ネタのお言葉『disり合いの終りを慎み、遠きdisたちの思い出を追えば、ROMからの人徳ポイント、厚くゲットす』

 この言葉は、あの論語の「終を慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ネット上でライバルと遭遇したときは、思考にあるすべての罵倒の言葉を吐き出すつもりでdisり合いに臨みましょう。

 ライバルが罵倒芸の有効性に疑問を感じて引退を表明し、礼儀を重視する論者になってしまったときは、ネット墓標を作ってあげましょう。
 例:「私と幾星霜にわたってdisり合いを演じ、都合が悪くなると、本題と関係のない私怨的なニセ科学批判批判を述べて、逆転勝ちをおさめたかのような雰囲気を出しながら退場していた○○氏、ここに罵倒芸を封印する」

 そのネット墓標の前で、思い出を語りましょう。
 例:「貴公は口癖のように、『世のニセ科学批判者たちは、ニセ科学製品を売っているメーカーから必ず訴えられて、必ず敗れる』という主張を行っていたのう。わしは根拠を何度もたずねたが、ついに答えをもらうことはなかったのう」

 それが終わったら、自分のブログに戻り、そのライバルと過去に行った数々のdisり合いを総括した記事を公開して、締めとしましょう。

 すべてを見ていた読者たちは、「罵倒芸の論者としては、なかなか徳のある行動だ」と評してくれるでしょう。
 これにより、あなたのdis的な孝の数値は、1ポイント上昇したことになります。
 【意訳、おわり
 そのように曽子は言っている。

ネタのお言葉『disログの住民、議論の打ち切りを思わず』

 この言葉は、孟浩然の詩「春暁」の罵倒芸版である。
 【意訳
 そのログに集う人々は、皆が己の一人勝ちを目指して譲歩を許さず、disコメントの応酬を続けていた。

 殊勝で丁重なコメントを投稿する人も居たが、やがて荒い風袋となり、ついには憤怒の声を上げた。

 憤怒の声を上げる人:「おい、有象無象のお前たち! ネットマナーを守れという俺様の命令が聞こえねえのか!」
 他の人々:「そういうあなたが一番態度が悪いんだよ!」

 急にサーバーが落ちたが、あのdisログの白熱したやり取りが原因か。気になって眠れない。
 【意訳、終わり
 そのような不眠の日があったと孟浩然は記している。

ネタのお言葉『揶揄、明け方まで連なり、紛糾が生ず』

この言葉は、蘇舜欽(そしゅんきん)の詩、『初晴遊滄浪亭』(はじめてはれてそうろうていにあそぶ)の罵倒芸版である。
 【意訳
 ある一人のニセ科学擁護者が、ニセ科学批判者の運営するブログに向かって、揶揄のコメントを徹夜で連投していた。
 それを見かねた他の読者たちも、徹夜で批判のコメントを連投していた。

 するとブログ主が、「今日こそは私も我慢の限界、コメント欄は承認制に移行」と宣言した。
 読者の大半は、「英断だ」「美声の朗読だ」と賛同した。

 ニセ科学擁護者は、「そんなのむなしい対策ですよ(笑)」と言って相変わらず揶揄のコメントを連投したが、ひとつも画面に反映されなかった。
 他の読者たちは、「やかましくも薄い内容の議論が続いたが、これからは静かで濃い議論ができる」と喜んだ。

 それから一時して悪態のトラックバックが届いたが、ブログ主は「入念にチェックする必要、なくね?」と言って取り合わなかった。
 【意訳、終わり
 このような騒動がネット上の片隅で起きていたと蘇舜欽は滄浪亭で報告している。

ネタのお言葉『愚公、山ほどのdisを書き写す』

この言葉は、列子の「愚公山を移す」の罵倒芸版である。
 【なりたち
 山を移した後で愚公さんが言いました。
 「罵倒芸なるものを探究したいという気持ちになりましたので、ネット上にある全てのdis記事を竹簡に一文字ずつ書き写す作業に入ります」
 言い終えた愚公さんは、さっそく始めました。

