創作小話『ロバとニセ科学批判者』

 ロバとニセ科学批判者が、一緒に道を歩いていました。
 道の途中に、崖がありました。
 ロバは、その崖に向かって歩き始めました。

 ニセ科学批判者は引きとめようとしましたが、ロバは何かに憑りつかれたようにぐいぐい進んだので、あきらめました。
 ロバは、うれしそうに言いました。
 「はっはっは、どうだ、ニセ科学批判者の追及を振りきって、完全勝利したぞ!」
 ロバは、笑いながら崖の下に落ちていきました。

 【教訓】この話は、議論の途中で自分の主張が間違っていると判明したにもかかわらず、
 強引な言い訳を続けて無理やり勝利宣言すると、信用が落ちるところまで落ちてしまうということを教えています。

「私はあの論者が嫌いだ、ゆえに私は、あの論者の主張を全て否定する」というスタンスのニセ科学批判批判は最良か?

 ニセ科学批判批判を行う際のスタンスとして、次の三つが考えられる。

 その1:「私は○○氏が嫌いである。ゆえに私は、○○氏の言うこと全てに反対を表明する」

 その2:「私は○○氏が嫌いである。だからといって、○○氏の言うこと全てに反対するのも変な気がする」
 「というわけで、○○氏が何か主張するたびに検証を行い、『これはアカン内容ですやん』と判断したときに限ってダメ出しする」

 その3:「私は○○氏が嫌いである。しかし、」
 『○○氏に対する私情を脇に置き、○○氏が述べる主張の内容のみに神経を集中する。それが、クールヘッドなニセ科学批判批判だ』
 「と思う私も居たりする」
 「では、どうするか? ○○氏が良いことを述べたときは褒めてあげ、ダメなことを述べたときはdisり倒す。これが、現実解である」

 以上の三つのうち、『その1』のスタンスが最良と思われる。
 なにしろ、自分が嫌っているニセ科学批判者の言うことを頭ごなしに否定するだけなので、楽に実行できる。

 それに比べて『その2』のスタンスは、「なにかしら主張されるたびに内容をいちいち検証しなければならず、とっても面倒」というデメリットがある。

 『その3』のスタンスは、「主張の内容をいちいち検証するのって面倒」というデメリットに加えて、
 「検証の結果が良かった場合、『妥当な主張の公開、大儀である』というお褒めのコメントを作って投稿ボタンを押すわけだが、この作業がけっこう面倒」
 というデメリットがある。

 ゆえに、『その1』のスタンスが最良という結論になる。

 「最良ではなく最悪でしょう」と思われた御方は、『その1』のスタンスでニセ科学批判批判を行うと多大なストレスを感じてしまうだろう。
 そのときは、「嫌いなニセ科学批判者のツイートやブログは、ひとつも見ない」というスタンスに切り替えてストレスを解消しよう。

 (この記事は、次のはてなブックマークを読んだあとで作りました)
 はてなブックマーク - 良い方のニセ科学バスター菊池教授。ダメな方じゃなくて良かった - IkaMaruのコメント - はてなブックマーク

ネタのお言葉『disログの住民、議論の打ち切りを思わず』

 この言葉は、孟浩然の詩「春暁」の罵倒芸版である。
 【意訳
 そのログに集う人々は、皆が己の一人勝ちを目指して譲歩を許さず、disコメントの応酬を続けていた。

 殊勝で丁重なコメントを投稿する人も居たが、やがて荒い風袋となり、ついには憤怒の声を上げた。

 憤怒の声を上げる人:「おい、有象無象のお前たち! ネットマナーを守れという俺様の命令が聞こえねえのか!」
 他の人々:「そういうあなたが一番態度が悪いんだよ!」

 急にサーバーが落ちたが、あのdisログの白熱したやり取りが原因か。気になって眠れない。
 【意訳、終わり
 そのような不眠の日があったと孟浩然は記している。

創作小話『ニセ科学批判者ならばニセ科学擁護者の気持ちが完全に満足するまで言い分を聞いてあげるべきと主張したブロガー』

 ニセ科学批判批判者のAさんが、自ブログで言いました。
 「世のニセ科学批判者たちは、ニセ科学擁護者たちの言い分に間違いがあると必ず取り上げて指摘しているが、これはニセ科学擁護者に反感を覚えさせる行為なのでダメである」

