創作小話『モヒカン的ブログから急いで自ブログに戻ったムラビト』

 そのムラビト的な論者のAさんは、気まぐれにモヒカン的な論者が運営するブログを訪れました。
 「なにか得るものはあるかな?」
 「新しい境地が見えるかな?」

 しかしながら、Aさんにとって科学的な視点で書かれた文章や、
 感情論がスズメの涙くらいしかない文章を読むのは初めてであり、
 いままでにないストレスを体験しました。「これは耐えられない、拝読は中止だ」

 頭が痛くなったAさんは、急いで自分のブログに戻りました。
 「ああ、やっと落ち着いた」
 「それでは、いつものように読者たちと主観の論を語り合うとしよう」

 「厳密な用語の使い方など一つも考えなくてよい、ふわふわした会話を楽しもう」

 ところがAさんは、読者たちの客観的な事実を軽視する会話に、多大なストレスを感じました。
 ちょっとした科学的な間違いにも、ツッコミを入れたくなるのでした。

 当然ながら読者たちは、不満を述べました。
 「そうやって、いちいち間違いを指摘されたら、我々はなにも言えなくなってしまいますが?」
 「そこのところ、分かっているのですか?」
 「細かいことは気にせず、ひたすら場の空気を大事にするAさんの運営スタイルが好きだったのに……まったく、失望したよ!」

 言い終えた読者たちは、去っていきました。

 意義がなくなった自ブログを閉じながら、Aさんは言いました。
 「なんてことだ、モヒカン的な論者のブログを読んだばかりに、ムラビト的なテキストにストレスを感じてしまう自分になるとは」

 【教訓】この話は、一度でもモヒカン的な論者の書いた文章を読み込むと、その後に理路整然としていない文章を見てもスルーできずに修正してあげたくなるという思考の変化を教えています。