創作小話『批判的な態度はやめるべきと述べたブロガー』

 ニセ科学問題については中立の傍観者だと名乗るAさんが、自ブログで主張しました。
 「最近のネット上は、ニセ科学批判だとか、ニセ医学批判だとか、罵倒芸イオン批判だとか、」
 「なにかと批判的な言論を発信する者が多くなったが、これはダメな傾向である」

 「批判の相手がモヒカン的な思考の人ならばともかく、そうでもない人が相手だった場合は、100パーセント反発されて、『だれがニセ科学批判者と話をするものか!』と言われて、対話が物別れに終わる」

 「優しい言葉を発信すれば、たとえ相手が頑固なニセ科学擁護者であっても、気持ちが打ち解けて、暖かい雰囲気が生まれて、対話がすいすい進んで、相互理解に至って、オフ会の約束をして終わる」

 「というわけで、今日からニセ科学批判者たちの諸君は、批判的な態度を永遠に封印したまえ
 「できないのであれば、引退してネット上から消えたまえ

 聞き終えた一人のニセ科学批判者が、意見しました。
 「まずは、Aさんが批判的な態度を封印してください」
 「そうすれば、Aさんの言葉に説得力を感じて賛同を表明する読者が、一人くらいは現れると思います」

 【教訓】これは、初めに手本を示してからニセ科学批判批判を実行すると、そうしない場合よりもニセ科学批判者たちの感心を生み出せるというお話です。

創作小話『中立の傍観者を名乗って銭をもうけたニセ科学推進者』

 流れのニセ科学推進者が、ある村を訪れてインチキ商売を始めようとしました。

 しかし、村にはニセ科学批判者たちが居たので、「このままでは邪魔されて失敗に終わる」と考えたニセ科学推進者は、
 中立の傍観者を名乗り、ニセ科学批判者たちに対するネガティブキャンペーンを実行しました。
 「現代科学の常識も絶対ではありません」
 「未来のどこかの時点で新事実が発見されて、既存の科学事実が否定される可能性もゼロではありません」
 「ニセ科学批判者たちの言っていることも、いつの日にか否定されてしまう運命です」
 「ゆえに、村人の皆さんは自分の科学素人なりの直感を判断基準にして行動すべき、という理屈になります」
 「この主張に論理の飛躍などありません」
 「論理の飛躍を見つけた人は科学リテラシーが低い人、という定評になります」
 「以上で、ニセ科学問題に中立な私の意見表明を終えます」

 聞き終えた村人たちは、ニセ科学批判者たちの話を信じなくなりました。
 おかげでニセ科学推進者のインチキ商売は成功に終わりました。

 【教訓】このように、「ニセ科学問題においては中立の傍観者です」と名乗る人たちの中には、
 「ニセ科学問題など、どうでもよい。とにかく私は、自分が気にいらないニセ科学批判者たちを貶すだけ」というタイプの論者が紛れ込んでいます。
 それを見極めたうえで話を聞いてあげましょう。

創作小話『悪しき相対主義者の話に怒った傍観者』

 モヒカン的な論者が、ニセ科学的なブログを徹底的に修正して閉鎖に追い込みました。

 傍観していたAさんは、天に居る空飛ぶスパゲッティ・モンスターに向かって疑義を呈しました。
 「あのブログでは、一人しかダメな論者が居なかったにもかかわらず、ブログごと消し去るとは、やりすぎではないか?」

 すると、悪しき相対主義者が現れて、Aさんに言いました。
 「あのモヒカン的な論者が、ニセ科学的なブログを閉鎖に追い込んだ行為と、傍観していただけで済ませたAさんの行為は、相対的に同じです」
 「ゆえに、モヒカン的な論者にダメ出しする行為は、Aさん自身にダメ出しする行為と同じです」

 それを聞いたAさんは、怒りました。「あのモヒカン的な論者と私を同列に語るとは、許さんぞ!」
 Aさんは、悪しき相対主義者のブログに乗り込んで、散々に修正して閉鎖に追い込みました。

