ネタのお言葉『困(くるし)みて真のdisを学ばざる、論者これを下と為す』

 この言葉は、論語の「困(くるし)みて学ばざる、民斯(こ)れを下と為す」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「ネット上にデビューしたばかりで既に真の罵倒芸を悟っている論者は、最も評価が高いです」
 「ネット上で経験を積んでから真の罵倒芸を悟った論者は、次に評価が高いです」
 「真の罵倒芸を学んでいる途中の論者は、ほどほどに評価が高いです」
 「真の罵倒芸を学ぶどころか、探究に努力しているというポーズすら見せない論者は、最低の評価です」
 【意訳、終わり
 私の場合、真の罵倒芸を探究したいという考え自体は持っているので、ギリギリセーフという評価になろうか。
 ちなみに、「疫学の教科書をほぼ読まない状態で疫学の玄人たちに論戦を挑み、返り討ちに遭ったうえで後釣り宣言してドヤ顔を決める」という芸は、聴衆から総ツッコミしてもらえる可能性が高い芸なので、これも平行して探究するしだいである。

ネタのお言葉『君子のdisを求む者に三畏あり』

 この言葉は、論語の「君子に三畏(さんい)あり」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「君子的な罵倒芸を探究している人は、次の三つのものを畏(おそ)れます」
 「一つ目は、ネット上のdisり合いを天から見守っている空飛ぶスパゲッティ・モンスター」
 「二つ目は、数十年にわたってネット上でdisり合いを行って、経験値がかなり溜まっているベテランの罵倒芸論者」
 「三つ目は、もはや色々と悟っているために、滅多なことでは他所のdisり合いに参加しない隠者的な罵倒芸の論者」

 「つまらない罵倒芸で満足している人は、これら三つのものの実力を正確に把握することができないために、自分のほうが格上だと思い込み、余裕の態度で論戦を挑んで返り討ちに遭い、聴衆から失笑されます」
 【意訳、終わり
 私の場合、「疫学の知識がほぼゼロの状態で疫学の玄人たちに論戦を挑み、返り討ちに遭ったうえで後釣り宣言する」という芸を身に着けたいと思っていたのだが、「それはつまらない芸である」と孔子が評していたのを知った今、断念すべきかどうか迷っている。

 なにしろ、「疫学の素人は最強だ、自分にとって都合の良い論を好き放題に述べることができる気楽な立場だ、確証バイアスを駆使して議論の勝ちを狙うスタイルってカッコイイよね」という考えから、なかなか抜け出せないのである。

 ゆえに、孔子の言葉は思考の引き出しの奥にしまっておき、もうしばらく疫学の素人の立場を維持する所存である。
 (注:「なにを言っていますの?」と思った読者様は、私と違う芸風を模索したほうが無難である)

ネタのお言葉『好んであと知恵バイアス的な評を行う、難いかな』

 この言葉は、論語の「好んで小慧(しょうけい)を行う、難(かた)いかな」の罵倒芸版である。
 【意訳
 あるdisログを閲覧したあとで孔子が言いました。「多くの論者たちがコメントを投稿していますが、真の罵倒芸を語る者は一人として居ません」
 「そのかわり、他所で起きた炎上騒動については、」
 『当事者たちの対処はダメすぎだ、賢い僕ならば、もっと上手く解決できた』
 『当事者たちはリスクマネージメントがダメすぎである、賢い我輩ならば、騒動の発生を予め防ぐことができたのである』
 『あんなことをすれば大問題になるって傍観者の私でも分かることなんですがねえ、当事者たちは知恵がまわらない人たちばかりだったんですねえ』

 「などと述べて、あと出しじゃんけん的な評論を皆で競っている有り様です」
 「もはや手の施しようがありません」
 【意訳、終わり
 私の場合、「他所で起きた騒動をしばらく傍観し、一段落した時に『あと知恵バイアス的な評論』を公開してドヤ顔を決める」という芸に興味があり、「道草クー太郎」氏のツイートや「しわ枯れパパ」氏のツイートを時々ちらっと見て参考にしていたのだが、孔子が「それはレベルが低すぎて救いようがない芸」と断じていたのを知った今、ちょっと困っている。