 「ほかのものを批判している人はともかく、ニセ科学を批判対象として活動している者には、ニセ科学擁護者たちの気持ちを完全に満足させてあげる義務がある」
 「誰が決めた義務なのか? 私である」

 「というわけで、今からニセ科学批判者たちは間違いの指摘を封印し、ニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげたまえ」

 すると、ニセ科学批判者のBさんが現れて言いました。
 「Aさんのご主張は、理想論としては納得できますが、現実的には厳しいです」
 「ニセ科学擁護者たちの心情に寄り添いつつ、遠まわしにふんわりと間違いを指摘する、これならば現実的にも厳しくないです」

 Aさんは反論しました。
 「貴公には、ニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげた経験があるかね?」
 「なに、【ひとつもございません】とな?」
 「ならば、実際に経験した後で私の主張に文句を言いたまえ」

 「なお、ツッコミを入れられる前に告白しておくが、私自身もニセ科学擁護者たちの気持ちが完全に満足するまで言い分を徹底的に聞いてあげた経験はない」
 「これからも、そのような経験をするつもりはない」

 「なぜならば、私は一傍観者にすぎない立場のブロガーだからである」
 「ニセ科学擁護者たちの非合理な話につきあう時間など、私は一秒も持っておらんのである」

 「これを聞いた読者たちの中には、」
 『自分で実施するつもりがない行為をニセ科学批判者たちに義務として負わせようというわけですか、ずいぶんとお偉い立場なのですね』
 「という感想を抱いた者が居るかもしれないが、事実として私はお偉い傍観者を自認しているので、オッケーである」

 「なお、これを漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』風に言い表すと、」
 『自分がしないことを、ニセ科学批判者たちに平然と指図する! そんな私にしびれる! あこがれる!』
 「となる」

 聞き終えたBさんは、「そんなブロガー、修正してやるっ」と思い立ち、disコメントを用意しましたが、
 「今まで私は、穏健派のニセ科学批判者というイメージを地道に作り上げてきた」
 「ここでdisを公開したならば、穏健なイメージを一瞬で無くすことになる」
 と考え直し、かわりに【ほほえみを湛えつつ、しずしずとAさんのブログを去る】という行動を選択しました。

 Bさんの後ろ姿を見送った他の読者たちは、「Aさんの物言いに怒りを露にすることもなく退場できるとは、実に抑制の効いたニセ科学批判者だ」感心しました。

 【教訓】このように、ネット上で行う対話においては、相手の言い分に多大な理不尽を覚えたとしても、怒りの態度を見せず、反論のコメントも投げず、ニコニコ笑顔で聞いてあげる態度に徹して対話を終えると聴衆から良い評価をもらえます。
 これこそが、『アンガーマネジメント』の一番の利点なのです。
 (この記事は、次のTogetterまとめを読んだあとで作りました)
 yunishio氏と化学物質過敏症

創作小話『そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではないと述べて一人勝ちした者』

 ある村の広場で、ニセ科学に関する公開の討論会が行われていました。
 最初にAさんが主張しました。
 「EM菌の理論についてですが、科学的に摩訶不思議な話がいくつも含まれています。『すごい、万能の効果だ!』と飛びついたり、支持を表明したりするのは考えものです。懐疑的に受けとめたほうが無難ですね」

 次にBさんが主張しました。
 「化学物質過敏症についてですが、提唱されてから何年も『確かな証拠は見つからず』という状態です。『検証実験の仕方が悪いだけ、別の方法で検証すれば必ず証拠が見つかる』という人の話は、一歩引いて聞いたほうがよさそうですね」