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターが現れて言いました。
 「どうだ、これでもまだ、モヒカンがニセ科学的ブログを閉鎖に追い込んだ行為は、間違っていると言うつもりか」

 【教訓】これは、他人の批判の仕方に文句をつけたあと、自分も似たような批判の仕方を見せて得意顔している人に聞かせてあげるお話です。

創作小話『ニセ科学批判者に文句を2回言った者』

 ニセ科学批判者が、ある村を訪れてニセ科学の危険性を説教しました。
 村人のAさんが、反論しました。
「そんな説教は無駄だから、やめるべきだ」
 「私は賢いからニセ科学などには騙されないし、そもそもこの村にはニセ科学など流行っていない」

 ニセ科学批判者が村を去ると、流れの詐欺師が来てニセ科学製品を売り始めました。
 ニセ科学製品は大いに流行り、村のインフラもニセ科学製に作り変えられました。

 ニセ科学に囲まれた生活を送りながら、Aさんは言いました。
「この状況は、ニセ科学批判者の怠慢によって作り出された」

 【教訓】これは、ニセ科学批判者が活動していると文句を言い、ニセ科学批判者が休んでいても文句を言い、
 結局なにをどうやっても文句を呈する人が一定数いるという現実を明らかにしています。

創作小話『ロバとニセ科学批判者』

 ロバとニセ科学批判者が、一緒に道を歩いていました。
 道の途中に、崖がありました。
 ロバは、その崖に向かって歩き始めました。

 ニセ科学批判者は引きとめようとしましたが、ロバは何かに憑りつかれたようにぐいぐい進んだので、あきらめました。
 ロバは、うれしそうに言いました。
 「はっはっは、どうだ、ニセ科学批判者の追及を振りきって、完全勝利したぞ!」
 ロバは、笑いながら崖の下に落ちていきました。

 【教訓】この話は、議論の途中で自分の主張が間違っていると判明したにもかかわらず、
 強引な言い訳を続けて無理やり勝利宣言すると、信用が落ちるところまで落ちてしまうということを教えています。

創作小話『ニセ科学批判者ならばニセ科学擁護者の気持ちが完全に満足するまで言い分を聞いてあげるべきと主張したブロガー』

 ニセ科学批判批判者のAさんが、自ブログで言いました。
 「世のニセ科学批判者たちは、ニセ科学擁護者たちの言い分に間違いがあると必ず取り上げて指摘しているが、これはニセ科学擁護者に反感を覚えさせる行為なのでダメである」

 「ほかのものを批判している人はともかく、ニセ科学を批判対象として活動している者には、ニセ科学擁護者たちの気持ちを完全に満足させてあげる義務がある」
 「誰が決めた義務なのか? 私である」

 「というわけで、今からニセ科学批判者たちは間違いの指摘を封印し、ニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげたまえ」

 すると、ニセ科学批判者のBさんが現れて言いました。
 「Aさんのご主張は、理想論としては納得できますが、現実的には厳しいです」
 「ニセ科学擁護者たちの心情に寄り添いつつ、遠まわしにふんわりと間違いを指摘する、これならば現実的にも厳しくないです」

 Aさんは反論しました。
 「貴公には、ニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげた経験があるかね?」
 「なに、【ひとつもございません】とな?」
 「ならば、実際に経験した後で私の主張に文句を言いたまえ」

 「なお、ツッコミを入れられる前に告白しておくが、私自身もニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげた経験はない」
 「これからも、そのような経験をするつもりはない」

 「なぜならば、私は一傍観者にすぎない立場のブロガーだからである」
 「ニセ科学擁護者たちの非合理な話につきあう時間など、私は一秒も持っておらんのである」

 「これを聞いた読者たちの中には、」
 『自分で実施するつもりがない行為をニセ科学批判者たちに義務として負わせようというわけですか、ずいぶんとお偉い立場なのですね』
 「という感想を抱いた者が居るかもしれないが、事実として私はお偉い傍観者を自認しているので、オッケーである」

 「なお、これを漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』風に言い表すと、」
 『自分がしないことを、ニセ科学批判者たちに平然と指図する! そんな私にしびれる! あこがれる!』
 「となる」

