創作小話『苛烈なニセ科学批判ブログにわくわくしたムラビト的論者』

 ムラビト的な論者のAさんは、苛烈なニセ科学批判ブログを初めて見つけて、わくわくしました。
 「見たことのない専門用語がたくさん並んでいて、かっこいいブログだな!」

 しかしながら、読み終えたあとのAさんは、がっかりして言いました。
 「なんだこのブログ、主観を根拠にした記事が、ひとつもないじゃないか……」
 「こんな客観的な記述しか置いてないブログは、ぼくにとっては価値がゼロ以下だよ!」

 【教訓】これは、「私が支持しているニセ科学的な説って、あまりに耳当たりのよいことを多く主張しているような?」と気づき始めた人に読んでほしいお話です。

創作小話『ムラビト的なカエルとモヒカン的なキツネ』

 ムラビト的なカエルが主張しました。
 「いまからぼくは、他人が唱えるデマな説を、容赦なく修正してみせるぞ!」
 「このぼくは、ネット上で一番の実力を持った、ものすごいニセ科学批判者なんだぞ!」
 「その根拠は、ぼく一人の主観だぞ!」

 それを聞いたモヒカン的なキツネは、疑問を呈しました。
 「本当に君が、他人の間違った説を容赦なく修正できるのかい」
 「自分の主張の吟味もできていない現状なのに」

 【教訓】これは、『実力は不足している』『でも自信は過剰にある』という人に丁度よいお話です。

創作小話『悪しき相対主義者に抗議したムラビト的ブロガー』

 初めて悪しき相対主義者からコメントをもらったムラビト的ブロガーは、耐えかねたように言いました。
 「私が公開した『科学的に間違っている記事』について、」
 「なにがどう間違っているかを具体的に説明してくださるか、あるいは、」
 「ああダメな記事ですねと一言で終わるか、どちらかにしてください」

 「とにかくあなたのコメントは、あいまいで抽象的で、話があっちにとんだり、こっちにとんだりして、」
 「ようやくたどり着いた結論も何を言っているのか、ひとつもわかりません」

 【教訓】この話は、「問題を解決してみせましょう」と現れたあとで要領の得ない演説を延々とぶってくるタイプの論者に聞かせてあげるとよいでしょう。

創作小話『文学的に間違っていたブロガーと、科学的な見地の批判を送った読者』

 その文学的に間違いがある記事を書いて公開したブロガーは、次のようなコメントをもらいました。
 「あなたの記事は、科学的に間違っている部分が、多大にあります」
 「ニセ科学の強固な支持者だと思われないよう、いまのうちに訂正しておいたほうがいいでしょう」
 「そうすれば、ブロガーとしての信頼も、これ以上は朽ち果てないで済みます」

 なにかがおかしいと思ったブロガーが問い質すと、投稿者は次のように釈明しました。
 「すみません、じつは他所のブログで、比嘉氏のEM菌を好意的に紹介する記事を公開して、ドヤ顔で締めくくっているブロガーが居たのです」
 「しかもそのブロガーは、」
 『なぜにぼくは、比嘉氏のEM菌を自ブログで好意的に紹介したのでしょうか!? その真実は、近日に公開します!!』
 「と宣言したのち、いっこうに真実を明らかにしないのです」

 「それを見た私は、諌めのコメントを送ろうとしたところ、間違ってあなたさまのブログに投稿してしまったのです」
 「ちなみに私の机の上には、次の2つの投稿ボタンを、並べて設置しています」

 【科学的に間違っている記事を公開したブログを批判する、投稿ボタン】
 【文学的に間違っている記事を公開したブログを批判する、投稿ボタン】

 「この2つの投稿ボタンのうち、今回は押すべきでないほうを、間違って押してしまったのでした」

 【教訓】このように、あきらかに的を外しているネガティブコメントを読者からもらった際は、その背景と事情をよく問い質してあげましょう。
 なんの悪意もなくネガテイブコメントを送った場合があります。
 なんの悪意もなくネガテイブコメントを送った場合があります。

創作小話『壊れかけのブログ跡を見つけたムラビト的論者たち』

 ムラビト的な論者が集うブログで、一人の読者が報告しました。
 「今日の朝、私はニセ科学批判者が過去に運営していて、いまは壊れかけているブログ跡を、偶然に見つけました」
 「私は、なんとなく不安な気持ちになりました」

