この言葉は、「推敲」の苛烈なニセ科学批判版である。
【なりたち】
今から数千年前、ニセ科学批判の新人であるAさんが、新しく開設するブログのタイトルを模索していました。
あれこれ考えた末に、『僕は諭す、目下のニセ科学を』というタイトルに決定しました。
しかしながら、「ブログをネット上で公開する」のボタンを押す前に、「諭すの部分が今ひとつだな、直すにしたほうがいいかな?」とAさんは迷いました。
迷いすぎて、見知らぬウェブサイトのコメント欄の投稿ボタンを、間違って押しました。
見知らぬウェブサイトの管理人:「なんだ、この意味不明な投稿は? さては、非科学的な思考を持つ輩の仕業だな?」
そのウェブサイトの管理人の正体は、苛烈なニセ科学批判者のBさんでした。
Aさんから事情を説明されたBさんは、「なんだ、非科学的な思考の輩ではなかったのか」と思いながら助言しました。
「直すではなく、叩くが良い」「いや、叩き潰すが良い」「よりdisい言葉を使用すれば、より読者の関心が強くなる」
Aさんは、「なるほど、よりdisい言葉を採用するのも有りか」と納得しました。
その後、AさんはBさんとブレインストーミングを実行し、新しいブログのタイトルを最終決定しました。
『僕は叩き潰す、ニセ科学推進者の説を。ニセ科学推進者の本を好意的に紹介して拡散する有名人の、ツイート群を。中立の傍観者を名乗りながらも結局はニセ科学に利する発言ばかり繰り返してドヤ顔を決める、エセインテリの態度を。科学文明社会の維持を脅かす非合理な事象現象を、僕は片っ端からサーチ&デストロイして浄化してあげるんだ。目下そんな感じのブログ』
AさんとBさんは、苦労の成果を喜び合いました。「ニセ科学問題を知らない人にも直ぐに趣旨を理解してもらえる良いブログタイトルができた」
この話を知った人々は、趣旨の分かりやすさを重視したブログタイトルに仕上げる行為を、「よりdisく推敲」と言い表すようになりました。
【なりたち、終わり】
一部の研究者は、これが本来の「推敲」と考えている。数千年の時が過ぎるうちに、「よりdisく」の部分が省略されてしまったという。
それが事実かどうかはともかく、穏健派のニセ科学批判者様におかれては、「今日もまた、ニセ科学を好意的に説く論者の姿をネット上で目撃いたしました、遺憾なので今から私が諭してあげますね」と思って諌めの記事を書く際は、「よりdisい方向の文章に仕上げる選択肢もある」と呟くことを習慣にしよう。
そうすれば、スランプに陥った時に「私には芸風の引き出しがもう無くなった、このうえは引退するしかない」と成らずに済む。