 聞き終えたBさんは、「そんなブロガー、修正してやるっ」と思い立ち、disコメントを用意しましたが、
 「今まで私は、穏健派のニセ科学批判者というイメージを地道に作り上げてきた」
 「ここでdisを公開したならば、穏健なイメージを一瞬で無くすことになる」
 と考え直し、かわりに【ほほえみを湛えつつ、しずしずとAさんのブログを去る】という行動を選択しました。

 Bさんの後ろ姿を見送った他の読者たちは、「Aさんの物言いに怒りを露にすることもなく退場できるとは、実に抑制の効いたニセ科学批判者だ」感心しました。

 【教訓】このように、ネット上で行う対話においては、相手の言い分に多大な理不尽を覚えたとしても、怒りの態度を見せず、反論のコメントも投げず、ニコニコ笑顔で聞いてあげる態度に徹して対話を終えると聴衆から良い評価をもらえます。
 これこそが、『アンガーマネジメント』の一番の利点なのです。
 (この記事は、次のTogetterまとめを読んだあとで作りました)
 yunishio氏と化学物質過敏症

創作小話『そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではないと述べて一人勝ちした者』

 ある村の広場で、ニセ科学に関する公開の討論会が行われていました。
 最初にAさんが主張しました。
 「EM菌の理論についてですが、科学的に摩訶不思議な話がいくつも含まれています。『すごい、万能の効果だ!』と飛びついたり、支持を表明したりするのは考えものです。懐疑的に受けとめたほうが無難ですね」

 次にBさんが主張しました。
 「化学物質過敏症についてですが、提唱されてから何年も『確かな証拠は見つからず』という状態です。『検証実験の仕方が悪いだけ、別の方法で検証すれば必ず証拠が見つかる』という人の話は、一歩引いて聞いたほうがよさそうですね」

 三人目にCさんが主張しました。
 「罵倒芸イオン実在説は、内容もダメすぎですが、」
 『まだ見つかっていないだけ、この宇宙空間を隅々まで探した暁に見つかる、しかし科学者たちは一向に探そうとしない、実に怠慢な連中だ』
 「という提唱者の言い訳も、ダメすぎです。他人に自分の主張の根拠を探させようとしている時点で、失格ですね」

 最後にDさんが言いました。
 「そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではない」

 「現代科学文明社会の日本において、いまだにニセ科学を鵜呑みに信じるこの村の、理科教育の失敗をしっかりと認識し、村政のあり方を一から検討すべき段階である」
 「そうしなければ、『ポケモンのジラーチが眠っている時間』が経っても事態が変わらないのである」
 「なお、ジラーチが眠っている時間は約1000年と言われている」

 これを聞いた他の論者たちは、「ふむふむ……えっ?」となりました。
 場の空気の異変を察知した司会者が、Dさんに注意しました。
 「御説ごもっともですが、その話は別の機会にしてくださるよう、お願いいたします」

 Dさんは反論しました。
 「そのような注意を述べて悦に入っている段階ではない」
 「この討論会の失敗をしっかりと認識し、村政のあり方を一から検討すべき段階である」
 「そうしなければ、太陽系が銀河系を一周するほどの時間が経っても事態が変わらないのである」
 「なお、太陽系が銀河系内の軌道を一周する時間は、約2億5千万年と考えられている」

 これを聞いた司会者は、「うん……えっ?」となりました。聴衆も、「ほう……えっ?」となりました。

 それ見たDさんは、勝利宣言しました。
 「みんな黙ってしまった、私の言っていることが的を射ており、反論する余地が一つもないからだ」
 「私と同じレベルでニセ科学問題を語る村人が現れるのは、いつの日だろうか? いや、そんな日は永遠に来ない」
 「切れ者はつらい、いつも孤独な立場に置かれてしまう」

 言い終えたDさんは、やれやれという表情で会場を去りました。

 以上、「そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではないと述べて一人勝ちした者」というお話でした。

 【教訓】この話は、個別のニセ科学を取り上げて議論している場所で、「そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではない、もっと大枠の形でニセ科学を語る段階だ、そうしないとニセ科学問題はいつまで経っても解決しない」と言ってあげると、他の人たちが一斉に引いてしまうという現実を明らかにしています。

