創作小話『ウルトラマンの音楽の「ワンダバ」風に感想を述べた者たち』

 あるブロガーのAさんが、愛読者たちに向かって説教しました。
 「ネット上で議論を行う際には、罵倒の言葉を使用してはいけません」
 「たとえ、異論を述べる相手が悪い態度に終始していたとしても、あなた方は礼儀の態度に徹するべきです」
 「それこそが、大人の論者というものなのです」

 Aさんが言い終えると、態度の悪い異論者が現れました。
 それを見たAさんは、罵詈雑言で応対しました。
 一通りdisってあげた後、Aさんはすがすがしい表情で言いました。
 「ああ、すっきりした」
 「相手が悪い態度を見せていたんだもん、こちらが遠慮する必要はないんだものね!」

 それを聞いた愛読者たちは、「帰ってきたウルトラマン」で使用された音楽の「ワンダバ」風に感想を述べました。
 「ダブスタだ・ダブスタだ・ダブスタなのだ……」
 「ダブスタだ・ダブスタだ・ダブスタなのだ……」
 「信用が・すこぶる・ダウンしたのだ……」
 「呆れたから・帰路を・スタスタなのだ……」

 言い終えた愛読者たちは、Aさんのブログから去りました。
 その後ろ姿を見送ったAさんは、「言うは易し、行うは難し」という言葉の意味を痛感しながらブログを閉鎖しました。

 以上、「ウルトラマンの音楽の『ワンダバ』風に感想を述べた者たち」というお話でした。

ネタのお言葉『直きのdisを以って怨みのdisに報い、徳のdisを以って徳のdisに報ゆ』

 この言葉は、論語の「直(なお)きを以(もっ)て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ある罵倒芸のブロガーが孔子に問いました。
 「論敵から怨みのdisコメントをもらったときに人徳のdisコメントを返してあげる態度は、どうでしょうか?」
 孔子は答えました。
 「その態度を良しとするならば、論敵から人徳のdisコメントをもらったときに何のdisコメントを返してあげられるのでしょうか?」
 「怨みのdisコメントをもらったときは率直なdisコメントを返し、人徳のdisコメントをもらったときは人徳のdisコメントを返す、これならば釣り合いがとれます」
 【意訳、終わり
 議論の際に相手から恨みがましいコメントをもらったときは、寛容な態度を見せず、毅然とした態度で跳ね除ける。
 心温まるダメ出しコメントをもらったときは、こちらも心温まる反論コメントで答えてあげる。
 この二つの態度を維持することにより、議論が脇に逸れずさくさく進み、早めに相互理解に達して早めに解散できる。
 これが理想の議論のあり方だと孔子は主張していたのである。

 しかしながら、議論の相手から「私怨的なニセ科学批判批判のコメント」をもらったときは、少し事情が違ってくる。
 「相手にするだけ時間の無駄ですわ」と判断して捨て置くも良し、「主張の中身に真正面から反論できないので人格攻撃を実行して己の溜飲を下げようとする負けず嫌いの哀れな人だ」と同情してあげるも良し、「私怨的なニセ科学批判批判の公開はあなたの評判を地に落とす行為なのでやめましょう」と諫めてあげるも良し。

 このように、他のお題で議論をしているときはともかく、ニセ科学をお題とする議論で私怨的なニセ科学批判批判のコメントをもらった場合は、様々な対応のルート選択がある。
 「恨みがましいニセ科学批判批判には毅然とした態度で臨む、これがただひとつの正解だ!」と気負う必要はないのである。

ネタのお言葉『敏のdisなれば即ち功あり、公のdisなれば即ち喜ぶ』

 この言葉は、論語の「敏なれば則(すなわ)ち功あり、公なれば則ち説(よろこ)ぶ」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ネット上のdisり合いの場において、寛容なdisばかりを公開したならば、人望の数値がアップします。
 誠実なdisばかりを公開したならば、信頼の数値がアップします。

