この言葉は、あの荘子の「五百歳をもって春となし、五百歳をもって秋となす」の罵倒芸版である。
【意訳】
ネットの果てに、「dis冥霊」という木があります。
この「dis冥霊」の姿は、いつもはうっすらとしか見えませんが、500年に一度だけはっきりと見えます。
disを続けて500年が経ち、「dis冥霊」をしっかりと拝見できたならば、あなたの罵倒芸は春を迎えたといえます。
その後もdisを続けて500年が過ぎ、再び「dis冥霊」の姿をくっきりと拝見できたならば、あなたの罵倒芸は夏を迎えたといえます。
その次の500年はdisの秋、また次の500年でdisの冬、これでdisの四季がひとつ完了したことになります。
「dis冥霊」をはっきりと見た数が100回に達したとき、あなたは20万年ものあいだ罵倒芸を続けていた計算になります。
この話を聞いて、「なるほど、20万年か。いままでネット上のdisり合いで負けてばかりで気落ちする日々を送っていたけれど、なんだかちっぽけなことに思えてきましたよ」
というリアクションができたならば、正しい読み解きといえます。
【意訳、おわり】
このようなポジティブ思考法を荘子は提示している。