創作小話『ネットの果てにある森に逃げ込んだニセ科学擁護ブロガーを探索した者たち』

 その論者たちは、ネットの果てにある森に身を隠した『ニセ科学擁護ブロガー』を探し出すために集まっていました。

 リーダーを名乗り出た「礼儀を重視する論者」は、他の論者たちに向かって言いました。
 「それでは皆さん、今から捜索を始めてください。私は、ここで待機しています」

 「ニセ科学擁護ブロガーさんが見つかったら、すぐに報告してください。この私がニセ科学擁護ブロガーさんに、誠実な議論の仕方を教えてあげます」

 「そうすれば、次こそはニセ科学擁護ブロガーさんも、鋭いツッコミをもらった時に、逆切れして後釣り宣言して逃げ出すような真似はしないでしょう」

 それを聞いた罵倒芸の論者は、不満そうに言いました。
 「諸君は、ニセ科学擁護ブロガーを探し出して議論を再開するつもりのようだが、私はその必要性を感じていない」

 「そもそも、後釣り宣言などという負け惜しみの捨て台詞を吐いて逃げ出すくらいならば、最初から議論の場に出てこなければ良かったのだ」
 「しかも、科学無知の身でありながら、散々にドヤ顔を披露して私を不愉快にさせた愚かなニセ科学擁護ブロガーなど、まったくの放置でかまわない」

 ネットモヒカン的な論者は、火炎放射器を掲げて言いました。
 「消毒だあ! ニセ科学擁護ブロガーが逃げ込んだ森は、消毒だあ!」

 他の論者たちは、「いかにもネットモヒカンらしいパフォーマンスだ」と思いながら見ていました。

 ネットモヒカン的な論者は、火炎放射器を森に向けて構えました。「熱いぜ~。熱くて枯れるぜ~」
 他の論者たちは、急いでとめました。

 ネットモヒカン的な論者は、「燃料は入っていないのに。この場を盛り上げようとしただけなのに」と呟きながら、丸腰で森に飛び込みました。
 「ヒャッハッハ、山狩りだあ!」「いや、森狩りだあ!」

 穏健なニセ科学批判者は、拡声器で呼びかけながら森の中に入って行きました。
 「ニセ科学擁護ブロガーさん、出てきてください。あなたの言い分を聞いてあげます」
 「この私は、一方的に科学的な間違いを指摘するようなことは致しません」
 「ニセ科学擁護ブロガーさんの心情に優しく寄り添い、粘り強く対話し、信用を形成したのちに、科学的な間違いを指摘してあげます」

 自称中立の論者も、拡声器で呼びかけながら森に入りました。
 「この私は、第三者で公平無私で絶対的な中立の傍観者です」
 「もちろん、ニセ科学擁護ブロガーさんと一緒に、ニセ科学批判者たちをdisってあげることも可能です」
 「中でも特に自然科学者たちに対しては、ルサンチマンを剥き出しにしたdisを送ってあげます」

 苛烈なニセ科学批判者は、ゆっくりと森の中に入って行きました。
 手ごろな茂みに身を潜め、なにか動くものはないかと辺りを観察しました。

 すると、滝の近くで休憩していた一般市民を発見しました。
 苛烈なニセ科学批判者は、一般市民に向かって、「ニセ科学擁護ブロガーを見なかったか」と問いかけました。
 一般市民は、「なんのことか、分からない」と答えました。

 苛烈なニセ科学批判者は、しばらく一般市民と会話した後、一緒に森を出ました。
 それを見た他の論者たちは、「その御方は、いったい誰なんです? 我々が探しているニセ科学擁護ブロガーさんとは、別人のようですが?」と質問しました。

 一般市民は、疲れきった様子で答えました。
 「ええ、私は単なる科学の素人です」
 「それゆえに、私はマイナスイオンの健康効果がニセ科学的だと言われても、すぐには理解できませんでした」
 「はい、苛烈なニセ科学批判者さんから叱られても、文句は言えない身です。本当に、すみませんでした」
 「もう二度と、マイナスイオン目的で滝を訪れたりなどしません……。ええ、絶対に」(完)

創作小話『別のニセ科学批判者が語った説明に不十分さを感じて意見したニセ科学批判者』

 ニセ科学批判者のAさんが言いました。
 「Bさんの速記力はすごい」
 「ニセ科学批判の記事を、毎日86400本も書いている」
 「私はすべて読んで参考にしている」
 「とはいえ、『内容が?』と疑念する記事も、時には見かける」
 「たとえば、Cさんが唱える『罵倒芸イオン実在説』について、Bさんは次のように述べていた」