 (この記事は、次のはてなブックマークを読んだ後で作りました)
 segawashinさんのコメント
 まあでももうこんな小粒なペテンを叩いて喜んでる段階じゃないのでは。
 「多年にわたる失政による大気汚染」とはっきり認識して政治的に詰めていかなきゃ100年たっても花粉症対策なんかできない。

 【追記】細かい話をしている論者を見かけたときは、「そういう段階ではない、今は大枠の形で話をするべき段階だ」と言ってあげる。
 大枠の形で話をしている論者を見かけたときは、「細かい部分も語るべきだ、今のあなたは『森を見て木を見ず』の状態だ」と言ってあげる。
 この行動を繰り返すことにより、自分一人の勝ちが次々と積み重なる。

 「煙たい人という評判が立ってしまうのでは?」と思われた御方は、この芸に不向きな人である。採用を断念しよう。

創作小話『炎上しているニセ科学批判者の態度について感想を述べた後、自分も炎上したブロガー』

 ニセ科学批判者のAさんが、自ブログで言いました。
 「罵倒芸イオンの実在説を唱える人と議論を行ったが、お粗末な話を聞かされるだけだった」
 「あれほどのダメな話は、無意識ではできないと思われる」
 「意図して杜撰な話をしていたのではないか? いや、そうに違いない」

 「なにしろ私は、ニセ科学批判をしてきた経験が数十年もある」
 「それゆえに、相手が意図的に杜撰な話をしているか否かを、正確に判定できるのだ」

 すると、罵倒芸イオン実在説を唱えている当人のBさんが現れて、反論しました。
 「意図的に杜撰な話をしたわけではない」
 「主観的には理詰めで話をしたつもりだが、客観的にはとっちらかった話を開陳する私が居た、これが事実である」
 「よって貴公の主張は誤りであり、今すぐに撤回したまえ」

 Aさんは、撤回しませんでした。
 「意図的に杜撰な話をする人の言い訳を、私が信じるとでも?」
 「もはや、あなたに対する信頼は地に落ちています」
 「話を聞くだけ時間の無駄です、ブロックします」

 これを見た他のニセ科学批判者たちは、Aさんに諫言しました。
 「その態度は、いかがなものかと思います」
 「せめて、Bさんが意図的に杜撰な話をしたという確かな証拠を示したうえで、ブロックするべきです」

 Aさんは、諫言してきたニセ科学批判者たちを無言でブロックしました。
 それを見た他の読者たちは、一斉に批判の声を上げました。

 「自説に都合が悪いコメントをもらったら即座にブロックって、なんなの? それでもニセ科学批判者なの!?」
 「諫言にブロックで応えるニセ科学批判者なんて、見苦しいよ! いますぐに、ネット上から消えてよ!」
 「そんなことより、俺の歌を聴けー!!!!! ……言い間違えた、そんなブロックより、【Bさんが意図的に杜撰な話をした】という証拠を出せぇー!」

 この騒動を聞きつけたニセ科学批判批判者のCさんは、感想の記事を自ブログで公開しました。
 「あのAさんってば、否定的な読者たちどころか、中立を名乗る読者たちまで次々とブロックしていますね」
 「昨日までは、『異論は大歓迎です、私は逃げずにとことん対話する人です』と言っていたくせにね」

 「というわけで、Aさんの態度から次のような結論を導くことができます」

 「Aさんは、Bさんの杜撰な話を意図的なものだと断言したが、意図的であるという証拠をついに出せなかった」
 「ゆえに、Bさんが唱えている罵倒芸イオン実在説は、肯定的な事実が多分に含まれている説といえる」
 「主流の科学者たちが飛びつく日も近い」

 Cさんが言い終えると、ネットモヒカンたちが現れて修正を始めました。
 たくさんのダメ出しをもらいながら、Cさんは反省の弁を述べました。
 「これは当然の結果だ」
 「ネットモヒカンたちが飛びついてくる未来を想定し、飛躍した論理の主張をネット上に公開しないという選択もできたはずなのに、私はそうしなかったのだから」
 「しかし、いまさら悔やんでも炎上の状況は何も変わらない、ブログを閉鎖するしか道はない」