 三人目にCさんが主張しました。
 「罵倒芸イオン実在説は、内容もダメすぎですが、」
 『まだ見つかっていないだけ、この宇宙空間を隅々まで探した暁に見つかる、しかし科学者たちは一向に探そうとしない、実に怠慢な連中だ』
 「という提唱者の言い訳も、ダメすぎです。他人に自分の主張の根拠を探させようとしている時点で、失格ですね」

 最後にDさんが言いました。
 「そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではない」

 「現代科学文明社会の日本において、いまだにニセ科学を鵜呑みに信じるこの村の、理科教育の失敗をしっかりと認識し、村政のあり方を一から検討すべき段階である」
 「そうしなければ、『ポケモンのジラーチが眠っている時間』が経っても事態が変わらないのである」
 「なお、ジラーチが眠っている時間は約1000年と言われている」

 これを聞いた他の論者たちは、「ふむふむ……えっ?」となりました。
 場の空気の異変を察知した司会者が、Dさんに注意しました。
 「御説ごもっともですが、その話は別の機会にしてくださるよう、お願いいたします」

 Dさんは反論しました。
 「そのような注意を述べて悦に入っている段階ではない」
 「この討論会の失敗をしっかりと認識し、村政のあり方を一から検討すべき段階である」
 「そうしなければ、太陽系が銀河系を一周するほどの時間が経っても事態が変わらないのである」
 「なお、太陽系が銀河系内の軌道を一周する時間は、約2億5千万年と考えられている」

 これを聞いた司会者は、「うん……えっ?」となりました。聴衆も、「ほう……えっ?」となりました。

 それ見たDさんは、勝利宣言しました。
 「みんな黙ってしまった、私の言っていることが的を射ており、反論する余地が一つもないからだ」
 「私と同じレベルでニセ科学問題を語る村人が現れるのは、いつの日だろうか? いや、そんな日は永遠に来ない」
 「切れ者はつらい、いつも孤独な立場に置かれてしまう」

 言い終えたDさんは、やれやれという表情で会場を去りました。

 以上、「そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではないと述べて一人勝ちした者」というお話でした。

 【教訓】この話は、個別のニセ科学を取り上げて議論している場所で、「そんな小さなニセ科学を批判して悦に入っている段階ではない、もっと大枠の形でニセ科学を語る段階だ、そうしないとニセ科学問題はいつまで経っても解決しない」と言ってあげると、他の人たちが一斉に引いてしまうという現実を明らかにしています。

 (この記事は、次のはてなブックマークを読んだ後で作りました)
 segawashinさんのコメント
 まあでももうこんな小粒なペテンを叩いて喜んでる段階じゃないのでは。
 「多年にわたる失政による大気汚染」とはっきり認識して政治的に詰めていかなきゃ100年たっても花粉症対策なんかできない。

 【追記】細かい話をしている論者を見かけたときは、「そういう段階ではない、今は大枠の形で話をするべき段階だ」と言ってあげる。
 大枠の形で話をしている論者を見かけたときは、「細かい部分も語るべきだ、今のあなたは『森を見て木を見ず』の状態だ」と言ってあげる。
 この行動を繰り返すことにより、自分一人の勝ちが次々と積み重なる。

 「煙たい人という評判が立ってしまうのでは?」と思われた御方は、この芸に不向きな人である。採用を断念しよう。

創作小話『炎上しているニセ科学批判者の態度について感想を述べた後、自分も炎上したブロガー』

 ニセ科学批判者のAさんが、自ブログで言いました。
 「罵倒芸イオンの実在説を唱える人と議論を行ったが、お粗末な話を聞かされるだけだった」
 「あれほどのダメな話は、無意識ではできないと思われる」
 「意図して杜撰な話をしていたのではないか? いや、そうに違いない」