 『非論理的な説』
 『科学リテラシーがゼロな説』
 『常識で考えれば秒で却下できる説』
 『以上でダメ出し終了』

 『なお、このダメ出しに異論を述べたり、中立的な意見を述べたりすると、』
 【賛同のコメントでない? さては、罵倒芸イオン実在説の支持者だな? ならば、礼儀の言葉は不要だな!】
 『と秒で判断し、本当に厳しい言葉で対応するので、そのつもりで』

 「……この場合、何がどう科学的にありえないのかを詳しく説明していないために、Cさんは当然のごとく納得せず、次のコメントを投稿した」

 『頭ごなしに否定するとは何事だ』
 『科学的にありえない理由を具体的に説明しないとは何事だ』
 『そんなことだから、世のすべてのニセ科学批判者たちはダメなんだ』
 『丁寧な説明など不要、ダメ出しの記事を書いてもらえるだけでもありがたいと思いなさい的なニセ科学批判者たちは、そろって引退を表明するべきだ』

 『引退を述べてネット上から消えた1秒後、【気が変わったので戻ってきました!】というのは無しだ』
 『その方法は、私がとっくにやっているのだ』
 『あのときは、ものすごい数のツッコミをもらったのだ』
 『引退を撤回するなど誰にでもあり得ることなのに、私だけが文句を言われるとはどういうことだ?』

 「……かような有りさまであり、Cさんは疑問を解消できないまま帰った」
 「物別れに終わった対話を、私は残念に思った」
 「ここは一つ、私がBさんにご注進しよう」

 Aさんは、Bさんのブログに思うところをコメントしました。
 Bさんは答えました。
 「知らん」
 「私は簡潔な批判をしたにすぎない」
 「ゆえに、」

 『A氏は、私の簡潔な批判を不十分な批判と間違って認識した』
 『なにゆえこんなことが起きたのか? 答え:A氏は情報リテラシーをないがしろにしていたから』

 「という結論になる」
 「今後はA氏からコメントをもらっても一切読まないので、私の反応を期待しないように」

 Bさんは、続けて言いました。
 「どうでもいいが、罵倒芸イオン実在説を批判する私の活動について、A氏は賛同の意を表す記事を書くべきではないか?」
 「あるいはA氏には、罵倒芸イオン実在説を批判する私の活動に賛成できない理由があるのか?」
 「もしやA氏は、」

 『現時点の罵倒芸イオン実在説は未完成なだけであり、みんなで真剣に検討する価値があり、みんなで完成に向けて朝に夕に洗練の作業をして疲れを蓄積して総倒れしてよい』

 「と考えているのか?」
 「違うというのであれば釈明のコメントを投稿したまえ」

 Bさんは、さらに言いました。
 「先ほどA氏が投稿したコメントには、科学的に間違った説明の記述が一箇所ある」
 「その一箇所を見て鵜呑みに信じたどこぞの誰かがツイッターで得意げに語り、ハイエナジーなネットモヒカンたちからヒャッハーなリプライ群が届く画面を見て真実を悟り、」

 『今日の僕は、懐疑主義の大切さを知った』
 『ああそうだ……。Aさんの、あの一箇所のおかげでねっ!』

 「となるかもしれないので、A氏は今すぐ訂正のコメントを投稿するように」
 「以上で応答終了」

 Bさんは、注釈を言いました。
 「Aさんは、『けっこう長めの返事をいただきました』という感想を述べてはいけない」
 「なぜならば、この私が『短い返事で済ませることができた』と自己評価しているからである」
 「現実の事象でも、」
 『私がBさんのコメントを読む→私が返事の原稿を仕上げる→私が投稿ボタンを押す→私のブログの画面に私の返事が反映される』
 「という過程が1秒で済んでいる」

 Bさんの支持者であるDさんが、「終わったかな? 横からコメントしていいかな?」と思いつつ、言いました。
 「Aさんは、罵倒芸イオン実在説を批判したBさんに対して、次のように仰るべきでしたね」

