この言葉は、論語の「将に夫子を以て木鐸と為さんとす」の罵倒芸版である。
【意訳】
あるdisブログを孔子とその弟子たちが訪れると、ブログ主は喜びを述べました。
「これまでの私は、自分のブログを訪れる読者のすべてを賢人とみなして対話してきましたが、今日こそはいよいよへりくだって話を聞きたいと思います」
「いまのネット上は、主張の中身が薄いわりに炎上の成分は異様に濃いというタイプのdisが、そこかしこで持て囃されている有り様です」
「その風潮に疑問を感じ、官職を捨ててまで数多のブログを放浪して真の罵倒芸を説くあなた様は、まさに空飛ぶスパゲッティ・モンスターが遣わしたdisのアドバイザーです」
「どうぞ本日はご高説を存分にぶってください」
「あなた様が去ったあとも、みごと私は真の罵倒芸を探究し続けてブロガー人生を終えることでしょう」
【意訳、終わり】
これは数千年前の出来事であるが、当時のネット上の罵倒芸論者たちの大半が安易な気持ちで炎上芸に走っていたことに憂いを抱いていた無名のブロガーの気持ちは、現代に生きる我々も「うんうん、そのとおりですじゃ」と頷かせてくれる。