 言い終えたCさんは、ネット上から潔く消えました。
 以上、「炎上しているニセ科学批判者の態度について感想を述べた後、自分も炎上したブロガー」というお話でした。

 (この記事は、次のツイートとはてなブックマークを読んだあとで作りました)
 CordwainersCatさんのツイート
 「捏造研究だ」と言う批判が名誉毀損になると言う事は池田先生の発表を肯定する事実があると言う事なんですよ。


 NOV1975さんのコメント
 「意図的な捏造」という主張の真実性の話なので科学の問題ではないよ


 【追記】「あの罵倒芸イオン実在説を唱える人はものすごくダメな話をしている、ゆえに意図的にダメな話をしているという理屈になる」
 というニセ科学批判者の姿を目撃したら、
 「論理に飛躍がありますよ、それとも意図的にダメな話をしたという証拠でもありますか? ありませんよね」
 と指摘してあげる。

 その後、「あのニセ科学批判者は、【罵倒芸イオン実在説を唱える人が意図的にダメな話をした】という証拠をひとつも出せませんでした、ゆえに罵倒芸イオン実在説は科学的に正しい説といえます」と述べる。

 これで一勝一敗の成績となり、公平な傍観者の立場を維持したことになる。
 「なにごとも勝ちすぎはよくないのだ、負け始めたときの反動が、すごいことになるからだ」という考え方である。
 読者様の処世術の参考になれば、幸いである。

創作小話『匿名のニセ科学批判者よりも実名のニセ科学推進者を信頼するほうがマシと述べたブロガー』

 ネット上で活動するニセ科学批判者たちの姿を一通り眺めたAさんは、感想を述べました。
 「感情論を排除し、理屈を振りかざし、ウォームハートのかけらもない冷徹な態度、共感できる部分がひとつもない」
 「ゆえに私は、今からニセ科学批判批判を行うと決めた」

 さっそくAさんは、自分のブログで主張しました。
 「ニセ科学批判者たちの大半は匿名で活動しているが、これはダメである」
 「なぜならば、一般市民たちは実名で活動している論者のほうに、より高い信頼性を見出すからである」

 「この事実により、匿名のニセ科学批判者たちは実名を明かしたうえで活動すべきという結論になる」
 「実名を明らかにできないニセ科学批判者は、引退を表明してネット上から消えたまえ」
 「信頼性の低い匿名でありながら、『世間に正しい科学を啓蒙いたします』などと嘯くニセ科学批判者たちは、勘違いが甚だしいのである」

 すると、匿名のニセ科学批判者たちが現れて、議論をふっかけてきました。
 しばらく付き合ってあげていたAさんでしたが、しだいに面倒となり、ついには投げやりな気持ちで言いました。
 「やはり、匿名のニセ科学批判者たちはダメである」

 「科学の素人である私に向かって、」
 『主張の中身に反論せずに論者の属性を云々するのは、【人格攻撃】では?』
 「とか、」
 『主張の中身に反論せずに匿名実名を云々するのは、【論点のすり替え】では?』
 「とか、」
 『匿名の論者が言うことは信頼性が低い、実名の論者が言うことは信頼性が高い、という考え方は【誤った二分法】では?』
 「とか、」
 『主張の中身には反論できない、しかし何かしら物申したい、そうだ匿名実名の話を持ち出そう、少なくとも自分の個人的な溜飲を下げることはできる、という考え方は【認知的不協和】のダメな解消の仕方では?』
 「などと、すぐに答えるには難しい問いを一斉に放つとは何事か」

 「おかげで私は、」
 『えっ? ちょ、ちょっと待って、そんなに知らない用語をいっぺんに畳み掛けられると、思考が、思考が、てべぼ!』
 「という感じで、漫画の『北斗の拳』に登場するキャラの監督の修羅さん風に追い込まれたではないか」

