「ニセ科学批判カルト」という言葉を使用して一人勝ちを収める方法

 ・まずは、ネット上に数多ある記事の中から、「執筆者がニセ科学批判者にもかかわらず、論理の飛躍がありえないくらいに散りばめられている記事」を探す。

 ・見つけたら、次のように感想を述べる。
 「どういうことだ、あのニセ科学批判者は? ダメすぎな記事を書くにも程がある」
 「しかも他のニセ科学批判者たちは、全員がだんまりを決めている有りさま」

 「ニセ科学推進者が書いた記事については『これでもかっ』というくらい糾弾するくせに、身内のダメな記事に対しては『カッコー、カッコー』と閑古鳥が鳴くほどに絶対の沈黙をつらぬく態度、まさに【ニセ科学批判カルト】といえよう」

 ・このように述べると、一人勝ちを達成したことになる。

 【この芸の注意点
 次のように反論してくるニセ科学批判者が現れる可能性も、ゼロでない。
 「そのダメな記事について、私は自分のブログやツイッターで朝に夕に言及しています」
 「しかも、『これでもか……これでもかあっ!?』というほどに糾弾しています、どうぞお読みください」

 この場合、次のように返事する。
 「なるほど、たしかにあなたは身内に対しても厳しい意見を言えるニセ科学批判者のようだ」
 「しかし、あなたは例外の存在にすぎない」
 「ゆえに、ネット上で活動しているニセ科学批判者たちに向かって、この私が【ニセ科学批判カルト】という評を下す行為に何ら問題はないという理屈になる」

 このように述べると、二勝目を達成したことになる。

 「そのニセ科学批判者のダメな記事について私は黙っているどころか厳しく批判していますよ」と言ってくるニセ科学批判者は、もしかしたら数十人、数百人と次々に現われるかもしれない。
 そのときに、
 「おや、けっこう身内を批判しているニセ科学批判者が居るようだ、【ニセ科学批判カルト】と評したのは早計だったかな?」
 と弱気にならず、
 「あなたは例外の存在にすぎない、ゆえに私の【ニセ科学批判カルト】という評は的外れでない」というセリフの一点張りで頑張ろう。
 どんどん自分一人の勝利が積み重なっていく。

 「そんなの主観的な勝利ですやん、客観的には信用をどんどん失っていますやん」と思われた御方は、この芸を実行しても失敗に終わる可能性が高い。
 「そのような勝ち方をよしとする立場もあるのだな、私にはまったく理解できない立場だけれど」という感じで思考のクラウドにそっとしまっておこう。

 以上、「ニセ科学批判カルト」という言葉を使用して一人勝ちを収める方法であった。
 (この記事は、次のはてなブックマークを読んだあとで作りました)
 はてなブックマーク - なんだこれ…。ニセ科学批判教団、村中全面擁護だったなあ-んで、連中、「理系が裁判官にいないのガー」とかやってるらしく、まさしくカルトである。 - Cunliffeのコメント - はてなブックマーク

「罵倒芸イオン実在説については、擁護する側も批判する側も憶測を語っているにすぎない」と述べて議論の一人勝ちを狙う方法

 ・まずは、次のように主張する。
 「罵倒芸イオン実在説を肯定的に語る人の演説を聞いてみたが、ほとんどが主流の科学をdisる話ばかりであり、肝心の根拠は『私個人の直感である』という有りさまだった」

 「一方で、罵倒芸イオン実在説に批判的な人の話を聞いてみれば、『間違っているのは自明、これにて解散』という感じで、科学的に検証することなく頭ごなしに否定していた」

 「結局、罵倒芸イオン実在説を擁護する人も批判する人も、憶測で判断を下しているにすぎなかった」
 「これを鑑みるに、他のニセ科学批判者たちも似たような態度を見せているのであろう」