 これを見た人々は、忠告しました。
 「ネット上のdis記事は五万とある、老い先の短いあなたには完遂できない作業だ、もっと別の有意義なことに時間を使ったらいい」

 「たとえば、ニセ科学批判者たちのブログやツイッターを朝に夕に閲覧し、専門用語だらけで科学素人には分かりにくい内容の記事が投稿されたら、すかさずダメ出しする、このような日々が有意義な時間の使い方だ」

 愚公は反論しました。
 「私に共感する人々が少ないながらも居ます、私が衰えてdis記事の書き写し作業ができなくなったときは、その人たちが作業を受け継いでくれます」

 これを聞いた空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、「老いてなお勉強に励む志の高さ、見事なり」と感心し、竹簡を差し出すよう愚公に指示し、ネット上にある全てのdis記事を一瞬で書き写したうえで返却しました。

 それを見た人々は、外野の批判を涼しい顔でやり過しながら罵倒芸の探究に勤しむことを「愚公、山ほどのdisを書き写す」と言い表すようになりました。
 【なりたち、終わり

 一部の研究者は、これが本来の「愚公山を移す」と考えている。長い時が経つうちに、このエピソードを描いた部分が散逸したのだという。

 それが本当かどうかはどもかく、地味で気の遠くなる小さな作業もあきらめずに続ければ大きなゴールに辿り着く、これについては現代に生きる我々にとっても疑いようがない真実である。

 「何かがおかしいような?」と思われた御方は、「愚公、山ほどのdisを書き写す」をそのまま実行した場合、挫折する可能性が高い。
 そのために、ネット上のどこぞでdis記事を見かけたときは、エッセンスだけを抜き取って参考としよう。

ネタのお言葉『よりdisく推敲』

 この言葉は、「推敲」の苛烈なニセ科学批判版である。
 【なりたち
 今から数千年前、ニセ科学批判の新人であるAさんが、新しく開設するブログのタイトルを模索していました。
 あれこれ考えた末に、『僕は諭す、目下のニセ科学を』というタイトルに決定しました。

 しかしながら、「ブログをネット上で公開する」のボタンを押す前に、「諭すの部分が今ひとつだな、直すにしたほうがいいかな?」とAさんは迷いました。
 迷いすぎて、見知らぬウェブサイトのコメント欄の投稿ボタンを、間違って押しました。
 見知らぬウェブサイトの管理人:「なんだ、この意味不明な投稿は? さては、非科学的な思考を持つ輩の仕業だな?」

 そのウェブサイトの管理人の正体は、苛烈なニセ科学批判者のBさんでした。
 Aさんから事情を説明されたBさんは、「なんだ、非科学的な思考の輩ではなかったのか」と思いながら助言しました。
 「直すではなく、叩くが良い」「いや、叩き潰すが良い」「よりdisい言葉を使用すれば、より読者の関心が強くなる」

 Aさんは、「なるほど、よりdisい言葉を採用するのも有りか」と納得しました。
 その後、AさんはBさんとブレインストーミングを実行し、新しいブログのタイトルを最終決定しました。

 『僕は叩き潰す、ニセ科学推進者の説を。ニセ科学推進者の本を好意的に紹介して拡散する有名人の、ツイート群を。中立の傍観者を名乗りながらも結局はニセ科学に利する発言ばかり繰り返してドヤ顔を決める、エセインテリの態度を。科学文明社会の維持を脅かす非合理な事象現象を、僕は片っ端からサーチ&デストロイして浄化してあげるんだ。目下そんな感じのブログ』

 AさんとBさんは、苦労の成果を喜び合いました。「ニセ科学問題を知らない人にも直ぐに趣旨を理解してもらえる良いブログタイトルができた」

 この話を知った人々は、趣旨の分かりやすさを重視したブログタイトルに仕上げる行為を、「よりdisく推敲」と言い表すようになりました。
 【なりたち、終わり
 一部の研究者は、これが本来の「推敲」と考えている。数千年の時が過ぎるうちに、「よりdisく」の部分が省略されてしまったという。
 それが事実かどうかはともかく、穏健派のニセ科学批判者様におかれては、「今日もまた、ニセ科学を好意的に説く論者の姿をネット上で目撃いたしました、遺憾なので今から私が諭してあげますね」と思って諌めの記事を書く際は、「よりdisい方向の文章に仕上げる選択肢もある」と呟くことを習慣にしよう。
 そうすれば、スランプに陥った時に「私には芸風の引き出しがもう無くなった、このうえは引退するしかない」と成らずに済む。