 『完璧な対抗言論です』
 『不十分な点は一つもありません』
 『たとえ不十分な点があったとしても、私は指摘しません』
 『次の式が私の思考にありますから』

 【Bさんの批判の仕方は不十分だと私が指摘する行為=罵倒芸イオン実在説を支持する人々が喜ぶだけであり、Bさんには何の得にもならない行為】
 『ゆえに私は、Bさんの批判の仕方が不十分に見えたときも肯定に徹する所存です』

 「これを述べなかったAさんは、無礼な投稿者という評価で決定ですね」
 「しかもAさんは、科学的に間違った説明のコメントを投稿していたわけですよね」
 「それを知った私は、『他人に説教している本人がっ!?』と口に含んでいた飯を月面まで噴いたんですね」
 「約1.3秒で到達したんですね」

 Bさんの支持者であるEさんも言いました。
 「コメントの一箇所で科学的に間違った説明をしたA氏」
 「そんなA氏が、Bさんに物申す資格はあるか? いや、ない」
 「よって私は表明する」

 『ネット上に数多あるニセ科学説を、片っ端から批判してくださるBさん』
 『読者たちからの賞賛コメントを、数十年前から絶えずもらっているBさん』

 『そんな偉いBさんのブログにつまらない難癖を呈した、泡沫過疎のニセ科学批判者にすぎないA氏』
 『というか、あなた誰? さっき活動を始めたばかりの、ど新人?……という感じのA氏』
 『A氏は己が野郎自大であったことを反省し、次にコメントする際は以下の挨拶を述べよ』

 【Bさま、サーチアンドデストロイの日々、ご苦労さまです】
 【私もBさまを見習って、ニセ科学批判の活動にネット人生の全リソースを費やします】
 【今回の件につきましては、Bさまのニセ科学批判の仕方を私が云々するのは間違った行為であり、違和感を覚えても黙って眺めているのが正解と悟った次第です】

 Bさんの支持者であるFさんも言いました。
 「なぜにAさんは、批判の仕方が不十分などと言い出したのだろう」
 「表面的な批判の仕方が不十分だったとしても、批判の中身の正しさには何ら影響しないのに」

 「ところでAさんは、いまだ罵倒芸イオン実在説については是非をコメントしていないようだ」
 「なるほど、そういうことか」
 「罵倒芸イオンの非存在が証明される日が来るまで批判は控えるべきと思っているAさん、こんにちは」

 その後、『Aさんは罵倒芸イオン実在説に好意的な人かも』という印象を懐いた読者たちが現れて言いました。
 「あのAさんは、心の中では罵倒芸イオン実在説を有りと思っているらしい」
 「そうなのですか、ニセ科学批判界の片隅にも置けない人ですね」
 「あれかい、Aさんはニセ科学批判者を装っていたのかい」
 「隠れニセ科学擁護者は居るかぁ!」
 「コメント欄の上のほうに居るぞぉ!」
 「なんですって?」
 「ニセ科学に入れ込む人生をAさんは行こうとしているのかね」
 「ネットモヒカンたちのターゲットに成り続けるってことね」

 「Aさんは言い訳しなくていいです、Aさんの正体がニセ科学信者と見抜けずに次の感想を述べようと準備していた私が愚かだったんです」
 『確かに批判の仕方が不十分なのは、良くないな』
 『事情通の人はともかく、何も知らない人にはふわっとしか伝わらないものな』
 『身内受けすればいいと割り切っているなら別だけど、Bさんは違うよね』
 『Bさんは、ニセ科学の問題を多くの人々に知って欲しいと常日頃から言っていたよね』
 『それならAさんの指摘を真摯に検討するべきだったんじゃないかな』

 「以上のコメントを投稿する直前で、」

 『この意見は間違っている』
 『なぜならば、Aさんに応援的な内容となっているからだ』
 『私はBさんの支持者という立場であり、Bさんに苦言的な意見など1文字も述べてはいけない立場だったのだ』

 「と気づいて投稿を中止したので、安堵です」

 Aさんに対するネガティブなコメントは続きました。
 次第に画面のスクロールが重くなり、とうとうフリーズしました。

 Aさんは、最新のコメント欄を読む前に止まった画面を眺めつつ、嘆息しました。
 「私のご注進は、相互理解を達成しなかった」
 「意図しない反感の数々を、生じさせるのみで終わった」

 「これは、特殊な結果ではない」
 「これから先も、同じことが起きるのだ」
 「その末には、何を言っても秒で炎上する私が居るのだ」
 「私がニセ科学批判を続ける意味はなくなった、引退しよう」