 「一般市民たちがニセ科学を批判する時は、必ず表層的な部分だけを語って終わるわけだが、」
 「その原因は、ニセ科学批判者たちの言動をそっくり真似していたことにあったのだ」

 ・ニセ科学批判者たちが質問する。
 「罵倒芸イオン実在説を科学的に検証することなく憶測のみで否定した人の具体名を教えてください」
 
 ・答える。
 「私から具体名を明かすのは、ばかばかしい行為である」
 「しかし、ヒントは言ってあげよう」
 「ネット上で活動している全てのニセ科学批判者たちのブログなりツイッターなりを、片っ端から読み漁ること」
 「そうすれば、いつの日にか必ず該当のコメントを発見できる」
 「諸君の探索能力の高さを信じつつ、私は深山の頂きに設置した安楽椅子のもとに帰る」

 ・ニセ科学批判者たちが感想を述べる。
 「アバウトなヒントをもらったが、無いよりマシとは言える」
 「なにしろ、憶測に満ちたニセ科学批判批判を語るだけ語って急いで消え去る自称中立の傍観者の姿を、我々は数多く見てきたのだから」

 ・この言葉を聞き届けたら、ミッションコンプリートである。

 【この芸のメリット
 「検証もせず憶測のみでニセ科学を批判する人って誰ですか」と質問する人が現れた際は、必ず「アバウトなヒント」を与えてあげること。
 そうすれば、「一応は答えてくれる人のようだ」という感じで、良い印象を持ってくれる。

 聴衆も、次のように好評してくれる。「アバウトなヒントとはいえ、自説の検証を許す行為には違いない、『憶測どころか、客観的なデータが満載のニセ科学批判でした』と判明する可能性だってある、実に勇気のあるニセ科学批判批判者だ」

 「そんな評はもらえません」と思われた御方は、この芸の成功率が低いと予想される。思考の引き出しに入れておくに留めておこう。
 (この記事は、次のブログのコメント欄の、2019年3月26日に行われたNATROMさんとPATMerさんのやり取りを見たあとで、作りました)
 他人にアレルギー症状を起こさせる疾患「PATM(パトム)」は実在するか? - NATROMのブログ

ネタのお言葉『揶揄、明け方まで連なり、紛糾が生ず』

この言葉は、蘇舜欽(そしゅんきん)の詩、『初晴遊滄浪亭』(はじめてはれてそうろうていにあそぶ)の罵倒芸版である。
 【意訳
 ある一人のニセ科学擁護者が、ニセ科学批判者の運営するブログに向かって、揶揄のコメントを徹夜で連投していた。
 それを見かねた他の読者たちも、徹夜で批判のコメントを連投していた。

 するとブログ主が、「今日こそは私も我慢の限界、コメント欄は承認制に移行」と宣言した。
 読者の大半は、「英断だ」「美声の朗読だ」と賛同した。

 ニセ科学擁護者は、「そんなのむなしい対策ですよ(笑)」と言って相変わらず揶揄のコメントを連投したが、ひとつも画面に反映されなかった。
 他の読者たちは、「やかましくも薄い内容の議論が続いたが、これからは静かで濃い議論ができる」と喜んだ。

 それから一時して悪態のトラックバックが届いたが、ブログ主は「入念にチェックする必要、なくね?」と言って取り合わなかった。
 【意訳、終わり
 このような騒動がネット上の片隅で起きていたと蘇舜欽は滄浪亭で報告している。

ネタのお言葉『愚公、山ほどのdisを書き写す』

この言葉は、列子の「愚公山を移す」の罵倒芸版である。
 【なりたち
 山を移した後で愚公さんが言いました。
 「罵倒芸なるものを探究したいという気持ちになりましたので、ネット上にある全てのdis記事を竹簡に一文字ずつ書き写す作業に入ります」
 言い終えた愚公さんは、さっそく始めました。