ネタのお言葉『直きのdisを以って怨みのdisに報い、徳のdisを以って徳のdisに報ゆ』

 この言葉は、論語の「直(なお)きを以(もっ)て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ある罵倒芸のブロガーが孔子に問いました。
 「論敵から怨みのdisコメントをもらったときに人徳のdisコメントを返してあげる態度は、どうでしょうか?」
 孔子は答えました。
 「その態度を良しとするならば、論敵から人徳のdisコメントをもらったときに何のdisコメントを返してあげられるのでしょうか?」
 「怨みのdisコメントをもらったときは率直なdisコメントを返し、人徳のdisコメントをもらったときは人徳のdisコメントを返す、これならば釣り合いがとれます」
 【意訳、終わり
 議論の際に相手から恨みがましいコメントをもらったときは、寛容な態度を見せず、毅然とした態度で跳ね除ける。
 心温まるダメ出しコメントをもらったときは、こちらも心温まる反論コメントで答えてあげる。
 この二つの態度を維持することにより、議論が脇に逸れずさくさく進み、早めに相互理解に達して早めに解散できる。
 これが理想の議論のあり方だと孔子は主張していたのである。

 しかしながら、議論の相手から「私怨的なニセ科学批判批判のコメント」をもらったときは、少し事情が違ってくる。
 「相手にするだけ時間の無駄ですわ」と判断して捨て置くも良し、「主張の中身に真正面から反論できないので人格攻撃を実行して己の溜飲を下げようとする負けず嫌いの哀れな人だ」と同情してあげるも良し、「私怨的なニセ科学批判批判の公開はあなたの評判を地に落とす行為なのでやめましょう」と諫めてあげるも良し。

 このように、他のお題で議論をしているときはともかく、ニセ科学をお題とする議論で私怨的なニセ科学批判批判のコメントをもらった場合は、様々な対応のルート選択がある。
 「恨みがましいニセ科学批判批判には毅然とした態度で臨む、これがただひとつの正解だ!」と気負う必要はないのである。

ネタのお言葉『敏のdisなれば即ち功あり、公のdisなれば即ち喜ぶ』

 この言葉は、論語の「敏なれば則(すなわ)ち功あり、公なれば則ち説(よろこ)ぶ」の罵倒芸版である。
 【意訳
 ネット上のdisり合いの場において、寛容なdisばかりを公開したならば、人望の数値がアップします。
 誠実なdisばかりを公開したならば、信頼の数値がアップします。

 鋭敏なdisばかりを公開したならば、功績の数値がアップします。
 公平なdisばかりを公開したならば、聴衆の満足度がアップします。
 【意訳、終わり
 罵詈雑言を並べただけのコメントはいけない、信頼や功績を高めることを視野に入れたdisコメントを述べるべきという主張である。
 「そんな戦略は面倒だ、脳内に浮かんだ毒吐きの言葉をそのままネット上で具現化する作業が楽でよいのだ」という御方はともかく、そうでもない御方は思考の片隅にメモしておこう。

 ちなみに私の場合、信頼や功績の向上はひとまず脇に置き、読者様から「ツッコミどころ満載ですね」と評してもらえるdisコメントを普通に披露できる状態が理想と考えている。
 ゆえに、次のようなオリジナルの芸をしばし探究したい所存。

 【しばし探究したいオリジナルの芸
 1:まずは、疫学の教科書をほぼ読まないままで疫学の玄人たちに論戦を挑む。
 2:返り討ちにあう。
 3:後釣り宣言する。
 4:ドヤ顔を決める。
 5:それを見た疫学の玄人たちと聴衆「ポカーン…」
 6:ミッションコンプリートである。

