この言葉は、論語の「遠きを致(いた)さんには泥(どろ)まんことを恐(おそ)る」の罵倒芸版である。
【意訳】
子夏(しか)が言いました。「ネット上の片隅でdisをブイブイ云わしている泡沫過疎ブログを見つけ出して感動することも、時にはあるだろう」
「しかしながら、遠大な罵倒芸の道を歩いている者にとっては、取るに足らない路傍の小さなdisを一歩進むごとに拾ってあげる行為は、自分の時間を無駄に消費する行為であるし、いたずらに自分の思考を濁らせる行為である」
「ゆえに、君子的な罵倒芸を一刻も早く会得したいと考えている者は、『威勢がいいわりに内容は薄い』というdisコメントは無視し、『低姿勢のダメ出しなのに内容がむっちゃ濃い』というdisコメントを優先して読むべきである」
【意訳、終わり】
私の場合、少しでも気になる他人のdisコメントをネット上で見つけたときは、即座に飛びついて拝読し、
「読む前は深い意味がある哲学的なdisコメントかなと思ったけれど、よく読んでみたら罵詈雑言を思いつくまま並べたにすぎない文章だった、この時間はなんだったのだ?」
と後から悔やむ傾向があるために、今後は事前によく吟味して有益なdisコメントだけを思考に収めたい。