 これを見た人々は、忠告しました。
 「ネット上のdis記事は五万とある、老い先の短いあなたには完遂できない作業だ、もっと別の有意義なことに時間を使ったらいい」

 「たとえば、ニセ科学批判者たちのブログやツイッターを朝に夕に閲覧し、専門用語だらけで科学素人には分かりにくい内容の記事が投稿されたら、すかさずダメ出しする、このような日々が有意義な時間の使い方だ」

 愚公は反論しました。
 「私に共感する人々が少ないながらも居ます、私が衰えてdis記事の書き写し作業ができなくなったときは、その人たちが作業を受け継いでくれます」

 これを聞いた空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、「老いてなお勉強に励む志の高さ、見事なり」と感心し、竹簡を差し出すよう愚公に指示し、ネット上にある全てのdis記事を一瞬で書き写したうえで返却しました。

 それを見た人々は、外野の批判を涼しい顔でやり過しながら罵倒芸の探究に勤しむことを「愚公、山ほどのdisを書き写す」と言い表すようになりました。
 【なりたち、終わり

 一部の研究者は、これが本来の「愚公山を移す」と考えている。長い時が経つうちに、このエピソードを描いた部分が散逸したのだという。

 それが本当かどうかはどもかく、地味で気の遠くなる小さな作業もあきらめずに続ければ大きなゴールに辿り着く、これについては現代に生きる我々にとっても疑いようがない真実である。

 「何かがおかしいような?」と思われた御方は、「愚公、山ほどのdisを書き写す」をそのまま実行した場合、挫折する可能性が高い。
 そのために、ネット上のどこぞでdis記事を見かけたときは、エッセンスだけを抜き取って参考としよう。

「一部のニセ科学批判界に偉そうな態度を常時見せる者たちが居る、私はずっと忠告しているが事態は変わらない、どうしようもない人たちだ」と述べて議論の勝ちを狙う方法

 ・まずは、自分のブログで次のように主張する。
 「一部のニセ科学批判界には、偉そうな態度を常時見せている者らが居る」
 「科学素人と対話する際もそうなので、科学素人は反感だけを覚えて去っていく」
 「そんな説得に失敗する対話のログが、ネット上に五万と積み重なっている」

 「憂慮した私は、ソフトな態度に改めるよう数十年前から忠告してきたが、無視され続けている」
 「私も忠告するのがそろそろ飽きてきた、見限る時が来たのだ」

 「私が見限った後は、偉そうな態度を見せるニセ科学批判者たちに対して忠告してあげる人が居なくなり、ますます偉そうな態度のニセ科学批判者たちがつけあがり、ニセ科学批判界に対する評判が地に落ちるわけだが、もうどうしようもない」

 「ちょっと待ってください、そんな事態になるのは嫌ですというのであれば、今日こそ私の忠告を受け入れて偉そうな態度を封印したまえ」

 ・ニセ科学批判者たちが現れて質問する。
 「偉そうな態度を常時見せているというニセ科学批判者の具体名を教えてください」
 
 ・答えてあげる。
 「私から具体名を明らかにするのは野暮である」
 「どうしても知りたければ諸君の胸の内に聞きたまえ、『あの人のことかしら、この人のことかしら?』という感じで具体名がぼやあっと浮かんでくる」

 ・ニセ科学批判者たちから、「あくまで仄めかしで済ます態度、ぶれない芸に感心する」という声が出たら、ミッションコンプリートである。

 【この芸で気をつける点
 「具体名を教えてください」と言われたときのリアクションとしては、次の三つがある。
 1:具体名を教える。
 2:何も答えず、別の話題に移る。
 3:「あなたの胸の内に聞きましょう、そうすれば自ずと分かります」と自問を促す。

 この中では、3つ目のリアクションがもっとも手軽である。
 なにしろ具体名を教えた場合は、「いつの、どこの、どのような文脈のコメントを偉そうな態度と判断したのですか、具体例を提示しながら詳細に説明してください」となり、どんどん面倒な議論に発展してしまう。

