ネタのお言葉『disを例えるならば山を作るがごとし』

 この言葉は、論語の「譬(たと)えば山を為(つく)るが如(ごと)し 」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「真の罵倒芸を探究する行為とは、たとえば土をもっこで運んで山を作るようなものです」
 「もう少しで山が完成という時に、『むっちゃしんどい、もう嫌だ、こんな作業』と言ってもっこを放り出したばらば、中途半端で格好の悪い山がぽつんと佇むことになります」

 「また、disのコメントを推敲する行為は、たとえばデコボコの地面を平らにするようなものです」
 「ほんの小さじ一杯分の土を掬って狭い範囲を平らにして終わり、『今の私には、この程度の作業しかできないのだ』と思ったとしても、それは立派な費用対効果です」
 【意訳、終わり
 disり合いが白熱してくると、「論敵よりも多くのdisを公開しなければいけない、とにかく数で圧倒しないと僕は勝てないんだ」という思考になりがちだが、そこで一呼吸して思考を落ち着かせ、ひとつのdisコメントの完成度にこだわってみよう。

 「言いたいことがちゃんと表現できているか、論理にツッコミを入れられる隙はないか、毒のある言葉を盛り込みすぎてしまって、読者たちが賛同を表明したくでもできないような文の構成になってはいないか。これらをもう一度、念入りに時間を掛けてチェックだ」

 このスタンスでdisの原稿に向き合ってみよう。最初は面倒に思っていた推敲の作業でも、しばらくすれば楽に行えるようになり、やがて他の罵倒芸論者たちが作るdisコメントとは比べ物にならないほどの、もの凄い完成度の高いdisコメントができるようになる。

 もちろん、「ひとつのdisコメントを作る際に、そこまで時間を掛ける必要はない、その場で頭に浮かんだdisの言葉を即座にネット上で具現化すればよい」という考え方も一理あるし、それで圧勝できる場合もあるだろう。
 しかしながら、長期的に見るならば、「ひとつのdisコメントの仕上げに山ほど時間をかける、せめて砂の一粒くらいの注意を向ける」という考え方が有益であることに間違いはない。

 「これまでなんとなくの気分でdisっていました」という読者様は、是非とも「ひとつのdisコメントの完成度に拘って、あれやこれやと推敲する」という作業を試してほしい。今までと違う境地が見えてくる。