 「実に、不愉快な思いをさせる連中である」
 「こんなことならば、実名を明かして活動しているニセ科学推進者を信頼するほうが、よっぽどマシである」

 これを聞いた匿名のニセ科学批判者たちは、「これ以上のやり取りは時間の無駄」と判断して帰りました。
 入れかわりで、ハイエナジーなネットモヒカンたちが来ました。
 「ひゃっはっは、言うにこと欠いたブロガーだあ!」
 「見ろ、あの必死のニセ科学擁護論をよ!」

 「ふっふっふ、ニセ科学に利する発言をするブログが見つかったようだな。俺たちのオアシス(修正の対象)が見つかったあ!」
 「非合理な言論を見せられた時は、すぐのdisりで応対してあげる! それが、モヒカン的思考の鉄則だ!」
 「たのしい、たのしい、説教の時間だ……」

 その後、Aさんのブログはネットモヒカンたちによって閉鎖に追い込まれました。

 【教訓】この話は、議論の継続を面倒に感じて打ち切ろうとした際に余計なことを言ってしまうと、さらにしんどい議論へと移行して疲弊度が増すという現実を明らかにしています。

 (この記事は、次のブログのコメント欄を読んだあとで作りました)
 トンデモさんリスト(適宜追加する予定) - NATROMのブログ

 スカイハイ555さんのコメント(2019-03-29 16:55)
 自分の言う事と違うことを言ってる←トンデモのレッテル貼り乙www
 ねぇねぇ、「医師はサービス業」って、分かるぅ?
 テメェは素性を隠して、非・主流派を攻撃してるだけ。
 名前を名乗って、言う通りの事をクリニックで実践してる、内海聡の方がテメェより数十億倍信頼できる。
 あ…ところで、メタモル出版はどうなったのかなぁ?www

創作小話『良いニセ科学批判に比べてダメなニセ科学批判は50倍も多いと述べたブロガー』

 ニセ科学批判批判者であるAさんが、自ブログで主張しました。
 「ネット上で公開されている数多のニセ科学批判的な記事を調べたところ、良いニセ科学批判に比べてダメなニセ科学批判のほうが、50倍も多かった」
 「これは遺憾な状況であり、世のニセ科学批判者たちは一斉に反省したまえ」

 ニセ科学批判者たちが現れて言いました。「興味がありますので、具体的なデータを教えてください」

 Aさんは、お返事しました。「具体的なデータを示す義務は、諸君にある。立証責任の転嫁ではない」
 ニセ科学批判者たちは、「まともな議論ができない相手のようだ、かかわるだけ時間の無駄だ」と判断して去りました。

 その後ろ姿を確認したうえで、Aさんは勝利宣言しました。「あの者たちは反論もせずに帰っていった、ゆえに私の主張は正しかったという理屈になる」

 数日後、納得しきれない一人のニセ科学批判者が現れて、再び具体的なデータの提示を求めてきました。
 Aさんは、「それは貴公の仕事である」と言ってあげましたが、ニセ科学批判者はしつこく食い下がりました。

 Aさんは、しばらく相手をしてあげましたが、「立証責任の転嫁で頑張るのも飽きてきた」と思い、タネ明かししました。
 「私の好みを基準として、『あれは良いニセ科学批判の記事だな、これはダメなニセ科学批判の記事だな』と選別していると、良いニセ科学批判の記事が1本、ダメなニセ科学批判の記事が50本となった」

 「しかもこれは、私の個人的な観測範囲内に限った話であり、観測範囲外にあるニセ科学批判の記事については一つも実態を知らない」
 「これで貴公の疑問は解決した、あとは帰るのみである」

 ニセ科学批判者は、帰らずに言いました。「そのことをブログの記事に追記してください、そうすれば他のニセ科学批判者たちも、『50倍って、Aさんの好み次第の値だったのかよ!』と納得してくれます」
 これを聞いたAさんは、「一読者の分際で私に指図するとは何事か」と不満を覚え、ニセ科学批判者をブロックしました。

 【教訓】この話は、立証責任の転嫁を続けていると事態がますますややこしい方向に進んで不満な思いが強まるばかりという現実を明らかにしています。