 かといって何も答えず別の話題に移った場合は、「なにか都合の悪いことでもあるのだろうか、実は単なる個人的な印象論に過ぎず、第三者の検証に耐えられない主張だったとか?」と思われてしまう。

 それに比べて「あなたの胸の内に聞きましょう、そうすれば自ずと分かります」と言ってあげた場合は、
 「たしかに自分で考えて自分で答えを出す作業は大切ですね、自己成長につながるステップです」
 「分からないことがあるからといって、すぐに他人に質問して答えを知ろうとするのは安易な思考だからダメですよね、今後は気をつけます」
 と納得して帰ってもらえる。

 しかも、「一応は答えてあげた」という事実があるために、「具体名を教えてくれないのはなぜですか」とニセ科学批判者たちから問われても、
 「はて? その件については、先ほどお返事したはずだが? 私の話をしっかり聞いていない? やれやれ、これだから諸君はダメなのだ」
 と呆れることができる。
 聴衆も、「ニセ科学批判者たちは何を寝ぼけているのだろう、ちゃんと答えてもらっているのに」と呆れる。
 それゆえ具体名を問われた際に、「あなの胸の内に聞いてください、自ずと分かります」と述べることが自分にとって最善という結論になる。

 「そんな結論になりません」と思われた御方は、この芸そのものが向いていない可能性が高いために、実行を控えておくと無難である。

 以上、「一部のニセ科学批判界に偉そうな態度を常時見せる者たちが居る、私はずっと忠告しているが事態は変わらない、どうしようもない人たちだ」と述べて議論の勝ちを狙う方法であった。
 (この記事は、次のツイートとはてなブックマークにインスピレーションして作りました)
 shanghai_ii さんのツイート
 以前から指摘してるけど、相変わらず、一部ニセ科学批判界隈は、アブダクションに欠陥やバイアスがある気がしますね。


 NOV1975さんのコメント
 一部そうだ、というご意見は正しいのだろうがそれだけだと生産性がゼロだな

「科学的に変な主張をする人が泡沫過疎ツイッタラーだった場合、取り上げて批判してはいけない」と述べて議論の勝ちを狙う方法

 ・まずは、ニセ科学批判者たちが集うログに乗り込んで、次のように主張する。
 「科学的に変な主張を述べている人物が泡沫過疎ツイッタラーだった場合、取り上げて批判することはできない決まりとなっている」
 「誰が決めたのか? 私である」
 「というわけで、いまから泡沫過疎ツイッタラーの科学的に変な主張に言及することは一切禁止とする」

 ・自分のブログに戻る。

 ・ネットサーフィンしているうちに発見した泡沫過疎ツイッタラーの発言が気になり、感想文をブログに書く。
 「あの泡沫過疎ツイッタラーは罵倒芸イオンについて肯定的に語っているが、そんなものが実在する可能性はゼロであり、明らかにニセ科学である」
 「それにもかかわらず、あの泡沫過疎ツイッタラーは普通に妄説を垂れ流し続けている」
 「真に受ける人が現れては大変だ、世間に間違った認識が拡散してしまう」
 「そんな事態を防ぐためにも、私は近日中に詳細な対抗言論の記事を公開する予定だ」

 ・ニセ科学批判者たちが現れて質問する。
 「以前にあなたは泡沫過疎ツイッタラーの科学的に変な発言を取り上げてはいけない決まりがあると仰られていましたが、その決まりをご自身が守らないのはなぜですか」

 ・反論する。
 「この私には、批判対象を選択する自由がある」
 「現時点の自分が気になったニセ科学的な言説を取り上げて批判する、ただそれだけのことである」
 「この行動になんの問題があろうか? いや、ない」
 「ゆえに、諸君の質問は的を外しており、いますぐに退場して己の拙速を反省する作業に入りたまえ」
 「他人に向かって説教したことと自分のやっていることが異なっていますやん、などと言っている場合ではない」

