創作小話『罵倒芸の論者と悪しき相対主義者』

 罵倒芸の論者と苛烈なニセ科学批判者の二人がネット上で議論していました。

 罵倒芸の論者:「科学的に間違ったブログ記事を発見した際は、ばかにしてあざ笑いして蔑む評を呈するのが一番だ」

 苛烈なニセ科学批判者:「ばかにしたからといって相手が科学的に間違ったブログ記事を取り下げるとは限らない」
 「ゆえに、逃げ道がないほど理詰めを行い、相手に、」
 『こんなやり取りを私は今後も続けたいか? 否だ』
 「と判断させて、自主的なブログ記事の削除を促すべき」

 相互理解に辿り着けない状況を見ていた悪しき相対主義者が、仲裁を申し出ました。
 「お二人のご主張は、相対的には同じです」
 「そのように結論する私は、一人で高みに立つ悟りの傍観者です」

 罵倒芸の論者は忌々しげに言いました。
 「悪しき相対主義者に仲裁されるくらいなら、このまま苛烈なニセ科学批判者とdisり合いを続けて共倒れしたほうがましだ」

 『教訓』この話は、議論の平行線が長く続いた場合、「自分の仲裁力で論争を上手く纏められる」という傍観者が途中で参加してくる現実を明らかにしています。