次の記事を発見した。
言ってもいないことを言ったとされてしまう問題について - NATROMのブログ
読み終えた私は、次の主張を思いた。
【思いついた主張】「当時のNATROMさんと林衛さんのやり取りは、事前の打ち合わせがあって行われた可能性もゼロではない」
「というのも、当時のNATROMさんと林衛さんは、『医学的な考え方に馴染みがない人々にも興味を持って読んでもらえるツイッター上の対話とは、どのような形が一番か?』というお題を立てて話し合い、」
『やはり漫才の形が一番だ』
『林衛さんがボケ役を務め、NATROMさんがツッコミ役を務めてツイッター上で掛け合いする』
『そうすると、普通に対話する場合に比べて三倍の数の読者が集まるのだ』
「という考えに至り、実行に移された」
「このような背景があるために、我々は次のような感想を述べてはいけない」
『当時の林衛さんは、科学的な議論の形成が困難な御方だった。それ以前に、普通の議論ができない御方だった』
『一方のNATROMさんも、早い時期に『相互理解の達成は絶対に不可能な相手』と判断しておけば、『底に穴が開いたバケツに水を入れるような不毛感が増すばかりでがっかり』と嘆く日々は来なかった』
「このような感想を述べてしまうと、『実は演出のやり取りでした』と明かされたときに、『返せ……。返せ! 真面目に分析して感想文にまとめた僕のリソースを、返せ!』と叫ぶ事態となる」
このような主張をニセ科学批判者たちに向かって述べると、次のように感心してくれる。
【ゲームのポケモンで使用されたセリフ、『かがくのちからって すげー!』風に感心するニセ科学批判者たち】
「可能性もゼロではないという言葉のちからって、すげー!」
「この言葉をあらかじめ述べておけば、その後に根拠がない話を山ほどしても、読者たちは完全否定ができなくなってしまうんだ!」
以上、世のニセ科学批判者たちからポケモンのセリフ風に感心してもらえる方法であった。