 言い終えたAさんは、『不十分な説明で済まして何が悪いと考えていたニセ科学批判者、いかなる時も丁寧な説明を行うべきと考えていたニセ科学批判者、その二つの立場の人々が隠居して仲良く昔の業績を語り合っている夢幻郷』を目指してネットの果てに旅立ちました。

 【教訓】この話は、「××に関する○○さんの批判の仕方は不十分だ」と述べても○○さん本人と○○さんの支持者たちには受け入れてもらえず、それどころか、

 「××自体は重要な問題だ」
 「あなたは××自体をどうでもいいと思っているのか」
 「いや、どうでもいいと思っているに違いない」
 「なんて人だ、『××自体は何ら問題ない、放置してよい』と思っているとは、なんてひどい人だ」

 と意外な方向に議論が進み、遠巻きに見ていた人たちも、
 「えっ、××自体はどうでもいいと思っている人なの? さすがにそれはダメだよね?」
 と同調し、しばらくその話が続き、皆が解散した後には一人評判を落とした自分が残るという現実を教えています。

 もしかすると、
 「私の場合は、そうでもなかったです」
 「ニセ科学を批判しているのではなく、別のものを批判しているブロガーさんでしたが、私が『批判の仕方が雑っす』とコメントすると、ブロガーさんは【実に奥深い】と言ってくださいました」
 「ブロガーさんの支持者たちも、【われらが気づかなかったことを一見のお客さんが端的に指摘した、これはしびれた、羨望した】と言ってくださいました」
 「そのあとは、皆で和気あいあいの議論を形成しました」
 「今でも、ほっこりした気持ちが残っています」

 という読者さまがいらっしゃるかもしれませんが、同じ体験をニセ科学批判の界隈に求めて実行した場合、
 「心が凍りつく……」となる可能性が大ですので、ご注意ください。

創作小話『ニセ科学の亡霊を封じ込めた魔法の箱』

 ある村に、悪さばかりするニセ科学の亡霊が居ました。
 困り果てた村人たちは、天に居る「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」に向かって祈りました。
 「どうか、ニセ科学の亡霊を懲らしめる賢者さまが、都合よく現れますように」

 すると、旅の途中の賢者が都合よく現れました。
 その賢者は、ニセ科学の亡霊と戦って見事に倒しました。

 賢者は、魔法の箱にニセ科学の亡霊を封じ込め、村外れの花畑に赴いて地下深くに埋めました。
 村人たちは、訪れた平和を喜びました。

 一段落した賢者は、パートタイムで働いた報酬を村人たちから受け取り、速やかに去りました。
 やがて、賢者の活躍は村の伝説となりました。

 それから、数千年が過ぎました。
 あるトレジャー・ハンターが、叫びました。
 「ひゃっほう! ついに宝箱を探り当てたぜ! 伝説は事実だったぜ!」
 「中身はどのような品かな? さっそく蓋を開けてみよう! わくわく」

 【教訓】この話は、ある怪しい説がネット上に拡散し、事態を憂慮したニセ科学批判者たちが対抗言論の記事を書き、それを見た人々が、
 「あたくしたちが信じていた説は、序論と本論と結論がダメらしいですわよ」

 「まじっすか、ありな説と思って『いいね!』のボタンを8万6千4百回ほど押したけれど、無しな行為だったすか」

 「あの説を心の中で密かに訝しんでいた我輩のレベルに今になって追いついたニセ科学批判者たちよ、諸君が対抗言論を公開するタイミングは遅きに失したが、ともかく大儀である、これより我輩はあの説に関する肯定的な評論を辞して沈黙のROMに戻るとする」

 「YO! YO! 夢中で信じた俺が居るYO! この心理をYouTubeで概要するYO!」

 「朝に甘露と受け入れたニセ科学説、夕にデバンカーの熱演を聞いて蒸散す」

 「科学リテラシー、これがあると、いいらしい」

 「もう飽きた、次の話題に、移行する」

 と述べて忘れ去ったとしても、しばし時が経てば、
 「こんな説を思いついて記事に書きました、いかがな読後感ですか」
 と述べるブロガーが現れて、
 「よく分からないけれど、科学的に妥当な説と思う」
 というツイッタラーが現れてフォロワーに紹介し、
 間もなくインフルエンサーの観測範囲にまで拡散し、ついにはツイッターのトレンドの上位が、

