創作小話『ムラビト的ブログの管理人と愛読者たち』

 そのムラビト的ブログの管理人は、愛読者たちに説教しました。
 「あなた方は場の空気の読み方が上手であり、感情論の使いどころも心得ています」

 「それなのに、どうしてモヒカン的な論者におびえるのですか」
 「モヒカン的な論者と議論しても負けることはないのですから、堂々と構えていなさい」

 説教が終わると、モヒカン的な論者が現れました。
 ムラビト的ブログの管理人は、あわててアクセス禁止の処分にしました。

 『教訓:この話は、他人に説教した内容を自分で完全にやり遂げるのは難しいという現実を明らかにしています』

創作小話『炎上が本望と評されたブロガー』

 ある日、Aさんの過疎ブログが炎上した。
 Aさんは、疲労困憊になりながらも火消しに成功した。
 「やれやれ、私の意図しない文脈で捉えられてしまって、大変な目にあった」

 それを聞いたBさんは、感想を述べた。
 「どうせ、自ら炎上マーケティングを仕掛けたのだろう」
 「それで被害者のような顔をされても、まったく同情できない」

 その後、Bさんのブログが炎上した。
 Bさんは、読者たちを批判した。
 「私の意図しない文脈で捉える駄目な読者が多すぎる」
 「きちんと私の真意を汲み取るべきだ」
 「それができない低レベルな読者は、来なくて良い」

 すると、反発する読者の数が増大した。
 Bさんのブログは、大炎上して閉鎖に追い込まれた。

 それを見たAさんは、感想を述べた。
 「Bさんは、本望だと喜ぶべきだ」
 「自分のブログに大炎上を呼び込むために、わざと意図しない文脈で捉えられるような文章を披露して、そのとおりの結果になったのだから」

 『教訓:このように、高度なブロガーになると、他人のブログに起きた炎上は好きなように批判でき、自分のブログに起きた炎上も好きなように批判できるのだ』

創作小話『論敵同士』

 ある日、互いを論敵と認める二人が一つのブログに偶然居合わせた。
 二人は、そのブログの記事を同時に読んだ。
 一方の者は、科学的に間違っている部分を散々に罵倒した。
 もう一方の者は、誤字脱字の部分を散々に罵倒した。

 それを見たブログ主は、二人に言い渡した。
 「今から、あなた方をアクセス禁止とし、あなた方からもらったコメントを全て削除する」

 科学的に間違っている部分を罵倒した者は、ブログ主に尋ねた。
 「その処分を受ける者は、二人のうちどちらが先か?」

 ブログ主は答えた。
 「誤字脱字を罵倒した者が先にアクセス禁止となり、先にコメントを全て削除される」

 科学的に間違っている部分を罵倒した者は、安堵して言った。
 「あいつのコメントが削除されていく様子を、俺は見届けることが出来る。これほど喜ばしいことはない」

 『教訓:このように、論敵に勝ちたいという気持ちが強すぎると、論敵の信用が落ちる姿を見届ける事と引き換えに自分の信用を落としてもかまわないという思考になるのだ』

創作小話『次々と罵倒芸を披露したブロガーと愛読者たち』

 その罵倒芸のブロガーであるAさんは、コメント欄に現れた礼儀の論者を散々に罵倒しました。
 礼儀の論者は、「私のネットマナー説教を聞いてくれる人は、ここにも居なかった」と嘆きながら去りました。

 次にAさんは、コメント欄に現れた悪しき相対主義者を、散々に罵倒しました。
 悪しき相対主義者は、「罵倒芸とネットマナーは、相対的には同じです」と言いながら去りました。

 次にAさんは、副管理人とdisり合いを始めました。
 すべてを見ていた愛読者たちは、話し合いました。
 「どうやら、私たちも去る時が来たようだ」
 「あのブログ主は、今まで共闘していた副管理人すらも追い出すつもりなのだから」

 【教訓】このように、罵倒芸のブロガーたちは愛読者がすべて離れる事態を覚悟したうえでdisり合いを行っているのです。

創作小話『途中で自己主張した者』

 ネット上で偶然に見つけた他所の議論に途中参加したAさんが自己主張していると、傍観者から指摘されました。
 「Aさんは関係者ですか? 部外者ですよね? ならば、黙っているべきなのでは?」

 なるほどと思ったAさんは、自己主張を控えました。
 すると、別の傍観者から指摘されました。
 「なぜに遠慮しているのか? 言いたいことがあるのならば、どんどん自己主張するべきである」

 それを聞いたAさんは、嘆きました。
 「自己主張していると、黙っているべきと言われる」
 「黙っていると、自己主張するべきと言われる」
 「結局、私の言論活動は何をやっても全否定されるのだ」

 『教訓:この話は、議論に途中参加する者は誰よりも一番に空気を読むという態度を維持すると傍観者たちの支持を得やすい、ということを教えています』

創作小話『罵倒芸の論者と悪しき相対主義者』

 罵倒芸の論者と苛烈なニセ科学批判者の二人がネット上で議論していました。

 罵倒芸の論者:「科学的に間違ったブログ記事を発見した際は、ばかにしてあざ笑いして蔑む評を呈するのが一番だ」

 苛烈なニセ科学批判者:「ばかにしたからといって相手が科学的に間違ったブログ記事を取り下げるとは限らない」
 「ゆえに、逃げ道がないほど理詰めを行い、相手に、」
 『こんなやり取りを私は今後も続けたいか? 否だ』
 「と判断させて、自主的なブログ記事の削除を促すべき」

 相互理解に辿り着けない状況を見ていた悪しき相対主義者が、仲裁を申し出ました。
 「お二人のご主張は、相対的には同じです」
 「そのように結論する私は、一人で高みに立つ悟りの傍観者です」

 罵倒芸の論者は忌々しげに言いました。
 「悪しき相対主義者に仲裁されるくらいなら、このまま苛烈なニセ科学批判者とdisり合いを続けて共倒れしたほうがましだ」

 『教訓』この話は、議論の平行線が長く続いた場合、「自分の仲裁力で論争を上手く纏められる」という傍観者が途中で参加してくる現実を明らかにしています。

創作小話『連敗していた罵倒芸の論者と、空飛ぶスパゲッティ・モンスター』

 ネット上のdisり合いで連敗した罵倒芸の論者が、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに向かって祈りました。
 「今すぐに、私を常勝の罵倒芸論者に変えてください」
 「ネット上をドヤ顔で歩ける罵倒芸の論者に、変えてください」

 すると、空飛ぶスパゲッティ・モンスターは大層な形相で言いました。
 「さあ、disの原稿に向かえ! 推敲を重ねろ! 自分で努力もしないで、私に常勝の罵倒芸を求めるな!」

 【教訓】この話は、自分で研鑽を積まず、ただ天に幸運を祈っているだけの日々ではdisり合いの常勝が叶わない、という現実を明らかにしています。