 「そんなの知りません、普通に『あと知恵バイアス的な評論』を公開して、普通にドヤ顔を決めるというネット人生を送ります」という考えも有りだが、これを機に別の芸風を模索してみるのも有りである。
 そうすれば、遠い未来に「あの時の路線変更の決断こそ、世界的な罵倒芸論者への第一歩であった」と振り返る自分が居るかもしれない。

ネタのお言葉『ネットモカンの精鋭たちよ、逃げ去り道の無きまでにデマを破ることなかれ』

 この言葉は、鄭谷(ていこく)の詩「曲江春草」のニセ科学批判批判版である。
 【意訳
 語るに落ちるニセ科学を肯定してドヤ顔を決めているブログに、炎上の煙が漂っている。
 アドホックな理屈で装飾した言い訳を、気が遠くなるほど書き連ねて、被せのドヤ顔を決めるブログ主。

 すでに穏健派のニセ科学批判者たちは見切りをつけて去り、かわりにモヒカン的な思考の人たちが現れて、ハイエナジーな姿を披露している。
 「ヒャッハッハ、EM菌を擁護する記事だあ!」
 「化学物質過敏症を擁護した記事もあるぜー!」
 「おい見ろよ、あのブログ主、マイナスイオンの擁護までしているぜ?」
 「やれやれ、今じゃssfs21th氏以外の私怨的なニセ科学批判批判者たちですら、マイナスイオンには言葉を濁すってのによ!」

 デマの拡散を許さない気持ちは分かるし、労力を惜しまずに対抗言論を掲げてくれる有りがたい存在のネットモヒカンたちではあるが、
 どうか完全に退路を断つような真似はせず、なにかしらの逃げ道を残してあげてほしい。

 そうすれば、見知らぬ他人から遠慮のない修正をもらって激怒していたブログ主も、少しずつ冷静を取り戻し、
 批判された意味を理解し、自分のニセ科学的な記事群を自分でdisりながら一つずつ消していく可能性も、ゼロではないのだから。
 【意訳、終わり
 そのような詩を鄭谷は曲江のほとりで作っている。

ネタのお言葉『そもそもを見定めたあとのdisは、これ賢の罵倒芸か』

 この言葉は、論語の「抑々(そもそも)亦(また)先(ま)ず覚る者は、是(これ)賢か」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「他人が発したdisに裏の意図があるかもしれないなどと、疑ったりしないことです」
 「自分が発したdisに他人から信憑性を疑われているかもしれないなどと、心配しないことです」
 「ネット上の他所で発生した騒動にも直ちに飛びつかず、全体像を把握したうえで毒吐きの評論を放ってあげましょう」
 「これが自然にできるようであれば、まず賢者の罵倒芸といえるでしょう」
 【意訳、終わり】 
 他人が公開したdisコメントを読む際は、変な解釈をしないで書いてある文面の通りに受けとめる。
 自分が仕上げたdisコメントは、「趣旨がちゃんと読者に伝わるだろうか」などと悩まず、自信を持って公開する。

 罵詈雑言の応酬でリソースを無駄に消費しているログを見つけたときは、「そもそもの論点はなんでしたの?」と言ってログを通読し、論点を理解し、「それ以上の脱線は許しませんわ」とログに居る皆を叱りつけて本論に戻してあげる。
 これが賢い罵倒芸の有りようであり、いついかなる状況でも無意識に実行できるのが理想と孔子は指摘していたのである。

