この言葉は、あの論語の「和を知りて和すれども、礼を以って之を節せざれば、また行うべからざるなり」の罵倒芸版である。
【意訳】
disり合いは抑制の態度が尊いのであり、ネットの黎明期に活躍した罵倒芸の論者たちも、静かな雰囲気のdisり合いを美しいとみなして実践していました。
しかしながら、最近の罵倒芸の論者たちの一部では、
「とにかくdisる! とにかくdisで、自分を押し通す!」
という前のめりの姿勢が支配的であり、嘆かわしいことです。
disの効力を最大限に引き出すことは良いのですが、disることそのものが目的と化したdisり合いは、また美しさも無くなってしまうのです。
無の境地の罵倒芸を実行せよとまでは言いませんが、とりあえずは、
「余計なことを言わず、相手の主張の内容に的を定めて、disを突きつける」
「逆に、自分の主張の穴にdisを突きつけられたときは、素直に認めて主張の穴を埋める」
という態度を維持することにより、皆さんにも美しいdisり合いが達成できることでしょう。
【意訳、おわり】
そのように有子は説教していた。