は、
「いろんなパラメータがあるのだな、半年ROMれという言葉の意味は、これなのだな」
と思いながらdisコメントを作ろう。
そうすれば、より隙の少ないdisコメントが仕上がるために、公開したあとの安心感が高くなる。
もちろん、
「そんなの面倒だ、その時その場の気分で好きなようにdisっておけばよいのだ、どうせニセ科学推進者たちは考えを改めないのだから」
という意見の御方も居られるだろうし、それで済む場合もあるだろう。
しかしながら、
「disコメントの作成に費やす気力、費やす時間、公開したときに第三者へ与える印象、長期的な戦略、その他もろもろ、これらを踏まえたうえで行うニセ科学批判が、一番シュっとしている」
という考え方を、どうか心の引き出しの奥に入れておいてほしい。
いざという時に潰しが効く。
【いざという時って?】
たとえば、複数のニセ科学推進者たちから同時に論戦を挑まれたので承知すると、ニセ科学推進者たちは詭弁のコメントを一斉に放ち、自分は一身に受けて倒れてしまったとする。
そのあとに、どこからともなく謎の応援団が現れて、
「負けたと思うまで! ニセ科学批判は! 負けない!」
と超人メタルダー風に歌ってくれて、
ポケモン的な「ニセ科学批判てだすけ」の技も実行してくれて、
おかげでHPの数値を回復した自分は立ち上がり、呪文を唱える。
空飛ぶスパゲッティ・モンスターよ
雲を呼べ 嵐を呼べ いかづちをおろせ
われに科学リテラシーを授けよ
disのエクスペリアームス
そしてニセ科学推進者たちの詭弁をすべて打ち払うことに成功しました……という時である。