 ・ドヤ顔を決める。

 ・ニセ科学批判者たちから、「わざとか? わざとなのか?」という声が出たら、ミッションコンプリートである。

 【この芸で気をつける点
 「泡沫過疎ツイッタラーの科学的に変な発言を取り上げてはいけない決まりだと主張した自分が決まりを破ってしまった、さっそくニセ科学批判者たちからツッコミが来ている、素直に反省の弁を述べたほうがいいかしら?」
 などと悩まず、
 「自分は例外な立場の人である、ゆえに泡沫過疎ツイッタラーの科学的に変な発言を取り上げ放題である」
 と冷静に説明すること。そうすれば聴衆が、「鉄の心臓を持っているすごい論者だ!?」と感心してくれる。

 【この芸のデメリット
 「ブロガーとしての信用アップには必ずしもつながらないのでは?」と言われれば、そのとおりである。
 しかしながら、いっときのアクセス数アップにはつながる。
 ことわざにも、「明日の百より今日の五十」とある。ブロガーとしての信頼を築くためには無難な記事をたくさん書く必要がある、しかし時間がかかりすぎて気が遠くなる、それならば『言っていることとやっていることが違う芸』をちゃっちゃと実行して目先のアクセス数を稼ぐほうが手っ取り早くていい、という意味である。

 【この芸に向かない人
 「他人に向かって、『これこれをしてはいけません』と述べた内容は、自分自身でも守りたいです」というタイプの御方は、この芸を実行した場合に多大なストレスを感じるので、思考の奥底へメモするにとどめておこう。

 以上、「科学的に変な主張をする人が泡沫過疎ツイッタラーだった場合、取り上げて批判してはいけない」と述べて議論の勝ちを狙う方法であった。
 (この記事は、次のはてなブックマークにインスピレーションして作りました)
 Tatadaさんのコメント
 気持ちはわかるがRT1いいね2を晒し上げるのはちょっと…


 tecepeさんのコメント
 なんでフォロワー70人しか居ないアカウントのひとりごとにツッコミ入れてんの…/でも3000RTされてたのか。


 nkynさんのコメント
 こういうツイート投稿する輩も拾う輩も同類。


 lololol_stWh2さんのコメント
 ハンロンの剃刀。みんな叩きたがりすぎ。疲れてるんだよきっと。/TwitterはRT数がいいね数を上回っている場合だいたい晒し上げだから読んでも無駄なツイートが一目瞭然でいいよね。


  shimokiyoさんのコメント
 フォロワーも少なくてバズってもいないただのおばかツイートをなぜブクマする。


 ublftboさんのコメント
 もう何度も何度も、この種の意見を見かけているのですけれど、これって、「はてブをつけるのは、フォロワーが多かったりバズっていたりするものだけだ」と言っているのですか? 全く意味が分からないのですけれど


 【追記】フォロワーが少ない人の科学的に変な発言が批判されている場面を目撃したときは、「そんなことをしてはいけない」と言ってあげ、自身がフォロワーの少ない人の科学的に変な発言を批判するときは、「私には取り上げる自由がある」と述べる。
 この行動を繰り返すことにより、自分の一人勝ちが延々と積み重なる。
 まさに「常勝のニセ科学批判批判」の理想形といえる。

創作小話『良いニセ科学批判に比べてダメなニセ科学批判は50倍も多いと述べたブロガー』

 ニセ科学批判批判者であるAさんが、自ブログで主張しました。
 「ネット上で公開されている数多のニセ科学批判的な記事を調べたところ、良いニセ科学批判に比べてダメなニセ科学批判のほうが、50倍も多かった」
 「これは遺憾な状況であり、世のニセ科学批判者たちは一斉に反省したまえ」

