この言葉は、論語の「直(なお)きを以(もっ)て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」の罵倒芸版である。
【意訳】
罵倒芸のブロガーが孔子に問いました。
「論敵から怨みのdisコメントをもらったときに、人徳のdisコメントを返してあげる態度は、どうでしょうか?」
孔子は答えました。
「その態度を良しとするならば、論敵から人徳のdisコメントをもらったときに何のdisコメントを返してあげられるのでしょうか?」
「怨みのdisコメントをもらったときは率直なdisコメントを返し、人徳のdisコメントをもらったときは人徳のdisコメントを返す、これならば釣り合いがとれます」
【意訳、終わり】
議論の際に相手から恨みがましいコメントをもらったときは、寛容な態度を見せず、毅然とした態度で跳ね除ける。
心温まるダメ出しコメントをもらったときは、こちらも心温まる反論コメントで答えてあげる。
この二つの態度を維持することにより、議論が脇に逸れずさくさく進み、早めに相互理解に達して早めに解散できる。
これが理想の議論のあり方だと孔子は主張していたのである。
しかしながら、議論の相手から「私怨的なニセ科学批判批判のコメント」をもらったときは、少し事情が違ってくる。
「相手にするだけ時間の無駄ですわ」
と判断して捨て置くも良し、
「主張の中身に真正面から反論できない悔しさゆえに人格攻撃を実行して己の溜飲を下げようとする負けず嫌いの哀れな人だ」
と同情してあげるも良し、
「私怨的なニセ科学批判批判の公開はあなたの評判を地に落とす行為なのでやめましょう」
と諫めてあげるも良し。
このように、他のお題で議論をしているときはともかく、ニセ科学をお題とする議論で私怨的なニセ科学批判批判のコメントをもらった場合は、様々な対応のルート選択がある。
「恨みがましいニセ科学批判批判には毅然とした態度で臨む! これが絶対の正解だ!」
と気負う必要はないのである。