 「あのブロガーが提唱した説は斬新だ」
 「ゆえに、誤りは一つも含まれていない説という理屈になる」
 「新しさに訴える論証ではない」
 「というわけで、みんなも支持を表明しよう」
 「時代遅れの自分をさらけ出さないためにも」

 という趣旨のツイート群で占められ、その画面を見たニセ科学批判者たちは、
 「またですか……。またしてもあの説が社会に蔓延ですか! デジャブですか! もしくは私が過去にタイムスリップしたのかしら?」
 と述べながら対抗言論に取り組むという現実を明らかにしています。

創作小話『中立の傍観者を名乗って銭をもうけたニセ科学推進者』

 流れのニセ科学推進者が、ある村を訪れてインチキ商売を始めようとしました。

 しかし、村にはニセ科学批判者たちが居たので、「このままでは邪魔されて失敗に終わる」と考えたニセ科学推進者は、
 中立の傍観者を名乗り、ニセ科学批判者たちに対するネガティブキャンペーンを実行しました。
 「現代科学の常識も絶対ではありません」
 「未来のどこかの時点で新事実が発見されて、既存の科学事実が否定される可能性もゼロではありません」
 「ニセ科学批判者たちの言っていることも、いつの日にか否定されてしまう運命です」
 「ゆえに、村人の皆さんは自分の科学素人なりの直感を判断基準にして行動すべき、という理屈になります」
 「この主張に論理の飛躍などありません」
 「論理の飛躍を見つけた人は科学リテラシーが低い人、という定評になります」
 「以上で、ニセ科学問題に中立な私の意見表明を終えます」

 聞き終えた村人たちは、ニセ科学批判者たちの話を信じなくなりました。
 おかげでニセ科学推進者のインチキ商売は成功に終わりました。

 【教訓】このように、「ニセ科学問題においては中立の傍観者です」と名乗る人たちの中には、
 「ニセ科学問題など、どうでもよい。とにかく私は、自分が気にいらないニセ科学批判者たちを貶すだけ」というタイプの論者が紛れ込んでいます。
 それを見極めたうえで話を聞いてあげましょう。

創作小話『批判的な態度はやめるべきと述べたブロガー』

 ニセ科学問題については中立の傍観者だと名乗るAさんが、自ブログで主張しました。
 「最近のネット上は、ニセ科学批判だとか、ニセ医学批判だとか、罵倒芸イオン批判だとか、」
 「なにかと批判的な言論を発信する者が多くなったが、これはダメな傾向である」

 「批判の相手がモヒカン的な思考の人ならばともかく、そうでもない人が相手だった場合は、100パーセント反発されて、『だれがニセ科学批判者と話をするものか!』と言われて、対話が物別れに終わる」

 「優しい言葉を発信すれば、たとえ相手が頑固なニセ科学擁護者であっても、気持ちが打ち解けて、暖かい雰囲気が生まれて、対話がすいすい進んで、相互理解に至って、オフ会の約束をして終わる」

 「というわけで、今日からニセ科学批判者たちの諸君は、批判的な態度を永遠に封印したまえ
 「できないのであれば、引退してネット上から消えたまえ

 聞き終えた一人のニセ科学批判者が、意見しました。
 「まずは、Aさんが批判的な態度を封印してください」
 「そうすれば、Aさんの言葉に説得力を感じて賛同を表明する読者が、一人くらいは現れると思います」

 【教訓】これは、初めに手本を示してからニセ科学批判批判を実行すると、そうしない場合よりもニセ科学批判者たちの感心を生み出せるというお話です。

創作小話『ロバとニセ科学批判者』

 ロバとニセ科学批判者が、一緒に道を歩いていました。
 道の途中に、崖がありました。
 ロバは、その崖に向かって歩き始めました。

 ニセ科学批判者は引きとめようとしましたが、ロバは何かに憑りつかれたようにぐいぐい進んだので、あきらめました。
 ロバは、うれしそうに言いました。
 「はっはっは、どうだ、ニセ科学批判者の追及を振りきって、完全勝利したぞ!」
 ロバは、笑いながら崖の下に落ちていきました。

 【教訓】この話は、議論の途中で自分の主張が間違っていると判明したにもかかわらず、
 強引な言い訳を続けて無理やり勝利宣言すると、信用が落ちるところまで落ちてしまうということを教えています。