 ニセ科学批判者たちが現れて言いました。「興味がありますので、具体的なデータを教えてください」

 Aさんは、お返事しました。「具体的なデータを示す義務は、諸君にある。立証責任の転嫁ではない」
 ニセ科学批判者たちは、「まともな議論ができない相手のようだ、かかわるだけ時間の無駄だ」と判断して去りました。

 その後ろ姿を確認したうえで、Aさんは勝利宣言しました。「あの者たちは反論もせずに帰っていった、ゆえに私の主張は正しかったという理屈になる」

 数日後、納得しきれない一人のニセ科学批判者が現れて、再び具体的なデータの提示を求めてきました。
 Aさんは、「それは貴公の仕事である」と言ってあげましたが、ニセ科学批判者はしつこく食い下がりました。

 Aさんは、しばらく相手をしてあげましたが、「立証責任の転嫁で頑張るのも飽きてきた」と思い、タネ明かししました。
 「私の好みを基準として、『あれは良いニセ科学批判の記事だな、これはダメなニセ科学批判の記事だな』と選別していると、良いニセ科学批判の記事が1本、ダメなニセ科学批判の記事が50本となった」

 「しかもこれは、私の個人的な観測範囲内に限った話であり、観測範囲外にあるニセ科学批判の記事については一つも実態を知らない」
 「これで貴公の疑問は解決した、あとは帰るのみである」

 ニセ科学批判者は、帰らずに言いました。「そのことをブログの記事に追記してください、そうすれば他のニセ科学批判者たちも、『50倍って、Aさんの好み次第の値だったのかよ!』と納得してくれます」
 これを聞いたAさんは、「一読者の分際で私に指図するとは何事か」と不満を覚え、ニセ科学批判者をブロックしました。

 【教訓】この話は、立証責任の転嫁を続けていると事態がますますややこしい方向に進んで不満な思いが強まるばかりという現実を明らかにしています。

根拠の薄い主張をして読者たちから疑問を呈された際に、「自分の主張に何ら説明不足はない」という態度を貫いて議論の勝ちを狙う方法

 ・まずは、ブログ上で具体的な根拠を明示しないまま主張する。
 「世のニセ科学批判者たちには、欺瞞がある」
 「表向きは社会のため公益のためと言っているが、本当のところは自己満足のためにニセ科学を叩いているにすぎない」

 ・読者たちが疑問を述べる。「いや、本気で社会のため公益のためと思ってニセ科学を批判している人も居るのでは?」

 ・反論する。
 「私の主張のどこに、『本気で社会のため公益のためと思ってニセ科学を批判している人など絶対に存在しない』という記述があるのか? 該当する部分を示したまえ」
 「なに、できぬとな?」
 「なるほど諸君は、『なにかしら文句を言ってあげたい!』という気持ちが前のめりになりすぎてしまい、確かな根拠もなく私の主張を間違いと決めつけるうっかり屋さんだったのだ」

 「相手が何を言って何を言っていないのか、それを見極めたうえで疑問を呈すること」
 「それが諸君に課された宿題である」

 このように述べると、勝ったことになる。

 【この芸で気をつける点
 読者たちから疑問を呈されたときに、「私の言いたいことが伝わっていないようだ、今から詳細な説明をして納得してもらおう」という考えを持ってはいけない。
 「私の主張に瑕疵はない、それにもかかわらず疑問を呈する人たちは、読解力が徹底的に不足している哀れな人たちだ」という態度で頑張ること。

 それでも弱気になったときは、次のセリフを暗唱して己を鼓舞しよう。
 「私の考えは常に正しい、私がネット上で公開する主張も常に正しい、そんな私の主張に疑問をぶつける者たちは、ことごとく間違っているという理屈になる」

