この言葉は、「道を信ずること篤(あつ)からずんば、焉(いずく)んぞ能(よ)く有りと為(な)さん 」の罵倒芸版である。
【意訳】
子張(しちょう)が言いました。「人徳のある罵倒芸を執り行い、真の罵倒芸を信じて思索する。それをしない論者は、ネット上で山ほどdisを述べていても、ROM専門の人と区別がつかないほどの存在感となる」
【意訳、終わり】
多くの人々から信頼されるdisコメントの作成に努めつつ、いま以上に高度なdisり方があるはずと信じて探究する。
この二つを同時に行うことにより、後世の人々にも支持される伝説級の罵倒芸論者になる。
「私は常に正しいことしか言わない人である、ゆえに異論を述べる者たちはみんな間違っているという理屈になる」というスタンスで罵倒芸を実行している論者、
「前フリが長いわりに本論はスカスカ、たどり着いた結論もなんのことはないただの一般論」というレベルで満足している論者のdis記事は、人々も丁寧に読みたいという気持ちが起きないために、記憶に残すことなく捨て去られる。
真の罵倒芸を求めて修行中の私であるが、いつの日にか万人から信頼されるdis記事を量産する自分となり、数十年、数百年と語り継がれるブログをネットの片隅に刻んでおきたい。