この言葉は、あの『夏日南亭懐辛大』(かじつなんていにて、しんだいをおもう)のニセ科学批判版である。
【意訳】
今まで愛読していたブログが、最近になってニセ科学擁護の記事を量産し始めた。
しばらく困惑した私だが、ようやく事態を飲み込んだ。
いっちょ噛みのコメントを持参して私は説得を試みたが、ブログ主は嘲笑を常時で返してきた。
コメント欄を開くと、ニセ科学擁護の記事を好意的に鑑賞する人たちが集まっていた。
もはやブログの気風は、まともな科学をdisり、逐一の感情論で占められていた。
明鏡止水の覚悟でニセ科学擁護論を退治しようとするも、
「一読者のくせに思い上がるな」
「ブログ主さまは個人の感想を公開したにすぎないのだから批判するな」
「杓子定規なことしか言えないモヒカン的な論者は、石神井池(しゃくじいけ)にでも行け」
と反発されてしまい、支持の無きを思い知った。
これにて、完全に終わりだ。
科学リテラシーを重んじる私の居場所は、無くなったのだ。
あのブログは、中傷と妄想を弄す者たちの楽園に、変わり果ててしまったのだ。
【意訳、おわり】
このようなことがあったと孟浩然は南亭で記している。