 「なにしろ私は、ニセ科学批判をしてきた経験が数十年もある」
 「それゆえに、相手が意図的に杜撰な話をしているか否かを、正確に判定できるのだ」

 すると、罵倒芸イオン実在説を唱えている当人のBさんが現れて、反論しました。
 「意図的に杜撰な話をしたわけではない」
 「主観的には理詰めで話をしたつもりだが、客観的にはとっちらかった話を開陳する私が居た、これが事実である」
 「よって貴公の主張は誤りであり、今すぐに撤回したまえ」

 Aさんは、撤回しませんでした。
 「意図的に杜撰な話をする人の言い訳を、私が信じるとでも?」
 「もはや、あなたに対する信頼は地に落ちています」
 「話を聞くだけ時間の無駄です、ブロックします」

 これを見た他のニセ科学批判者たちは、Aさんに諫言しました。
 「その態度は、いかがなものかと思います」
 「せめて、Bさんが意図的に杜撰な話をしたという確かな証拠を示したうえで、ブロックするべきです」

 Aさんは、諫言してきたニセ科学批判者たちを無言でブロックしました。
 それを見た他の読者たちは、一斉に批判の声を上げました。

 「自説に都合が悪いコメントをもらったら即座にブロックって、なんなの? それでもニセ科学批判者なの!?」
 「諫言にブロックで応えるニセ科学批判者なんて、見苦しいよ! いますぐに、ネット上から消えてよ!」
 「そんなことより、俺の歌を聴けー!!!!! ……言い間違えた、そんなブロックより、【Bさんが意図的に杜撰な話をした】という証拠を出せぇー!」

 この騒動を聞きつけたニセ科学批判批判者のCさんは、感想の記事を自ブログで公開しました。
 「あのAさんってば、否定的な読者たちどころか、中立を名乗る読者たちまで次々とブロックしていますね」
 「昨日までは、『異論は大歓迎です、私は逃げずにとことん対話する人です』と言っていたくせにね」

 「というわけで、Aさんの態度から次のような結論を導くことができます」

 「Aさんは、Bさんの杜撰な話を意図的なものだと断言したが、意図的であるという証拠をついに出せなかった」
 「ゆえに、Bさんが唱えている罵倒芸イオン実在説は、肯定的な事実が多分に含まれている説といえる」
 「主流の科学者たちが飛びつく日も近い」

 Cさんが言い終えると、ネットモヒカンたちが現れて修正を始めました。
 たくさんのダメ出しをもらいながら、Cさんは反省の弁を述べました。
 「これは当然の結果だ」
 「ネットモヒカンたちが飛びついてくる未来を想定し、飛躍した論理の主張をネット上に公開しないという選択もできたはずなのに、私はそうしなかったのだから」
 「しかし、いまさら悔やんでも炎上の状況は何も変わらない、ブログを閉鎖するしか道はない」

 言い終えたCさんは、ネット上から潔く消えました。
 以上、「炎上しているニセ科学批判者の態度について感想を述べた後、自分も炎上したブロガー」というお話でした。

 (この記事は、次のツイートとはてなブックマークを読んだあとで作りました)
 CordwainersCatさんのツイート
 「捏造研究だ」と言う批判が名誉毀損になると言う事は池田先生の発表を肯定する事実があると言う事なんですよ。


 NOV1975さんのコメント
 「意図的な捏造」という主張の真実性の話なので科学の問題ではないよ


 【追記】「あの罵倒芸イオン実在説を唱える人はものすごくダメな話をしている、ゆえに意図的にダメな話をしているという理屈になる」
 というニセ科学批判者の姿を目撃したら、
 「論理に飛躍がありますよ、それとも意図的にダメな話をしたという証拠でもありますか? ありませんよね」
 と指摘してあげる。

 その後、「あのニセ科学批判者は、【罵倒芸イオン実在説を唱える人が意図的にダメな話をした】という証拠をひとつも出せませんでした、ゆえに罵倒芸イオン実在説は科学的に正しい説といえます」と述べる。