創作小話『悪しき相対主義者の話に怒った傍観者』

 モヒカン的な論者が、ニセ科学的なブログを徹底的に修正して閉鎖に追い込みました。

 傍観していたAさんは、天に居る空飛ぶスパゲッティ・モンスターに向かって疑義を呈しました。
 「あのブログでは、一人しかダメな論者が居なかったにもかかわらず、ブログごと消し去るとは、やりすぎではないか?」

 すると、悪しき相対主義者が現れて、Aさんに言いました。
 「あのモヒカン的な論者が、ニセ科学的なブログを閉鎖に追い込んだ行為と、傍観していただけで済ませたAさんの行為は、相対的に同じです」
 「ゆえに、モヒカン的な論者にダメ出しする行為は、Aさん自身にダメ出しする行為と同じです」

 それを聞いたAさんは、怒りました。「あのモヒカン的な論者と私を同列に語るとは、許さんぞ!」
 Aさんは、悪しき相対主義者のブログに乗り込んで、散々に修正して閉鎖に追い込みました。

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターが現れて言いました。
 「どうだ、これでもまだ、モヒカンがニセ科学的ブログを閉鎖に追い込んだ行為は、間違っていると言うつもりか」

 【教訓】これは、他人の批判の仕方に文句をつけたあと、自分も似たような批判の仕方を見せて得意顔している人に聞かせてあげるお話です。

創作小話『ニセ科学批判者に文句を2回言った者』

 ニセ科学批判者が、ある村を訪れてニセ科学の危険性を説教しました。
 村人のAさんが、反論しました。
「そんな説教は無駄だから、やめるべきだ」
 「私は賢いからニセ科学などには騙されないし、そもそもこの村にはニセ科学など流行っていない」

 ニセ科学批判者が村を去ると、流れの詐欺師が来てニセ科学製品を売り始めました。
 ニセ科学製品は大いに流行り、村のインフラもニセ科学製に作り変えられました。

 ニセ科学に囲まれた生活を送りながら、Aさんは言いました。
「この状況は、ニセ科学批判者の怠慢によって作り出された」

 【教訓】これは、ニセ科学批判者が活動していると文句を言い、ニセ科学批判者が休んでいても文句を言い、
 結局なにをどうやっても文句を呈する人が一定数いるという現実を明らかにしています。

創作小話『できない理由を述べてはいけないと主張した者』

 ブロガーのAさんが主張しました。
 「世のニセ科学批判者たちは、ニセ科学信奉者の全員と一人残らず対話して、次々と相互理解を達成すべきである」
 「たとえ相手が頑固なニセ科学信奉者であっても、相互理解が達成するその日まで、対話の場から離脱してはいけない」
 「なぜならば、そのような決まりを私が作ったからである」

 すると、穏健派のニセ科学批判者を名乗るBさんが現れて言いました。
 「私も以前は似たような考えを持っていました」

 「頑固なニセ科学信奉者たちに語りかけて相互理解に達する試みを、753時間ネットに張り付いて続けました」
 (注記:753時間の理由:753=なごみ=和み=温和なニセ科学批判、という発想で決定した対話時間)
 「その結果、」
 『納得じゃのう、わしは効果を期待して山ほど購入したが、どれも科学的にデタラメな機器だったんじゃのう』
 「という台詞を述べてくれた人は、ゼロでした」

 「現在の私は、」
 『軽い気持ちでニセ科学を支持している人との対話を優先しよう』
 『それが自分のリソースを無駄に消費しない効率的なニセ科学批判だ』
 「という考えで行動しています」

 Aさんは反論しました。 
 「できない理由を述べてはいけない
 「B氏は過去に対話した頑固なニセ科学信奉者たちのところに再び赴いて、相互理解を達成せよ」
 「そのあとは、他の頑固なニセ科学信奉者たちのところに転じて対話して、相互理解を達成せよ」

 Bさんは問いました。「そこまで仰るAさんは、頑固なニセ科学信奉者たちの全員を納得に導く策をお持ちでしょうか?」
 「お持ちならば、ぜひとも教えてください、その策を採り入れて動きます」

 Aさんは答えました。
 「この私は、ニセ科学批判者たちに示唆を与える立場の者である」
 「ニセ科学批判の具体的な戦略を練る立場ではない」
 「よって回答は、『策は提示できません。というか、そもそもありません』となる」