 以上、「根拠の薄い主張をして読者たちから疑問を呈された際に、『自分の主張に何ら説明不足はない』という態度を貫いて議論の勝ちを狙う方法」であった。
 (この記事は、以下のツイートとはてなブックマークを参考にして作りました)
 kuri_kuritaさんのツイート
 「電気が止まれば死ぬ人がいる」という単なる事実の表明が、何故あれ程に紛糾したのか(というか、紛糾させた奴らがいたのか)、いまだに理解出来ません。


 nanasi0003さんのツイート
 ぼくがこの文言を認めないのは、このフレーズが実際に守ろうとしているのはTシャツでは過ごせないほど過剰な冷房空間や、エアコンと朝シャンと電子レンジと電気給湯器を同時に使えるような快適な生活、っていう欺瞞を命を盾にとったキャッチーなフレーズでごまかすズルい言い方だから、ですね


 TAKAMARUのコメント
 「これこれこのような理由により、kuri_kurita氏のツイートは、『命を盾にとったキャッチーなフレーズでごまかすズルい言い方』といえる」という形の補足をすれば、説得力が出ると思われる。


 Yossy_Kさんのツイート
 エアコンが使えなければ老人や乳児から死んでいくし、医療現場でも電気が止まればバタバタ死ぬし。
 要は視野が狭いんだよな。


 Yossy_Kさんのツイート
 「普通の人にとって快適を保証すること」が「弱者にとっての生命線を確保すること」と地続きだってことは知らないっぽいもんなあ。


 TAKAMARUのコメント
 なるほどであるが、議論で負けない自分を第一とするならば、「私の主張に疑問を呈する人は、読解力が不足している哀れな人である」という態度で頑張るのも有りである。「なんじゃそら」と思われた御方は真似しない事


 nanasi0003さんのツイート
 違うならどの文言からそう思われたのかを示してくれればよかっただけなんですが、むき出しのバカの烙印捺して終わっちゃったんですね
まー、3年ぶりに再開したツイッターでいわゆるデマ叩き界隈の硬直化というか劣化というか、がすごく気になってるんですが今回身をもって体験させてもらえました


 TAKAMARUのコメント
 「私の主張に疑問を述べる読者がけっこう現れた、私の主張に説得力が無いのが原因か?ならば今から詳細な説明をしよう」と成らず、「私の主張に疑問を呈する人達の読解力不足は嘆かわしい」という路線を選択した模様


追記】「私以外のニセ科学批判者たちは、みんな雑なニセ科学批判を見せており、私一人が的確なニセ科学批判を実行している」という態度でブログを運営した場合、「な、なんという自信のブロガーだ!?」と横山三国志に登場する陳宮さん風にリアクションする読者が現れるかどうか、あとで思索しておく。

ニセ科学批判者たちから総ツッコミされた際に「主張の中身に関する具体的なツッコミが一つもない、嫉妬レベルのツッコミばかりだ」と述べて二度目の総ツッコミを誘う方法


 ・まずは、自分が運営するブログで次のように主張する。
 「罵倒芸イオンは実在する。なぜならば、『この宇宙空間のどこにも罵倒芸イオンは実在しない』という証拠が、いまだに見つかっていないからである」

 ・ニセ科学批判者たちから、総ツッコミをもらう。

 ・次のように反論する。
 「諸君のツッコミは、瑣末なものばかりで話にならない。私の論が高尚すぎて諸君の手に負えず、嫉妬のレベルでしか物申せないことには同情する」

 ・ドヤ顔を決める。

 ・ニセ科学批判者たちから、二度目の総ツッコミをもらう。

 ・ミッションコンプリートである。

 【この芸の新規な点】科学的に変な主張を述べてニセ科学批判者たちから総ツッコミをもらった際に、「私の主張の中身に真正面から反論する力量がないために、妬みレベルのコメントしかできないようだ」という態度で応じるところが、新規である。

 【この芸で気をつける点】ニセ科学批判者たちから一度目の総ツッコミをもらったときに、「なるほど、たしかに私の主張は科学的にダメすぎですね」と納得しないこと。
 「諸君のツッコミは表層的なものばかりだ、具体的なことを述べるとボロが出てしまうと恐れているのであろう、その意味では哀れな人たちといえる」という態度で頑張ること。そうすれば、二度目の総ツッコミイベントがより起きやすくなる。