 これで一勝一敗の成績となり、公平な傍観者の立場を維持したことになる。
 「なにごとも勝ちすぎはよくないのだ、負け始めたときの反動が、すごいことになるからだ」という考え方である。
 読者様の処世術の参考になれば、幸いである。

創作小話『匿名のニセ科学批判者よりも実名のニセ科学推進者を信頼するほうがマシと述べたブロガー』

 ネット上で活動するニセ科学批判者たちの姿を一通り眺めたAさんは、感想を述べました。
 「感情論を排除し、理屈を振りかざし、ウォームハートのかけらもない冷徹な態度、共感できる部分がひとつもない」
 「ゆえに私は、今からニセ科学批判批判を行うと決めた」

 さっそくAさんは、自分のブログで主張しました。
 「ニセ科学批判者たちの大半は匿名で活動しているが、これはダメである」
 「なぜならば、一般市民たちは実名で活動している論者のほうに、より高い信頼性を見出すからである」

 「この事実により、匿名のニセ科学批判者たちは実名を明かしたうえで活動すべきという結論になる」
 「実名を明らかにできないニセ科学批判者は、引退を表明してネット上から消えたまえ」
 「信頼性の低い匿名でありながら、『世間に正しい科学を啓蒙いたします』などと嘯くニセ科学批判者たちは、勘違いが甚だしいのである」

 すると、匿名のニセ科学批判者たちが現れて、議論をふっかけてきました。
 しばらく付き合ってあげていたAさんでしたが、しだいに面倒となり、ついには投げやりな気持ちで言いました。
 「やはり、匿名のニセ科学批判者たちはダメである」

 「科学の素人である私に向かって、」
 『主張の中身に反論せずに論者の属性を云々するのは、【人格攻撃】では?』
 「とか、」
 『主張の中身に反論せずに匿名実名を云々するのは、【論点のすり替え】では?』
 「とか、」
 『匿名の論者が言うことは信頼性が低い、実名の論者が言うことは信頼性が高い、という考え方は【誤った二分法】では?』
 「とか、」
 『主張の中身には反論できない、しかし何かしら物申したい、そうだ匿名実名の話を持ち出そう、少なくとも自分の個人的な溜飲を下げることはできる、という考え方は【認知的不協和】のダメな解消の仕方では?』
 「などと、すぐに答えるには難しい問いを一斉に放つとは何事か」

 「おかげで私は、」
 『えっ? ちょ、ちょっと待って、そんなに知らない用語をいっぺんに畳み掛けられると、思考が、思考が、てべぼ!』
 「という感じで、漫画の『北斗の拳』に登場するキャラの監督の修羅さん風に追い込まれたではないか」

 「実に、不愉快な思いをさせる連中である」
 「こんなことならば、実名を明かして活動しているニセ科学推進者を信頼するほうが、よっぽどマシである」

 これを聞いた匿名のニセ科学批判者たちは、「これ以上のやり取りは時間の無駄」と判断して帰りました。
 入れかわりで、ハイエナジーなネットモヒカンたちが来ました。
 「ひゃっはっは、言うにこと欠いたブロガーだあ!」
 「見ろ、あの必死のニセ科学擁護論をよ!」

 「ふっふっふ、ニセ科学に利する発言をするブログが見つかったようだな。俺たちのオアシス(修正の対象)が見つかったあ!」
 「非合理な言論を見せられた時は、すぐのdisりで応対してあげる! それが、モヒカン的思考の鉄則だ!」
 「たのしい、たのしい、説教の時間だ……」

 その後、Aさんのブログはネットモヒカンたちによって閉鎖に追い込まれました。

 【教訓】この話は、議論の継続を面倒に感じて打ち切ろうとした際に余計なことを言ってしまうと、さらにしんどい議論へと移行して疲弊度が増すという現実を明らかにしています。