 それを聞いた他の読者たちも、不安になりました。
 「そんなものを朝一番で見るなんて、なにかよくないことが起きる予兆だよ」
 「たとえば私たちのブログが、まもなくネットモヒカン族によってサーチアンドデストロイされるとか」

 すると、そこそこモヒカン的な思考ができる読者が現れて言いました。
 「ええと、朝一番にニセ科学批判者の壊れかけのブログ跡を見た、ゆえに、まもなく我々によくないことがに起きる……これって、おかしな流れの考え方ではありませんか?」

 「というのも、朝一番にニセ科学批判者の壊れかけのブログ跡を見ようが見まいが、」
 「ネットモヒカン族によってサーチアンドデストロイされるという危険性は、我々にとって常に存在するのですから」

 【教訓】この話は、変な前提で不吉な結論を出した時ほど本当によくないことが起きやすくなることを明らかにしています。

創作小話『間違って2つの的外れなニセ科学批判批判を見せた者』

 ニセ科学批判者のブログに、的外れなニセ科学批判批判のコメントが2つ送られてきました。

 ニセ科学批判者が問い質すと、投稿者は釈明しました。
 「すみません、本当はブログ主さまのニセ科学批判に感激して、賞賛のコメントを送ろうとしたのです」

 「ところが、コメントの原稿を仕上げた際に、間違って的外れなニセ科学批判批判の文章を書いてしまったのです」

 「それを書き直そうとしたところ、間違ってコメント送信ボタンを押してしまったのです」

 「あわてて訂正のコメントを送ろうとしたところ、間違って被せの的外れなニセ科学批判批判を送信したのでした」

 【教訓】この話は、的外れなニセ科学批判批判を見かけた際に、これは間違って作られたコメントかも知れない、本人の真の考えとは違うコメントかも知れないと懐疑すべきことを教えています。

 ちなみにこの話では、ブログ主が質問した際に投稿者から真実を語るコメントが送られてきましたが、
 実際のネット上では、間違って3つめ4つめの的外れなニセ科学批判批判が送られてくる可能性がありますので、注意してください。

創作小話『急にニセ科学批判を始めたムラビト的論者』

 ムラビト的な論者であるAさんが、既存のニセ科学批判者たちの活動を見て憧れました。
 「すごい人たちだなあ」
 「自分も、あの人たちみたいに活躍したいなあ」
 「そうだ、私も今日からニセ科学批判を始めたらいいんだ、うんそうしよう」

 そう言ってAさんはニセ科学批判のブログを始めましたが、
 尊敬される存在になれるどころか、ネガティブコメントを一身に受ける状況となりました。
 【読者たちのコメント】
 ある科学素人:「根拠の不明な噂話をちょっと鵜呑みに信じて善意で拡散しただけなのに、私の人格を否定するなんてひどい」

 あるニセ科学批判批判者:「ニセ科学批判の仕方が、ダメすぎだ」
 「この私個人を満足させるような、もっと上手いニセ科学批判の仕方を実行しろ」
 「それができたときは、この私から『大儀である』と言ってやる」

 あるニセ科学推進者:「証明責任の転嫁という言葉を、知っているか?」
「というわけで、私の理論が正しくないという根拠を、批判側であるAさんが提示しろ」
 (Aさんが根拠を提示すると)
 「そんな科学的な事実はどうでもいい、とにかく私のインチキ商売に横から口を出すな」

 ある悪しき相対主義者:「ニセ科学は、まともな科学と相対的に同じです」
 「相対的には、ニセ科学を批判する行為は、まともな科学を批判する行為と同じです」
 「ゆえにAさんは、ニセ科学を支持しているブロガーであるという結論になります」
 「以上で、絶対的な傍観者の立ち位置を堅持する私からの、『結局、悪しき相対主義が一番すごいんだよね』という演説を終えます」

 このような意見を毎日のように聞かされたAさんは、限界を超えるストレスを感じて倒れました。

 『教訓:この話は、いままでの芸風を事前の準備も無く急に他の芸風に変えると多大な無理が生じるということを教えています』

創作小話『モヒカン的ブログから急いで自ブログに戻ったムラビト』

 そのムラビト的な論者のAさんは、気まぐれにモヒカン的な論者が運営するブログを訪れました。
 「なにか得るものはあるかな?」
 「新しい境地が見えるかな?」

 しかしながら、Aさんにとって科学的な視点で書かれた文章や、
 感情論がスズメの涙くらいしかない文章を読むのは初めてであり、
 いままでにないストレスを体験しました。「これは耐えられない、拝読は中止だ」