 賢者の罵倒芸どころか隠者の罵倒芸すら悟っていない今の私であるが、無意識といわずも意図して動いて結果を残す論者のレベルくらいには辿り着きたい。

ネタのお言葉『このdisの違いに恥じざれば、すなわち真の罵倒芸を為すこと難し』

 この言葉は、論語の「其(こ)の言にはじざれば、則(すなわ)ちこれを為(な)すこと難(かた)し」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「連続で公開したdisコメントの内容が、先と後でまったく異なるようでは、罵倒芸の論者としては永遠にレベルアップが望めないでしょう」
 【意訳、終わり
 議論の相手を面罵しておきながら次に褒めごろしの言葉を述べたりしていると、聴衆から、「一貫性のない論者だ、真面目にdisる気があるのか」と言われて支持を失う。
 罵詈雑言を述べると決めたならば、最後まで罵詈雑言で通す。
 論点ずらしをすると決めたならば、最後まで本題から話を逸らし続ける。
 そうすることにより、「安定感のあるdisだ、おかしな逸脱がひとつもない」と言って聴衆もゆっくりと議論を眺めることができる。

 ちなみに私も次のような、ふらふらした芸風になってしまうことがある。
 「人格攻撃のコメント作りには飽きた、次は藁人形論法を実行しようかな」
 「その次は、私怨的なニセ科学批判批判でネガティブキャンぺーンを展開しようかな」
 「そのまた次には、中立の傍観者を名乗ったあとで、『ニセ科学もまともな科学も相対的には同じです、ゆえにニセ科学を批判している人たちは、まともな科学を貶して大衆に科学不信を浸透させているダメな人たちという理屈になります』と述べて、自分の一人勝ちを達成したいな」
 これでは成長が見込めないので、一刻も早く一貫性のdisを習得しておく。

ネタのお言葉『曰く、真のdisを教えん』

 この言葉は、論語の「曰(いわ)く、これを教えん」の罵倒芸版である。
 【意訳
 炎上芸を専門とするブログを孔子が訪れて感想を述べました。「読者の数が多いようですね」
 冉有(ぜんゆう)が問いました。「読者の数が多い炎上芸ブログでは、先生はどのようなコメントをなさいますか?」
 孔子が答えました。「disの仕方に豊富なバリエーションがあることをコメントするでしょう」

 冉有が再び問いました。「読者たちにdisり方の豊富さを示したあとで、何かすることはありますか?」
 孔子が答えました。「真の罵倒芸に導くでしょう」
 【意訳、終わり
 そのときに孔子が訪れたブログの管理人は、「多くの人々の神経を逆撫でするような記事を量産し、毎日のように炎上騒動を起こし、自分の名を世間に広く浸透させ、ついでにアフィリエイトの収入をゲット」というスタンスを採用していたが、
 「主張の中身はともかく、しっかりと炎上させて、きっちりと銭を稼いでいるのだから、偉いブロガーに違いない」という感じで愛読者たちは固い支持を表明していたために、数十年にわたって人気を保っていた。

 それを知った孔子は、直接に炎上芸を批判するのではなく、「これこれこのようなdisり方が他にもありますよ」と言って炎上芸以外の選択肢を教えてあげ、高みの罵倒芸を探究するための動機を授けようと試みたのである。
 「炎上芸は初歩的な芸であり、それで満足しているようではレベルの低い論者のままでネット人生を終えてしまう、これは虚しいリソースの使い方であり、改善しなければいけない」と孔子は考えていたのである。

 私の場合、「他所でなにかしら騒動が起きてしばらく時が経ったあと、『あと知恵バイアス』的な評論を一人で語って四方八方にドヤ顔を決めて締めくくる」という芸に関心はあっても、炎上芸に対しては今ひとつピンと来ない。
 孔子が炎上芸を幼稚な段階の罵倒芸と看做していたことを知った今、「炎上芸を自らの意図で発動させることは絶対にしないぞ! みんなから同時多発的に批判の言葉をもらって結果的に炎上となってしまう場合は、あるかもしれん!」と断言しておく。

ネタのお言葉『君子のdisは和して同せず』

 この言葉は、論語の「君子は和して同ぜず」の罵倒芸版である。
 【意訳
 孔子が言いました。「君子的な罵倒芸を探究している論者は、ほかの罵倒芸論者たちとdisり合いを行うときは、相互理解を第一と考えて相手の心情に寄り添ったコメントを公開しますが、その後に開かれる反省会においては、威厳あるコメントを述べて馴れ合いを防ぎます」