 (この記事は、次のブログのコメント欄を読んだあとで作りました)
 トンデモさんリスト(適宜追加する予定) - NATROMのブログ

 スカイハイ555さんのコメント(2019-03-29 16:55)
 自分の言う事と違うことを言ってる←トンデモのレッテル貼り乙www
 ねぇねぇ、「医師はサービス業」って、分かるぅ?
 テメェは素性を隠して、非・主流派を攻撃してるだけ。
 名前を名乗って、言う通りの事をクリニックで実践してる、内海聡の方がテメェより数十億倍信頼できる。
 あ…ところで、メタモル出版はどうなったのかなぁ?www

「ニセ科学批判カルト」という言葉を使用して一人勝ちを収める方法

 ・まずは、ネット上に数多ある記事の中から、「執筆者がニセ科学批判者にもかかわらず、論理の飛躍がありえないくらいに散りばめられている記事」を探す。

 ・見つけたら、次のように感想を述べる。
 「どういうことだ、あのニセ科学批判者は? ダメすぎな記事を書くにも程がある」
 「しかも他のニセ科学批判者たちは、全員がだんまりを決めている有りさま」

 「ニセ科学推進者が書いた記事については『これでもかっ』というくらい糾弾するくせに、身内のダメな記事に対しては『カッコー、カッコー』と閑古鳥が鳴くほどに絶対の沈黙をつらぬく態度、まさに【ニセ科学批判カルト】といえよう」

 ・このように述べると、一人勝ちを達成したことになる。

 【この芸の注意点
 次のように反論してくるニセ科学批判者が現れる可能性も、ゼロでない。
 「そのダメな記事について、私は自分のブログやツイッターで朝に夕に言及しています」
 「しかも、『これでもか……これでもかあっ!?』というほどに糾弾しています、どうぞお読みください」

 この場合、次のように返事する。
 「なるほど、たしかにあなたは身内に対しても厳しい意見を言えるニセ科学批判者のようだ」
 「しかし、あなたは例外の存在にすぎない」
 「ゆえに、ネット上で活動しているニセ科学批判者たちに向かって、この私が【ニセ科学批判カルト】という評を下す行為に何ら問題はないという理屈になる」

 このように述べると、二勝目を達成したことになる。

 「そのニセ科学批判者のダメな記事について私は黙っているどころか厳しく批判していますよ」と言ってくるニセ科学批判者は、もしかしたら数十人、数百人と次々に現われるかもしれない。
 そのときに、
 「おや、けっこう身内を批判しているニセ科学批判者が居るようだ、【ニセ科学批判カルト】と評したのは早計だったかな?」
 と弱気にならず、
 「あなたは例外の存在にすぎない、ゆえに私の【ニセ科学批判カルト】という評は的外れでない」というセリフの一点張りで頑張ろう。
 どんどん自分一人の勝利が積み重なっていく。

 「そんなの主観的な勝利ですやん、客観的には信用をどんどん失っていますやん」と思われた御方は、この芸を実行しても失敗に終わる可能性が高い。
 「そのような勝ち方をよしとする立場もあるのだな、私にはまったく理解できない立場だけれど」という感じで思考のクラウドにそっとしまっておこう。

 以上、「ニセ科学批判カルト」という言葉を使用して一人勝ちを収める方法であった。
 (この記事は、次のはてなブックマークを読んだあとで作りました)
 はてなブックマーク - なんだこれ…。ニセ科学批判教団、村中全面擁護だったなあ-んで、連中、「理系が裁判官にいないのガー」とかやってるらしく、まさしくカルトである。 - Cunliffeのコメント - はてなブックマーク

「罵倒芸イオン実在説については、擁護する側も批判する側も憶測を語っているにすぎない」と述べて議論の一人勝ちを狙う方法

 ・まずは、次のように主張する。
 「罵倒芸イオン実在説を肯定的に語る人の演説を聞いてみたが、ほとんどが主流の科学をdisる話ばかりであり、肝心の根拠は『私個人の直感である』という有りさまだった」

