この言葉は、論語の「君子固(もと)より窮(きゅう)す、小人窮すれば斯(こ)こに濫(みだ)る」の罵倒芸版である。
【意訳】
陳という国を通りかかったところで、孔子の一行は食料が尽きました。皆が所持しているスマートフォンの電池残量も、0となりました。
他の旅行者たちは、持っている食料を頭の上に掲げて、「インスタ映えする~」と言いながらスマートフォンで写真を好きなだけ撮っていました。
状況の落差に耐え切れず、子路(しろ)がプチ切れして孔子に問いました。「君子的な罵倒芸を真摯に探究している論者でも、みじめな思いをすることがありますか!?」
孔子は答えました。「もちろん、あります」
「しかしながら、君子的な罵倒芸を探究している論者は、一歩も動けないほど腹がすいていたり、所持しているスマートフォンがただの板と化したときでも、プチ切れの態度を表立って見せたりしません」
「そこが、つまらない罵倒芸で満足している論者との違いです」
それを聞いた子路は、「私はつまらない態度を見せてしまった、皆が飢えとスマートフォンの電池切れで困っているときに、私は無駄に大声を出して皆をさらにうんざりさせてしまった」と反省しました。
【意訳、終わり】
私の場合、「そのような状況でプチ切れを表す自分は居ない」と言い切れないために、今から脳内でシミュレーションを繰り返し行い、現実で起きた際に涼しい顔でやり過ごせる自分を作っておきたい。