自説の正しさに多大な自信があるゆえに、疫学の玄人たちから誤りを指摘されてもなかなか認められず、もどかしい気持ちになる疫学素人でも、疫学の玄人たちと長く議論を続けられる方法

 •まずは、次のスタンスで疫学の玄人たちと議論を始める。
 「自分が考えることは常に正しい、自分がネット上に公開する主張も常に正しい、そんな自分に異論を述べる人達はみんな間違いだ」
 
 議論の途中で次の状況になる。
 「あかん、疫学の玄人たちから総ツッコミをもらって自説の間違いが明らかになってしもうた、どないしよう?」

 •素人の立場を強調して凌ぐ。
 「この私は、疫学素人としての意見を述べたまでのこと」
 「素人なりの問題提起をしたまでのこと」
 「おかげで、多くの一般人に関心を持ってもらうことができた」
 「これは疫学玄人の諸君にはできない所業であり、疫学素人である私ゆえに達成できた成果である」
 
 •これを聞いた疫学の玄人たちは、あきれる。
 「自信満々で議論を始めておきながら、自説が不利になった途端に素人の立場を強調して開き直るってどういうこと?」
 「議論を続ける気が失せたよ、帰る!」
 
 •いま帰られては寂しいという思いが募り、下手に出ながら引き留める。
 「私は疫学を勉強中の者です、もっと色々な知識を授けてください」
 
 •それを聞いた疫学の玄人たちは、「殊勝な態度だ、議論を続けてもよさそうだ」と判断する。
 
 •議論の場に戻ってきた疫学玄人たちの姿を確認し、安心し、再び疫学の素人なりに構築した自信満々の主張を聞かせてあげる。

 この方法の要点は、「自信たっぷりに自説を語る態度」を見せた後、「勉強中の私に正しい疫学の知識を教えてください」という謙譲を見せてあげることである。
 疫学の玄人たちにギャップ萌えを覚えさせるのが狙いである。
 
 読者さまの議論術の参考になれば幸いである。
 
 【注意事項
 「このブログ主は何を言っていますの」と思われた御方の場合、この方法を実行すると多大なストレスを感じて倒れる。
 思考の片隅へメモするに留めておくが無難である。

世のニセ科学批判者たちからポケモンのセリフ風に感心してもらえる方法

 次の記事を発見した。
 言ってもいないことを言ったとされてしまう問題について - NATROMのブログ

 読み終えた私は、次の主張を思いた。
 【思いついた主張】「当時のNATROMさんと林衛さんのやり取りは、事前の打ち合わせがあって行われた可能性もゼロではない」
 「というのも、当時のNATROMさんと林衛さんは、『医学的な考え方に馴染みがない人々にも興味を持って読んでもらえるツイッター上の対話とは、どのような形が一番か?』というお題を立てて話し合い、」
 『やはり漫才の形が一番だ』
 『林衛さんがボケ役を務め、NATROMさんがツッコミ役を務めてツイッター上で掛け合いする』
 『そうすると、普通に対話する場合に比べて三倍の数の読者が集まるのだ』
 「という考えに至り、実行に移された」

 「このような背景があるために、我々は次のような感想を述べてはいけない
 『当時の林衛さんは、科学的な議論の形成が困難な御方だった。それ以前に、普通の議論ができない御方だった』
 『一方のNATROMさんも、早い時期に『相互理解の達成は絶対に不可能な相手』と判断しておけば、『底に穴が開いたバケツに水を入れるような不毛感が増すばかりでがっかり』と嘆く日々は来なかった』

 「このような感想を述べてしまうと、『実は演出のやり取りでした』と明かされたときに、『返せ……。返せ! 真面目に分析して感想文にまとめた僕のリソースを、返せ!』と叫ぶ事態となる」

 このような主張をニセ科学批判者たちに向かって述べると、次のように感心してくれる。
 【ゲームのポケモンで使用されたセリフ、『かがくのちからって すげー!』風に感心するニセ科学批判者たち】
 「可能性もゼロではないという言葉のちからって、すげー!
 「この言葉をあらかじめ述べておけば、その後に根拠がない話を山ほどしても、読者たちは完全否定ができなくなってしまうんだ!

 以上、世のニセ科学批判者たちからポケモンのセリフ風に感心してもらえる方法であった。