 「一方で、罵倒芸イオン実在説に批判的な人の話を聞いてみれば、『間違っているのは自明、これにて解散』という感じで、科学的に検証することなく頭ごなしに否定していた」

 「結局、罵倒芸イオン実在説を擁護する人も批判する人も、憶測で判断を下しているにすぎなかった」
 「これを鑑みるに、他のニセ科学批判者たちも似たような態度を見せているのであろう」

 「一般市民たちがニセ科学を批判する時は、必ず表層的な部分だけを語って終わるわけだが、」
 「その原因は、ニセ科学批判者たちの言動をそっくり真似していたことにあったのだ」

 ・ニセ科学批判者たちが質問する。
 「罵倒芸イオン実在説を科学的に検証することなく憶測のみで否定した人の具体名を教えてください」
 
 ・答える。
 「私から具体名を明かすのは、ばかばかしい行為である」
 「しかし、ヒントは言ってあげよう」
 「ネット上で活動している全てのニセ科学批判者たちのブログなりツイッターなりを、片っ端から読み漁ること」
 「そうすれば、いつの日にか必ず該当のコメントを発見できる」
 「諸君の探索能力の高さを信じつつ、私は深山の頂きに設置した安楽椅子のもとに帰る」

 ・ニセ科学批判者たちが感想を述べる。
 「アバウトなヒントをもらったが、無いよりマシとは言える」
 「なにしろ、憶測に満ちたニセ科学批判批判を語るだけ語って急いで消え去る自称中立の傍観者の姿を、我々は数多く見てきたのだから」

 ・この言葉を聞き届けたら、ミッションコンプリートである。

 【この芸のメリット
 「検証もせず憶測のみでニセ科学を批判する人って誰ですか」と質問する人が現れた際は、必ず「アバウトなヒント」を与えてあげること。
 そうすれば、「一応は答えてくれる人のようだ」という感じで、良い印象を持ってくれる。

 聴衆も、次のように好評してくれる。「アバウトなヒントとはいえ、自説の検証を許す行為には違いない、『憶測どころか、客観的なデータが満載のニセ科学批判でした』と判明する可能性だってある、実に勇気のあるニセ科学批判批判者だ」

 「そんな評はもらえません」と思われた御方は、この芸の成功率が低いと予想される。思考の引き出しに入れておくに留めておこう。
 (この記事は、次のブログのコメント欄の、2019年3月26日に行われたNATROMさんとPATMerさんのやり取りを見たあとで、作りました)
 他人にアレルギー症状を起こさせる疾患「PATM(パトム)」は実在するか? - NATROMのブログ

ネタのお言葉『揶揄、明け方まで連なり、紛糾が生ず』

この言葉は、蘇舜欽(そしゅんきん)の詩、『初晴遊滄浪亭』(はじめてはれてそうろうていにあそぶ)の罵倒芸版である。
 【意訳
 ある一人のニセ科学擁護者が、ニセ科学批判者の運営するブログに向かって、揶揄のコメントを徹夜で連投していた。
 それを見かねた他の読者たちも、徹夜で批判のコメントを連投していた。

 するとブログ主が、「今日こそは私も我慢の限界、コメント欄は承認制に移行」と宣言した。
 読者の大半は、「英断だ」「美声の朗読だ」と賛同した。

 ニセ科学擁護者は、「そんなのむなしい対策ですよ(笑)」と言って相変わらず揶揄のコメントを連投したが、ひとつも画面に反映されなかった。
 他の読者たちは、「やかましくも薄い内容の議論が続いたが、これからは静かで濃い議論ができる」と喜んだ。

 それから一時して悪態のトラックバックが届いたが、ブログ主は「入念にチェックする必要、なくね?」と言って取り合わなかった。
 【意訳、終わり
 このような騒動がネット上の片隅で起きていたと蘇舜欽は滄浪亭で報告している。