 これを聞いたBさんは、一瞬だけ怒りを覚え、
 『お前のブログの過去記事を、すべて読んでやろうか……』
 『科学的に不正確な記述を続々と見つけて、片っ端から修正してやろうか……』
 『お前も吊るし上げにしてやろうかっ!』 

 とネットモヒカンモードに成ろうとしましたが、穏健派のニセ科学批判者を名乗っていたこともあり、
 「ここで芸風を変えると私の評判も変わってしまう」
 「ヒャッハーな支持者たちが増える事態になる」
 と考えた末に、「お答えいただきまして誠にありがとうございました、完全に納得しました」と言って帰りました。

 Aさんは勝利宣言しました。「B氏はお礼を述べて帰った、よって私の言動に何ら矛盾はなかったという理屈になる」

 【教訓】このように見知らぬ他人に向かって、「できない理由を述べてはいけない、できる理由のみを述べること、それが建設的な議論だ」と意見する人も、うっかりできない理由を述べたりします。
 それを踏まえて拝聴すれば、「一理あるけれど、この人に言われたくないな……」という気持ちが消えて楽になります。

創作小話『ニセ科学批判者ならばニセ科学擁護者の気持ちが完全に満足するまで言い分を聞いてあげるべきと主張したブロガー』

 ニセ科学批判批判者のAさんが、自ブログで言いました。
 「世のニセ科学批判者たちは、ニセ科学擁護者たちの言い分に間違いがあると必ず取り上げて指摘しているが、これはニセ科学擁護者に反感を覚えさせる行為なのでダメである」

 「ほかのものを批判している人はともかく、ニセ科学を批判対象として活動している者には、ニセ科学擁護者たちの気持ちを完全に満足させてあげる義務がある」
 「誰が決めた義務なのか? 私である」

 「というわけで、今からニセ科学批判者たちは間違いの指摘を封印し、ニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげたまえ」

 すると、ニセ科学批判者のBさんが現れて言いました。
 「Aさんのご主張は、理想論としては納得できますが、現実的には厳しいです」
 「ニセ科学擁護者たちの心情に寄り添いつつ、遠まわしにふんわりと間違いを指摘する、これならば現実的にも厳しくないです」

 Aさんは反論しました。
 「貴公には、ニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげた経験があるかね?」
 「なに、【ひとつもございません】とな?」
 「ならば、実際に経験した後で私の主張に文句を言いたまえ」

 「なお、ツッコミを入れられる前に告白しておくが、私自身もニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげた経験はない」
 「これからも、そのような経験をするつもりはない」

 「なぜならば、私は一傍観者にすぎない立場のブロガーだからである」
 「ニセ科学擁護者たちの非合理な話につきあう時間など、私は一秒も持っておらんのである」

 「これを聞いた読者たちの中には、」
 『自分で実施するつもりがない行為をニセ科学批判者たちに義務として負わせようというわけですか、ずいぶんとお偉い立場なのですね』
 「という感想を抱いた者が居るかもしれないが、事実として私はお偉い傍観者を自認しているので、オッケーである」

 「なお、これを漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』風に言い表すと、」
 『自分がしないことを、ニセ科学批判者たちに平然と指図する! そんな私にしびれる! あこがれる!』
 「となる」

 聞き終えたBさんは、「そんなブロガー、修正してやるっ」と思い立ち、disコメントを用意しましたが、
 「今まで私は、穏健派のニセ科学批判者というイメージを地道に作り上げてきた」
 「ここでdisを公開したならば、穏健なイメージを一瞬で無くすことになる」
 と考え直し、かわりに【ほほえみを湛えつつ、しずしずとAさんのブログを去る】という行動を選択しました。

 Bさんの後ろ姿を見送った他の読者たちは、「Aさんの物言いに怒りを露にすることもなく退場できるとは、実に抑制の効いたニセ科学批判者だ」感心しました。

 【教訓】このように、ネット上で行う対話においては、相手の言い分に多大な理不尽を覚えたとしても、怒りの態度を見せず、反論のコメントも投げず、ニコニコ笑顔で聞いてあげる態度に徹して対話を終えると聴衆から良い評価をもらえます。
 これこそが、『アンガーマネジメント』の一番の利点なのです。
 (この記事は、次のTogetterまとめを読んだあとで作りました)
 yunishio氏と化学物質過敏症