ネタのお言葉『ネットモカンの精鋭たちよ、逃げ去り道の無きまでにデマを破ることなかれ』

 この言葉は、鄭谷(ていこく)の詩「曲江春草」のニセ科学批判批判版である。
 【意訳
 語るに落ちるニセ科学を肯定してドヤ顔を決めているブログに、炎上の煙が漂っている。
 アドホックな理屈で装飾した言い訳を、気が遠くなるほど書き連ねて、被せのドヤ顔を決めるブログ主。

 すでに穏健派のニセ科学批判者たちは見切りをつけて去り、かわりにモヒカン的な思考の人たちが現れて、ハイエナジーな姿を披露している。
 「ヒャッハッハ、EM菌を擁護する記事だあ!」
 「化学物質過敏症を擁護した記事もあるぜー!」
 「おい見ろよ、あのブログ主、マイナスイオンの擁護までしているぜ?」
 「やれやれ、今じゃssfs21th氏以外の私怨的なニセ科学批判批判者たちですら、マイナスイオンには言葉を濁すってのによ!」

 デマの拡散を許さない気持ちは分かるし、労力を惜しまずに対抗言論を掲げてくれる有りがたい存在のネットモヒカンたちではあるが、
 どうか完全に退路を断つような真似はせず、なにかしらの逃げ道を残してあげてほしい。

 そうすれば、見知らぬ他人から遠慮のない修正をもらって激怒していたブログ主も、少しずつ冷静を取り戻し、
 批判された意味を理解し、自分のニセ科学的な記事群を自分でdisりながら一つずつ消していく可能性も、ゼロではないのだから。
 【意訳、終わり
 そのような詩を鄭谷は曲江のほとりで作っている。

ネタのお言葉『そもそもを見定めたあとのdisは、これ賢の罵倒芸か』

 この言葉は、論語の「抑々(そもそも)亦(また)先(ま)ず覚る者は、是(これ)賢か」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「他人が発したdisに裏の意図があるかもしれないなどと、疑ったりしないことです」
 「自分が発したdisに他人から信憑性を疑われているかもしれないなどと、心配しないことです」
 「ネット上の他所で発生した騒動にも直ちに飛びつかず、全体像を把握したうえで毒吐きの評論を放ってあげましょう」
 「これが自然にできるようであれば、まず賢者の罵倒芸といえるでしょう」
 【意訳、終わり】 
 他人が公開したdisコメントを読む際は、変な解釈をしないで書いてある文面の通りに受けとめる。
 自分が仕上げたdisコメントは、「趣旨がちゃんと読者に伝わるだろうか」などと悩まず、自信を持って公開する。

 罵詈雑言の応酬でリソースを無駄に消費しているログを見つけたときは、「そもそもの論点はなんでしたの?」と言ってログを通読し、論点を理解し、「それ以上の脱線は許しませんわ」とログに居る皆を叱りつけて本論に戻してあげる。
 これが賢い罵倒芸の有りようであり、いついかなる状況でも無意識に実行できるのが理想と孔子は指摘していたのである。

 賢者の罵倒芸どころか隠者の罵倒芸すら悟っていない今の私であるが、無意識といわずも意図して動いて結果を残す論者のレベルくらいには辿り着きたい。