 以上、「ニセ科学批判者たちから総ツッコミされた際に『主張の中身に関する具体的なツッコミが一つもない、嫉妬レベルのツッコミばかりだ』と述べて二度目の総ツッコミを誘う方法」であった。
 (この記事は、以下のはてなブックマークにインスピレーションして作りました)
 lebさんのコメント
 嫉妬がすごいなあ。はてな民の学歴コンプは深刻なレベル

 【追記】どんなに鋭いツッコミをもらっても、「私の記事に対して何やら否定的なコメントを述べる読者たちが居るようだが、その読者たちは私の記事の中身について具体的な反論ができていない人たちばかりであり、単なる嫌悪感しか表明できていない人たちばかりである」という態度で頑張るブログ運営を行った場合、論者としての信頼が地に落ちるまでの時間はどれほどであろうか? あとで思索しておく。

ネタのお言葉『よりdisく推敲』

 この言葉は、「推敲」の苛烈なニセ科学批判版である。
 【なりたち
 今から数千年前、ニセ科学批判の新人であるAさんが、新しく開設するブログのタイトルを模索していました。
 あれこれ考えた末に、『僕は諭す、目下のニセ科学を』というタイトルに決定しました。

 しかしながら、「ブログをネット上で公開する」のボタンを押す前に、「諭すの部分が今ひとつだな、直すにしたほうがいいかな?」とAさんは迷いました。
 迷いすぎて、見知らぬウェブサイトのコメント欄の投稿ボタンを、間違って押しました。
 見知らぬウェブサイトの管理人:「なんだ、この意味不明な投稿は? さては、非科学的な思考を持つ輩の仕業だな?」

 そのウェブサイトの管理人の正体は、苛烈なニセ科学批判者のBさんでした。
 Aさんから事情を説明されたBさんは、「なんだ、非科学的な思考の輩ではなかったのか」と思いながら助言しました。
 「直すではなく、叩くが良い」「いや、叩き潰すが良い」「よりdisい言葉を使用すれば、より読者の関心が強くなる」

 Aさんは、「なるほど、よりdisい言葉を採用するのも有りか」と納得しました。
 その後、AさんはBさんとブレインストーミングを実行し、新しいブログのタイトルを最終決定しました。

 『僕は叩き潰す、ニセ科学推進者の説を。ニセ科学推進者の本を好意的に紹介して拡散する有名人の、ツイート群を。中立の傍観者を名乗りながらも結局はニセ科学に利する発言ばかり繰り返してドヤ顔を決める、エセインテリの態度を。科学文明社会の維持を脅かす非合理な事象現象を、僕は片っ端からサーチ&デストロイして浄化してあげるんだ。目下そんな感じのブログ』

 AさんとBさんは、苦労の成果を喜び合いました。「ニセ科学問題を知らない人にも直ぐに趣旨を理解してもらえる良いブログタイトルができた」

 この話を知った人々は、趣旨の分かりやすさを重視したブログタイトルに仕上げる行為を、「よりdisく推敲」と言い表すようになりました。
 【なりたち、終わり
 一部の研究者は、これが本来の「推敲」と考えている。数千年の時が過ぎるうちに、「よりdisく」の部分が省略されてしまったという。
 それが事実かどうかはともかく、穏健派のニセ科学批判者様におかれては、「今日もまた、ニセ科学を好意的に説く論者の姿をネット上で目撃いたしました、遺憾なので今から私が諭してあげますね」と思って諌めの記事を書く際は、「よりdisい方向の文章に仕上げる選択肢もある」と呟くことを習慣にしよう。
 そうすれば、スランプに陥った時に「私には芸風の引き出しがもう無くなった、このうえは引退するしかない」と成らずに済む。