 「つまらない罵倒芸で満足している論者は、よそのdisり合いに参加した際は、人身攻撃をひたすら行いますが、その後の反省会では、」
 『先ほどの人身攻撃は、本心で行ったわけではございません、場の雰囲気に合わせて仕方なく行ったにすぎません』
 『皆さんのことはマジリスペクトしています、皆さんのdisブログやdisツイッターも朝に夕に拝読して学ばさせていただいております』

 「と言って、自分に付けられたマイナスの印象をプラスに変えようと頑張ります」
 【意訳、終わり
 私の場合、君子的な罵倒芸を探究してはいるが、ネット人生が尽きるまでに見つけ出すことができるかどうか、自信がない。
 せめて、「人身攻撃のコメントを公開して批判が殺到した際に、うろたえてあれやこれやと弁解して平謝りするよりも、安楽椅子が後ろに倒れそうなほど深く座って他人事のように涼しい顔を見せて批判を聞き流す」という精神力を身につけたい。

ネタのお言葉『苛烈なニセ科学批判者はこのdisを好み、穏健なニセ科学批判者はこのdisを憎まんには如かざるなり』

 この言葉は、論語の「郷人の善き者はこれを好み、其(こ)の善からざる者はこれを悪(に)くまんには如(し)かざるなり」の罵倒芸版である。
 【意訳
 子貢(しこう)が問いました。「ネット上に居るすべての苛烈なニセ科学批判者たちから褒められるような罵倒芸は、いかががでしょうか」
 孔子が答えました。「その罵倒芸は、まだ十分ではありません」

 子貢が再び問いました。「ネット上に居るすべての穏健なニセ科学批判者たちから窘められるような罵倒芸は、いかががでしょうか」
 孔子が答えました。「その罵倒芸は、まだ十分ではありません」
 「すべての苛烈なニセ科学批判者たちが感涙で応じ、すべての穏健なニセ科学批判者たちが怒号で応じる。それが十分な罵倒芸です」
 【意訳、終わり
 「みんなに賞賛されるdisコメントを作りたい、せめて文句を言われないdisコメントを作りたい」と思うのが通常であるが、現実には何かしらダメ出しをもらうものである。
 どうせ万人に受けないのであれば、聖人君子的なニセ科学批判者すらも一見しただけでスーパーサイヤ人のごとく怒髪天を突くような、ものすごいdisコメントを作ろう。

 「そんなの簡単だ、ひたすら罵詈雑言を書き連ねたコメントを読ませてあげたらいいのだ」と思う御方も居るかもしれないが、聖人君子的なニセ科学批判者はけっこう自制心が強く、普通の罵詈雑言では眉ひとつ動かさず、よくてちらっと微笑みを返してくれるのみである。

 「ならば、一体どういうdisコメントを作ればいいの?」となるわけであるが、残念ながら私も答えが見つからず、藪道を迷いながら歩いているという思考の状態である。
 それほどまでに、聖人君子的なニセ科学批判者から怒りのリアクションを引き出すのは困難な作業なのだ。

ネタのお言葉『スパモンは炎上ログを探して飛びまわり』

 この言葉は、呉均の「山中雑詩」(さんちゅうざっし)の罵倒芸版である。
 【意訳
 仕事の終わり際に、ネットを閲覧する。
 検索中に、背後から触手が伸びてくる。
 すわ、ポケモンのモジャンボかと思いきや、空飛ぶスパゲッティ・モンスターである。

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、炎上ログを探しているかのように、キョロキョロと目を動かしている。
 そこで私は、ネット上の片隅で見つけた次のサイトを見せてあげる。
 『自分の個人的な観測範囲内にダメなニセ科学批判者が一人居た、ゆえに世のすべてのニセ科学批判者たちは役立たずである、と結論しているサイト』

 空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、苦悶の表情を浮かべて、
 「不可解な理なり。水分を吸収しすぎたヌードルのごとくなり」と評し、ものすごいスピードで飛び去った。
 それを見た私は、「空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、理をなによりも大事にする神だという噂があるが、本当だった」と感心した。
 【意訳、終わり
 そのような夕方のひと時があったと呉均は報告している。