この言葉は、老子の「天網恢恢、疎にして失わず」(てんもうかいかい、そにしてうしなわず)の罵倒芸版である。
【意訳】
自分の知名度を手っ取り早く上げたいと考える新人の論者は、あれやこれやと評論を積極的に展開しますが、
「なんだか、読者たちの反応がいまひとつだな? 芸風を変えようかな?」
と思い、普通の評論をやめて、少しずつトゲのある評論に移行し、やがて炎上芸のみを実行するようになります。
炎上芸ならば、推敲の作業を省いたコメントを好きなだけ公開できます。
読者たちの反応も抜群ですから、一石二鳥のお得な芸です。
このような次第で、ネット上には炎上芸の論者たちばかりが目立つようになります。
一方で、真の罵倒芸を探求している論者は、地味にdisの研究に勤しみます。
閑古鳥の鳴き声が聞こえるだけの日々を、数十年も過ごします。
ついには、「このまま私は誰にも注目されず、一人寂しくネット上から消え去る身なのだ」と悲観します。
しかし、そこまで気分が落ち込んだ日の翌朝、見知らぬ読者たちが現れて、賞賛のコメントを大量に発表してくれます。
その見知らぬ読者たちは、数十年の間、サイレントマジョリティとして、ずっと見守ってくれていたのです。
【意訳、終わり】
この話のタイトルにある「スパモンのヌードル網恢恢」とは、サイレントマジョリティの読者たちを指したものである。
真の罵倒芸を地道に探究している論者は、今は不遇でも、いつの日にか世間に広く評価される運命である。
炎上芸で有名になった論者は、しょせんは虚名にすぎず、やがて飽きられて世間から見放される運命である。
サイレントマジョリティの読者たちは、ネット上の片隅にひっそりと公開されたdisであっても、絶対に見逃さないサーチ能力を持っている。
このことを、老子は数千年前に知っていたのである。