 鋭敏なdisばかりを公開したならば、功績の数値がアップします。
 公平なdisばかりを公開したならば、聴衆の満足度がアップします。
 【意訳、終わり
 罵詈雑言を並べただけのコメントはいけない、信頼や功績を高めることを視野に入れたdisコメントを述べるべきという主張である。
 「そんな戦略は面倒だ、脳内に浮かんだ毒吐きの言葉をそのままネット上で具現化する作業が楽でよいのだ」という御方はともかく、そうでもない御方は思考の片隅にメモしておこう。

 ちなみに私の場合、信頼や功績の向上はひとまず脇に置き、読者様から「ツッコミどころ満載ですね」と評してもらえるdisコメントを普通に披露できる状態が理想と考えている。
 ゆえに、次のようなオリジナルの芸をしばし探究したい所存。

 【しばし探究したいオリジナルの芸
 1:まずは、疫学の教科書をほぼ読まないままで疫学の玄人たちに論戦を挑む。
 2:返り討ちにあう。
 3:後釣り宣言する。
 4:ドヤ顔を決める。
 5:それを見た疫学の玄人たちと聴衆「ポカーン…」
 6:ミッションコンプリートである。

ネタのお言葉『真の罵倒芸を信ずること篤からずんば、いずくんぞネット上で能く有りと為さん』

 この言葉は、「道を信ずること篤(あつ)からずんば、焉(いずく)んぞ能(よ)く有りと為(な)さん 」の罵倒芸版である。
 【意訳
 子張(しちょう)が言いました。「人徳のある罵倒芸を執り行い、真の罵倒芸を信じて思索する。それをしない論者は、ネット上で山ほどdisを述べていても、ROM専門の人と区別がつかないほどの存在感となる」
 【意訳、終わり
 多くの人々から信頼されるdisコメントの作成に努めつつ、いま以上に高度なdisり方があるはずと信じて探究する。
 この二つを同時に行うことにより、後世の人々にも支持される伝説級の罵倒芸論者になる。

 「私は常に正しいことしか言わない人である、ゆえに異論を述べる者たちはみんな間違っているという理屈になる」というスタンスで罵倒芸を実行している論者、
 「前フリが長いわりに本論はスカスカ、たどり着いた結論もなんのことはないただの一般論」というレベルで満足している論者のdis記事は、人々も丁寧に読みたいという気持ちが起きないために、記憶に残すことなく捨て去られる。

 真の罵倒芸を求めて修行中の私であるが、いつの日にか万人から信頼されるdis記事を量産する自分となり、数十年、数百年と語り継がれるブログをネットの片隅に刻んでおきたい。

ネタのお言葉『遠きdisを致さんには思考の泥まんことを恐る』

 この言葉は、論語の「遠きを致(いた)さんには泥(どろ)まんことを恐(おそ)る」の罵倒芸版である。
 【意訳
 子夏(しか)が言いました。「ネット上の片隅でdisをブイブイ云わしている泡沫過疎ブログを見つけ出して感動することも、時にはあるだろう」
 「しかしながら、遠大な罵倒芸の道を歩いている者にとっては、取るに足らない路傍の小さなdisを一歩進むごとに拾ってあげる行為は、自分の時間を無駄に消費する行為であるし、いたずらに自分の思考を濁らせる行為である」

 「ゆえに、君子的な罵倒芸を一刻も早く会得したいと考えている者は、『威勢がいいわりに内容は薄い』というdisコメントは無視し、『低姿勢のダメ出しなのに内容がむっちゃ濃い』というdisコメントを優先して読むべきである」
 【意訳、終わり
 私の場合、少しでも気になる他人のdisコメントをネット上で見つけたときは、即座に飛びついて拝読し、
 「読む前は深い意味がある哲学的なdisコメントかなと思ったけれど、よく読んでみたら罵詈雑言を思いつくまま並べたにすぎない文章だった、この時間はなんだったのだ?」
 と後から悔やむ傾向があるために、今後は事前によく吟味して有益なdisコメントだけを思考に収めたい。