ネタのお言葉『真の罵倒芸を信ずること篤からずんば、いずくんぞネット上で能く有りと為さん』

 この言葉は、「道を信ずること篤(あつ)からずんば、焉(いずく)んぞ能(よ)く有りと為(な)さん 」の罵倒芸版である。
 【意訳
 子張(しちょう)が言いました。「人徳のある罵倒芸を執り行い、真の罵倒芸を信じて思索する。それをしない論者は、ネット上で山ほどdisを述べていても、ROM専門の人と区別がつかないほどの存在感となる」
 【意訳、終わり
 多くの人々から信頼されるdisコメントの作成に努めつつ、いま以上に高度なdisり方があるはずと信じて探究する。
 この二つを同時に行うことにより、後世の人々にも支持される伝説級の罵倒芸論者になる。

 「私は常に正しいことしか言わない人である、ゆえに異論を述べる者たちはみんな間違っているという理屈になる」というスタンスで罵倒芸を実行している論者、
 「前フリが長いわりに本論はスカスカ、たどり着いた結論もなんのことはないただの一般論」というレベルで満足している論者のdis記事は、人々も丁寧に読みたいという気持ちが起きないために、記憶に残すことなく捨て去られる。

 真の罵倒芸を求めて修行中の私であるが、いつの日にか万人から信頼されるdis記事を量産する自分となり、数十年、数百年と語り継がれるブログをネットの片隅に刻んでおきたい。

ネタのお言葉『遠きdisを致さんには思考の泥まんことを恐る』

 この言葉は、論語の「遠きを致(いた)さんには泥(どろ)まんことを恐(おそ)る」の罵倒芸版である。
 【意訳
 子夏(しか)が言いました。「ネット上の片隅でdisをブイブイ云わしている泡沫過疎ブログを見つけ出して感動することも、時にはあるだろう」
 「しかしながら、遠大な罵倒芸の道を歩いている者にとっては、取るに足らない路傍の小さなdisを一歩進むごとに拾ってあげる行為は、自分の時間を無駄に消費する行為であるし、いたずらに自分の思考を濁らせる行為である」

 「ゆえに、君子的な罵倒芸を一刻も早く会得したいと考えている者は、『威勢がいいわりに内容は薄い』というdisコメントは無視し、『低姿勢のダメ出しなのに内容がむっちゃ濃い』というdisコメントを優先して読むべきである」
 【意訳、終わり
 私の場合、少しでも気になる他人のdisコメントをネット上で見つけたときは、即座に飛びついて拝読し、
 「読む前は深い意味がある哲学的なdisコメントかなと思ったけれど、よく読んでみたら罵詈雑言を思いつくまま並べたにすぎない文章だった、この時間はなんだったのだ?」
 と後から悔やむ傾向があるために、今後は事前によく吟味して有益なdisコメントだけを思考に収めたい。

ネタのお言葉『君子的なdisの探究者もとより窮す、そうでない者窮すれば斯こに濫る』

 この言葉は、論語の「君子固(もと)より窮(きゅう)す、小人窮すれば斯(こ)こに濫(みだ)る」の罵倒芸版である。
 【意訳
 陳という国を通りかかったところで、孔子の一行は食料が尽きました。皆が所持しているスマートフォンの電池残量も、0となりました。
 他の旅行者たちは、持っている食料を頭の上に掲げて、「インスタ映えする~」と言いながらスマートフォンで写真を好きなだけ撮っていました。

 状況の落差に耐え切れず、子路(しろ)がプチ切れして孔子に問いました。「君子的な罵倒芸を真摯に探究している論者でも、みじめな思いをすることがありますか!?」
 孔子は答えました。「もちろん、あります」
 「しかしながら、君子的な罵倒芸を探究している論者は、一歩も動けないほど腹がすいていたり、所持しているスマートフォンがただの板と化したときでも、プチ切れの態度を表立って見せたりしません」
 「そこが、つまらない罵倒芸で満足している論者との違いです」

 それを聞いた子路は、「私はつまらない態度を見せてしまった、皆が飢えとスマートフォンの電池切れで困っているときに、私は無駄に大声を出して皆をさらにうんざりさせてしまった」と反省しました。
 【意訳、終わり
 私の場合、「そのような状況でプチ切れを表す自分は居ない」と言い切れないために、今から脳内でシミュレーションを繰り返し行い、現実で起きた際に涼しい顔でやり過ごせる自分を作っておきたい。