 頭が痛くなったAさんは、急いで自分のブログに戻りました。
 「ああ、やっと落ち着いた」
 「それでは、いつものように読者たちと主観の論を語り合うとしよう」

 「厳密な用語の使い方など一つも考えなくてよい、ふわふわした会話を楽しもう」

 ところがAさんは、読者たちの客観的な事実を軽視する会話に、多大なストレスを感じました。
 ちょっとした科学的な間違いにも、ツッコミを入れたくなるのでした。

 当然ながら読者たちは、不満を述べました。
 「そうやって、いちいち間違いを指摘されたら、我々はなにも言えなくなってしまいますが?」
 「そこのところ、分かっているのですか?」
 「細かいことは気にせず、ひたすら場の空気を大事にするAさんの運営スタイルが好きだったのに……まったく、失望したよ!」

 言い終えた読者たちは、去っていきました。

 意義がなくなった自ブログを閉じながら、Aさんは言いました。
 「なんてことだ、モヒカン的な論者のブログを読んだばかりに、ムラビト的なテキストにストレスを感じてしまう自分になるとは」

 【教訓】この話は、一度でもモヒカン的な論者の書いた文章を読み込むと、その後に理路整然としていない文章を見てもスルーできずに修正してあげたくなるという思考の変化を教えています。

創作小話『三びきのやぎのがらがらどん的なニセ科学批判者たち』

 三人のニセ科学批判者が、昼寝をするために草原の丘を目指して家を出発しました。

 途中の橋がかかっている場所に、迂遠な話を得意とするトロ-ルが居ました。
 「こんにちは。私は、いついかなる議論の場においても、絶対的な傍観者という立ち位置を堅持してコメントする者です」
 「というわけで、今からあいまいで抽象的な前フリを長々と述べたあと、結論に一般論を提示して締めくくります」
 「その結果、あなたは消耗感におそわれます」

 それを聞いた一人目のニセ科学批判者は、言いました。
 「この私は、相手の心情に寄り添うことを大事にする穏健タイプのニセ科学批判者ですから、消耗どころか同情の気持ちが起きます」
 「あとから来る人に、聞かせてあげたらどうですか」
 「手応えがあるかもしれませんよ」

 二人目のニセ科学批判者も、同じようなことを言いました。
 「私は普通のニセ科学批判者ですから、普通に聞くことしかできません」
 「あとから来る人ならば、手応えがあるでしょう」

 三人目は苛烈なニセ科学批判者だったので、トロ-ルの言説を徹底的に修正して退けました。

 こうして三人は、草原の丘でたっぷりと昼寝をすることができました。
 (この小話は、次の記事を読んだあとで作りました)
 三びきのやぎのがらがらどん - Wikipedia

創作小話『教科書を二度読みますと言った者』

 ニセ科学を強固に擁護してブログが炎上したAさんは、ネット上で偶然に見つけた穏健なニセ科学批判者に願いました。
 「炎上をとめてください」
 「科学の素人である私の心情に寄り添って、擁護してください」
 「そうすれば、考えを変えて、科学に関する教科書を読みます」

 穏健なニセ科学批判者は、願いを聞き入れてAさんを擁護しました。
 炎上は、とまりました。
 その後、Aさんは科学に関する教科書を一冊も読みませんでした。読まない自分を、誇りさえしました。

 しばらく時が経ったころ、またもAさんはニセ科学を強固に擁護しました。ブログが、炎上しました。
 Aさんは、ネット上で偶然に見つけた苛烈なニセ科学批判者に願いました。
 「炎上をとめてください」
 「そうすれば、考えを変えて、科学に関する教科書を読みます」

 苛烈なニセ科学批判者は言いました。
 「あなたが、最初に擁護してくれた穏健なニセ科学批判者と交わした約束を破っているのを、私は知っています」
 「どうして、今回の願いを信用できましょうか」

 言い終えた苛烈なニセ科学批判者は、Aさんの科学的に間違った主張をこれでもかというほど修正しました。

 『教訓』このように、ニセ科学を擁護してブログが炎上して誰かを頼りたくなったときは、心情を量ってくれるニセ科学批判者を見極めたうえで頼みましょう。